部分社会の法理
最近将棋のプロ棋士が、「鼻出しマスク」で反則負けになったことについて、日本将棋連盟を裁判で訴えることがあった。そのプロ棋士は、マスクの着用を求めることは人権侵害である、みたいな主張をしているが、その主張が法廷で認められることはないだろう。その理由は、部分社会の法理である。
もしも日本国政府が、「国民は全員、青と白のシマシマシャツを着るように」というルールをつくったら、それは人権侵害である。あたかも清国が満州族の習俗である弁髪を中国人男性全員に強制したことに類似する、時代遅れの悪法だろう。
しかし一方、あるコンビニチェーンが、「従業員は全員、青と白のシマシマシャツを着るように」というルールをつくったらどうだろう。いや、すでにそんなコンビニチェーンは存在する。ある従業員が、このルールがおかしいと裁判にしたらどうなる?その結果は火を見るよりも明らかである。これが部分社会の法理だ。
そのユニフォームがどうしても気に入らない従業員は、仕事を辞める自由がある。あるいは、ユニフォームを変えるよう経営陣に訴えてもよい。しかしその訴えを認めるかどうかは経営陣の裁量であり、裁判所の出る幕ではないのだ。
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