沖縄が「日本のカタチ」を問うために
翁長さんの時代からデニーさんの今まで、僕は、沖縄県庁の若い官僚たちが、日米地位協定の異常を、アメリカが他国と結んでいる地位協定の比較から炙り出す試みに、ずっと協力させていただいております。
その成果は、ここで一覧できます。(地位協定ポータルサイト)
彼らによる海外への実地調査は、実に、米軍を擁する7カ国にも及び、日本の外務省とその在外公館による様々な妨害にもめげず、司令官クラスを含む各国の要人たちとのインタビューにも成功しております。単に反米という立場ではなく、他国との比較を敢行することによって日米関係がいかに異常であるかを、その最たる被害者の沖縄が問う。ぜひ、上記リンクをご覧になってください。
その中の報告書の一つに、日米地位協定研究の第一人者であられる法政大学法学部の明田川融先生と一緒に、僕の論評が載っています。(【他国地位協定調査報告書(欧州編)】の39ページです)
実は、この論評の最初の草稿で、沖縄県側の要請で、削除した文章があります。殊、米軍基地問題においては、沖縄がもつ本土とは異なる与野党の政治構造の中で、この他国地位協定の調査結果がなんとかコンセンサスを得られるように、というたってのお願いでした。
僕も学者の端くれですから、政治からの中立性の葛藤がありました。それなりに悩みましたが、デニーさんにその原文を読んでいただくという条件で、その削除を承諾しました。
その後、この沖縄県庁の試みは、デニーさんによる本土の他県の県知事への様々な働きかけと相まって、単に米軍基地という迷惑施設を押し付けられた沖縄の訴えという従来のやり方とは一味違ったものを提供したと思います。しかし、日本のカタチを問う、決定的なものにはまだ程遠い…。
はやり、もう一つの残された問題を、あえて沖縄が問わなければ、何も進まないのではないか。そんな思いから、削除を承諾した文章を公開する決意をしました。沖縄県庁の若い官僚たちへは、裏切りと映るかも知れませんが。
承諾した削除文は以下です。上記の僕の論評の結びとして書いたものです。これが、日本のカタチを決定的に変える起爆剤になることを祈って。
最後に、沖縄によってなされる「比較」は、「ジブチ」に向き合うべきだ。日本が地位協定の“加害者”として自衛隊を駐留している現実に、だ。それも、日米地位協定のアメリカよりもずっと有利な裁判権上の特権を持って。
周知の通り、日本は、現代の交戦法規である国際人道法が厳格に定義する「戦争犯罪」を起訴する法体系を持たない。「九条が戦争放棄を宣言しているから自らが犯す戦争犯罪を想定しない」という奇想天外が法理となっているからだ。
軍事という個人の意思が極限に制限される国家の命令行動が犯す事件の発生時に、首相を頂点とする国家の指揮命令系統を起訴する法体系を日本は持たないのだ。さらに、事件の責任を個人過失として個々の自衛隊員に負わせるにしても、日本の刑法は「国外犯規定」によって自衛隊に限らず日本人の海外での業務上過失は管轄外となっている。つまり、日本は、自衛隊の軍事過失と個人過失の両方を「想定外」にしたまま、それを「想定」して現地法からの訴追免除の特権を得る地位協定をジブチ政府と結び、駐留を続けているのだ。
これは「詐欺」である。
沖縄による「比較」は、ジブチの現地調査を敢行するべきだ。日本の外務省と在外公館は、最大限の妨害をするだろうが、必ず、遂行するべきだ。
さもないと、沖縄が「日本の姿」を問う試みは完成しない。