月と冷蔵庫
春香に引越しを頼まれたのは一ヶ月前だ。正確に言うと俺から「手伝ってやるよ」とゴリ押ししたのだが。
西千葉で一人暮らしをしている春香は就職が決まりこの春から三軒茶屋で新社会人の生活をスタートする。
俺は春香が大学三年生の時から就職相談に乗っていたこともあり、なんとなく東京に行く日を見届けたい、という気持ちがあった。
借りたトラックで春香のアパートに行き荷物を積み込むと、その足で三郷の春香の実家に向かう。春香はそこで冷蔵庫を積み込みたいのだという。
「なあ、春香。その冷蔵庫ってちゃんと動くのか?ずいぶん使ってなかったんだろ?」
「はい。三年くらい使ってないですね。お兄ちゃんが使ってたんですよ」
それは春香にとっては特別なものらしい。新品を買った方がいいという俺のアドバイスを春香は聞かなかった。
春香のお兄さんは三年前に亡くなってる。病気だったとは聞いたがそれ以上春香は話さなかった。
もしお兄さんが生きていたらきっとこうするだろうな、と考えながら俺はこの二年間春香の相談に乗ってきた。
お兄さん代わりと言うのはおこがましいがそれなりに自分の役目は果たしてきたつもりだ。
三郷の実家につくと親御さんに軽くあいさつをし、裏口に案内された。そこに無造作にその冷蔵庫は置いてあった。
「これかー。まあまあデカいな」
「はい。これなら十分ですよね」
「うん、動けば、だけどな」
なんとかトラックに積み込み、首都高に入る。渋滞もせず、車は順調に走った。
「春香、これからもなんかあったらすぐ電話してこいよ」
「はい。ありがとうございます。本当に引っ越しまで手伝わせてしまってすいません」
「いやいや、俺が好きでやってることだから」
「ありがとうございます」
「それにしてもいい天気でよかった」
ドライブ気分を味わいながらも、この引越しが終われば、俺の役目も終わる寂しさも感じていた。
三軒茶屋に着くと荷物を運び出す。オートロックのマンションだった。セキュリティほしっかりしてそうだし、ここなら安心だ。
二階の部屋だったので、思ったより早く荷物を入れ終わった。
冷蔵庫を運び込み、小さなキッチンのスペースに置いた。
「すぐにコンセントは入れない方がいいからな」
「そう言いますよね」
「うん。じゃ、ちょっと飯でも食いに行くか」
マンションのすぐ近くに中華料理屋があった。餃子がウリらしい。夜の部が始まったばかりで、店内には俺たちしかいなかった。
「まだ早いけど、腹一杯食っておけよ」
「はい」
餃子を頬張る春香の顔を俺はじっと見ていた。
大丈夫だ、春香なら東京でちゃんとやっていける。
「あのさ、もし冷蔵庫動かなかったら、どうする?置いとくわけにもいかないだろ」
「んー、そっか、そうですよね」
「その時は俺が新品買ってやるから」
「いいですよー、そこまでしてもらったら悪いです」
「じゃ、こうしよう。ちゃんと動いたらそのまま。でも、もし壊れてたらこれから新しいの買いに行こう」
「えー、でも安いもんじゃないですから」
「まかせとけって。俺からの引っ越し祝いだ」
本音を言えば俺に買わせて欲しかった。
冷蔵庫は毎日使う。一日何回も。起きてから寝るまで、春から冬まで、ずっと。冷蔵庫はこれからの春香の生活に必要で、いつも春香の生活を支える存在だ。そこに少しだけ意味を感じていた。
だからこそ春香もまた、かつて兄が使っていた冷蔵庫にこだわったのだろう。その気持ちも十分にわかってはいたのだけれど。
マンションに帰ってくると、俺と春香は冷蔵庫の前に立った。
「じゃ、コンセント入れるぞ」
「はい」
薄く音をたてて、冷蔵庫は作動した。
「動いてるな」
「はい」
正常に動いているようだ。
ほんの少し残念な気持ちになったが、それを春香には見せないようにした。
「よかったな」
「はい。よかったです」
「お兄ちゃんの冷蔵庫だもんな。大丈夫だ」
「はい」
これで終わり。
これで引っ越しは終わり、これで俺の役目も終わる。
俺は冷蔵庫をポンポンと叩いた。
” お兄さん、あとはお願いしますね ”
「よし、じゃあ。これで俺は帰るわ」
「本当にありがとうございます」
「うん。またな」
「はい、何かあったらすぐに連絡します」
握手をしようと思ったが、一瞬躊躇して、それから手を出せなかった。
車を出し、三軒茶屋から首都高に乗った。
ドライブ気分で楽しかった行きとは違い、帰りは一人。
音が欲しくなってカーラジオをつけた。
綾香の曲が流れていた。
車の窓をあけ、空を見上げた。
がんばれよ、春香。
月が少しかすんで見えた。
♪
君が居ない夜だって
そう no more cry
もう泣かないよ
頑張っているからねって
強くなるからねって
oh..
君も見ているだろう
この消え そうな三日月
つながっているからねって
愛してるからねって
oh..
※ゆるショートサークルで作った作品です
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