<伊勢滞在記>福永 壮志(Takeshi Fukunaga)
初めて伊勢神宮を訪れたのは2013年。境内の空気はとても澄んでいるように感じ、心が落ち着いたのを覚えている。生命力に溢れた杉の巨木が並ぶ参道を進んだ先で、内宮の社殿が静謐に佇む姿を見て深い感動に包まれた。それから約10年が経ち、色々なことを経験した自分が改めて伊勢で何を学び、感じることができるのか楽しみだった。
滞在時期は、伊勢神宮で一年間に約1500回ある祭典の中で最も重要な儀式である神嘗祭に合わせて決めた。そこで見た光景は、自分が今まで見てきた日本各地の祭りとは全く異なるものだった。
神嘗祭初日の朝、大量の初穂を乗せた台車が伊勢市民の威勢のいい掛け声と共に外宮に引かれて行く。彼らは鳥居を通る瞬間から静かになり、綺麗な列を作って豊受大御神の社殿へと初穂を運ぶ。写真・私語厳禁のマークと「これより先神域」の文字が書かれたプラカードを持った人たちに囲まれながら、速やかにお参りをして帰る姿が印象的だった。その慎ましく礼儀正しい所作には、伊勢の人々が神宮に対して抱く信仰の強さが表れているように思えた。
その夜遅く、内宮で神官達が新穀を奉る由貴大御饌の儀には一般の見物は許されない。翌朝の奉幣の儀では、御門の外から見ている見物人に対して、神官達は終始背を向けたままで、彼らの祈りの言葉は全く聞こえない。観光客に迎合しないその姿勢は、この儀式は見せ物ではなく、神に対して厳粛に執り行われているものだということを示している。距離は遠くても、奥の正殿に続く御門を通る神官達の後ろ姿や、そこからかすかに聞こえてくる雅楽の演奏は荘厳で神秘的に感じられた。正殿に続く御門を通り、その中で行われる儀式に参加することは、神宮神職と天皇・皇后以外には許されない。1500年前から一度も、これから先もずっと。
今回の伊勢滞在の中で何よりも印象的だったのは、伊勢の人々が神に対して立ち居振る舞う姿、守る距離だった。それらを通して古来から受け継がれてきた信仰と精神性を感じ、その奥深さに感嘆した。伊勢神宮には125もの宮社があるが、その一つ一つを取り囲む山、川、田、町、そこに住む人々の営みにこそ、伊勢の神々の姿が映されているように思う。伊勢から日本を見返すことで、この国と人々の深層が垣間見える気がしてならない。更に日本を知るためにも、これからも度々伊勢を訪れたいと思う。
福永 壮志(Fukunaga Takeshi) 映画監督
https://takeshifukunaga.com/
【滞在期間】2022年10月9日〜10月18日
※この記事は、「伊勢市クリエイターズ・ワーケーション」にご参加いただいたクリエイターご自身による伊勢滞在記です。
伊勢での滞在を終え、滞在記をお寄せいただき次第、順次https://note.com/ise_cw2020に記事として掲載していきます。(事務局)