伊勢滞在記 安野太郎
過去のメールを見返すと、伊勢クリエイターズワーケーションの事業に応募したのが、2020年9月5日だった。今回の滞在が2022年8月2日から8月10日なので、ほぼ2年越しの実現となる。この2年のあいだに自分の環境はずいぶん変わった、2年前は埼玉県さいたま市に住んでおり、コロナが原因による仕事の延期などで、あまりやることもなく、何を血迷ったのかYoutuberをはじめてみたところだった。この事業への応募も伊勢で毎日動画を投稿するとかそんなことを書いていた気がする。現在僕は名古屋に住んでいる。自宅から伊勢までは車で1時間半くらいの簡単に行ける距離にあるが、このワーケーションを意識して三重県に行くことを我慢していた。
いよいよ実現したワーケーションだが、2年前の目的は現在の僕にはなく、今回の滞在は、なにか目的に沿って行動するというよりは、風の向くまま、気のむくままに行動した。
以下、日を追って滞在記を書いていく。
8/2(火)
職場を20時くらいに出発し、21時半に二見海岸にあるホテルに到着、ホテルのレストランは閉店しており、まわりに夜ご飯を食べるところはどこにもないので、近くのコンビニでつまみとハイボールを買い、部屋で食べて飲んで風呂入って寝た。
8/3(水)
朝食を食べてから、本事業事務局の三宅さんとミーティング、伊勢市の観光案内と滞在中使い放題の“みたすの湯” (https://mts-ise.com/yu/)入場無料チケットをいただいた。その後昼までぼやぼやして、お腹が空いたので、夫婦岩の向こうにある夫婦横丁にいってお昼を食べようと思ったが、時間が遅かったのか、どの店もすでに準備中だ。腹を空かせながら少し歩いたら食堂があったのでそこで海鮮丼を頼んだ。エビが生きていた。その後、夫婦岩の神社を参拝して滞在中の安全を祈った。ホテルにもどり、ぼやぼやした後、少し読書をしたら夕方になったので“みたすの湯”に行った。サウナ3セット後、冷やし中華を食べてホテルに戻った。
8/4(木)
朝一で大学の前期最後のオンライン授業を終えた。学生のレポートをその場で読むコメント祭りだった。この授業は最初から最後までYoutube liveで行う授業だった。学生のコメントが活発で、僕にとってはとても楽しい授業だった。その後、採点とか成績入力の作業をしていたらもう夕方になってしまったので“みたすの湯”へ。サウナ3セット後、二見に戻る途中にある国道沿いの中華料理屋で天津飯を食べてホテルもどった。その後寝るまで読書。とある音楽に関係する学術書(翻訳もの)を読んでいたのだが、なかなか頭に入ってこない文章でとてもよく眠れた。
8/5(金)
二見滞在はこの日まで。今日から家族(妻、娘)と合流し外宮近くの旅館に泊まる予定だ。二見のホテルチェックアウト後、家族を迎えにいくために宇治山田駅へ。家族を車にのせて夫婦岩まで。神社を参拝し、みんなの健康を願い、夫婦横丁で伊勢うどんを食べた。その後すぐとなりの伊勢シーパラダイスにいった。セイウチのさんぽというイベントが圧巻。セイウチが口笛を吹くという事実をはじめて目の当たりにした。その後、外宮の紅葉軒(https://www.kouyouken.com/)にチェックインした。初日は家族で“みたすの湯”に行ってサウナ3セットの後、適当になにか食べて、帰って寝た。
8/6(土)
内宮を参拝。今までみてきた神社とはコンセプトがまるで違った。敷地内でヘビを見たりしてとても幸先よさそうな参拝だった。野生のヘビをみる事自体が人生で三度目くらいだ。その後伊勢市駅前を散策して昼食、郷土料理の手こね寿司を食べた後、宿でボヤボヤして、となりの銭湯へ。ミストサウナを3セットやって宿にもどり夜ご飯。宿のご飯が最高すぎてお腹いっぱいになってそのまま寝た。
8/7(日)
朝食を食べたあと、一旦僕だけ近鉄線で名古屋に戻る、愛知芸術文化センターで足立智美音響詩パフォーマンスを鑑賞するためだ。この日は伊勢に滞在しているから見に行けないつもりだったが、三重と愛知は近いのでその近さを確認するためにも見ておこうと思った。足立さんとは昔からの知り合いだが、こんなサービス精神旺盛(作品一つ一つを解説しながらパフォーマンスが進んでいった)な足立さんははじめてだったかも知れない。 今、愛知では国際芸術祭「あいち2022」が行われている。僕は今まで何度かこういう芸術祭に参加したり、観客として見に行ったことがあるが、今回の芸術祭は素直に楽しめている。今まではなんとなくひっかかりがあったままこの手のアートイベントに参加していたのだが、そのひっかかりがなんとなくわかった気がする。やっぱアートフェスって色々な意味で余裕があってはじめて楽しめるのではないかと思った。僕は名古屋に住んでおり、自宅から「あいち2022」のメイン会場までは30分だ。公演を見たあと、子供とショッピング楽しんだり、一つの公演を見るために伊勢を往復したりする金銭の余裕もある。さらに、家が近いので一日ですべて見ずともまた訪れることができる時間の余裕もある。僕は同時期に新潟で行われている「大地の芸術祭」に作品を出品している。「大地の芸術祭」は「あいち2022」よりもさらに広範囲でアート作品が展開されており、それをすべて見ることができる余裕とはどれくらいの余裕なのだろうかと考えてしまう。僕は大地の芸術祭で7時間のピアノ作品の音源を展示している。この7時間を全て聴く余裕のある人などいるはずがないことを知っていながら。7時間というダラダラした時間をアートフェスティバル批判として機能させられないかなと思ったけど、それを実現するためにはまだ僕の実力は不足している。 名古屋から伊勢にもどり、みんなで焼肉食べて、“みたすの湯”に行く。食後なのでサウナは2セット。
8/8(月)
外宮を参拝し、家族と別れる。この日からホテルが変わる。ホテルチェックイン後、ここでは絶対に書くことのできない秘密の仕事に集中する。夕方まで集中して、“みたすの湯”へ。サウナ3セット後、ホテルに戻り仕事の続きを行って寝る。
8/9(火)
もう出かけるのも飽きたので、一日読書と決める。この間読んで理解できなかった本を再び読む。やっぱりまだ良くわからない。「あいち2022」でみたスティーブ・ライヒのコンサートを体験して抱いた疑問に関するヒントがあると思って引っ張り出してきた本だったのだけど、分からないのだからしょうがない。音楽における作品概念を、哲学を引き合いに出して語る論文なのだけど、まだなんとなくしか分からなくて、消化できていない。端的にいうと、音楽における作品はどこにあるのか、楽譜にあるのか、演奏にあるのかとかその辺りのことだけど、こんなに難しく書く必要あるかね?と思ってしまう。しかし、テキストが悪いのではなく、僕の頭が悪いと思うので、また時間をあけて読んでみようと思う。分からないテキストを読んでいるのも疲れたので、今度職場で出版する教科書のテキスト添削を行う。さっきの本に比べたらこっちの本は言葉がするする入ってくるのでだいぶ進む。夜に“みたすの湯”に行く。毎日サウナ入るのもまずいのではないかと思ってこの日は2セット。その後、釜風呂。
8/10(水)
午前中はテキスト添削の続き。午後、伊勢の海でフィールドレコーディングを行う。今後作る作品に使うとかは特に考えていない。なんとなくワーケーションだからクリエイターっぽいことしなきゃなと思って持ってきた機材だ。フィールドレコーディングをするときは当然だが自分は音をだすことができない。できるかぎりじっとしていなければいけない。この静かな時間はなんというか“釣り”みたいだと思った。フィールドレコーディングの音をなにか利用するとか考えずにただフィールドレコーディングに行くのも、中国の哲学者が釣りをしながら世の色々なことに思いを馳せたようでいい感じだなと思った。釣りをした後は、“みたすの湯”へ。サウナ2セット、そして長めの炭酸泉後の水風呂。長めの炭酸泉後の水風呂はめちゃ爽快なので、ぜひためして欲しい。
8/11(木)
もう滞在もあと一泊だ。この日は風の向くまま気のむくままに行動した。外海が見たいと思ったので、レコーディング機材をもって南伊勢へ。伊勢とはだいぶ違う景色が広がっていてこちらもとても良い。いい感じの海岸をみつけたので、機材を持って浜辺へ。機材が釣り道具と間違えられているのか、ドローン?ヘリコプター?の監視がすごい(監視ではないかもしれないが)。機材を出したところで雨に降られてしまったので、車に戻り、雨をやりすごすために昼食を食べられるような場所をさがす。国道沿いに広がる入り江に、黄色いパトランプがクルクル回っており、「手作りピザ、入江」とあった。「ピザかぁ〜」と思いつつも手作りの看板が醸し出す怪しい雰囲気につられて中に入った。客も店員も誰もいないので「こんにちは」と挨拶すると、奥から店主が出てきた。「お兄さん、怪しげだね。」が店主の第一声だった。この店のほうがよっぽど怪しいと思うが…。サラミのピザとコーヒーを頼んでしばらく待った。内装は全て手作りで作られており、ベランダがすぐに入り江に面していて静かだしロケーションは抜群だった。しばらくしたらピザが出てきて、店主が斜向いに座る。よく自分のことを喋る店主だった。脱サラ後、何件か雇われ経営者をやったあと引退して南伊勢に住み着いたそうだ。30年以内に地震があるから、南伊勢の家は喫茶店にして自分は毎日原付きで松阪から通っているという。店を始めてからはまだ一ヶ月足らずらしい。組織で働くこと、今までみてきた天才経営者のことなど色々教えてくれた。最後に二人で写真を撮ったときに、「僕は指名手配者じゃないから、写真とってもいいよ」とか言ってくる。僕のことを指名手配者とでも思ったのだろうか…。とても面白い時間をすごした。また南伊勢にくるときまで営業していてほしい。雨が上がったので、店を出てさきほどの海岸へ、30分くらい「釣り」をして、伊勢に戻る。南伊勢から伊勢までは車で40分くらい。そのまま“みたすの湯”へ。
8/12(金)
朝食後に事務局の三宅さん、立花さんとのミーティング。ここに滞在できてとても良かったです。名古屋と伊勢は近いので、これからもまた交流できたらと思います。またちょくちょく来ようと思います。ミーティング後は最終目的地(前日に決めた)鳥羽市、神島(https://onl.sc/pAZBpX1)へ。神島は鳥羽の港からフェリーで40分ほどにある島。伊勢湾と三河湾の入り口にあり、それはちょうど三重の志摩半島と愛知の渥美半島につままれているように見える位置にある。
10時45分のフェリーに乗り、到着したのは11時25分。帰りのフェリーは15時50分。それが最終便だ。それまで何をして時間をつぶそうか。ひとまず八坂神社が名所だというので、案内板にしたがってすすむが、何段もある階段を登らされTシャツがびしょびしょになる。神社ではひとまず、今日を無事に終えられることができますように神頼みして、しばらく休みながら蝉時雨を録音。水を探すがどこにもない。しばらく歩くと灯台があるというので、案内板にしたがって灯台まで歩く。そこでも階段をどんどん登る。雲行きが怪しくなりちょっと雨が降るが霧雨なのでまだ涼しくて助かる。灯台には「恋人の聖地」とある。こんなとこまでくる恋人なんてもう出来上がっているだろう。神島は三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台になった場所だ。一応読んだことはあるが、べつに今回は潮騒の舞台を訪ねる聖地巡礼のためにここに来たわけではない。雨が上がって再び移動。灯台からしばらくあるくと、今度は監的哨(かんてきしょう)があるという。監的哨とは、旧日本軍の施設で伊良湖岬からとばした大砲の弾道を確認する施設だ。また雨が降ってきた。ラッキーなことに監的哨のそばには四阿(あずまや)があるのでそこで雨はしのげる。ここまで水を一切とれず、自販機もない。さらに、階段の上り下りで足がびっくりして筋肉が震えている。四阿で休んでいるうちに少しだけ気が遠くなってくる…。
なんで僕は神島に来たのだろうか。神島は僕が過去にはじめてきた三重県の場所だからだ。さかのぼること2007〜2009年くらい。この時期に僕は神島に来ているのだが、そこに至るまでには少し長い背景の話がある。当時僕は横浜に住んでいた。自由だったが、将来なにも見えなくて一番しんどい時期だったかもしれない。横浜では寿町というドヤ街にある簡易宿泊所を改装したホステルで、夜にくる客の受付担当などをやりながら、一日2食の食券をもらって無料の寝床で暮らしていた。そこでの生活で知り合ったYさんというカリスマホームレスがいた。Yさんという書き方は、イニシャルでボカしているのではなく、ほんとうにY(ワイ)さんと呼ばれていた。年齢はだいたい60代後半から70代くらい。その界隈では有名人で、ホステルにはよく出入りしていたし、僕ともよく話していた。寿町における貧困ビジネスの成り立ち方とか色々教えてもらった。知り合って1年以上たったある日から彼は突然寿町に来なくなった。なんとなく察するに何か寿町で問題をおこしたみたいで、近づきづらくなったみたいだった。しかし、なぜかよく僕には連絡がきて、電話が来るたびに桜木町のイセザキモールあたりでお茶をしたりしていた。いつも会うと寿司をおごってくれたので、お金の無い僕はほとんど寿司を目当てに会っていた。ホームレスを名乗っているのに、僕に寿司をおごる財力がなぜあるのかは謎だった。ただ、いつも大宮の誰と会うとか、沼津の誰と会うとか忙しくしている人ではあった。ある日またいつものように電話が来て、「パスポートを持ってJTBの前で待ち合わせ」などと言うので、たまたまパスポートを持っていた僕はJTBの前でYさんにあうと、彼はそのまま中に入り、バンクーバー行きのチケットを2枚買った。たしかゴールデンウィークの前だったはずだ。僕は暇だったので軽い気持ちでついていった。今思えば非常識だと思うが、当時の僕はあまり深く考えず、詮索せず、とりあえず付いていくことにした。GWがきて、バンクーバーに到着すると泊まる場所として案内されたのがバンクーバー郊外のアパートだった。中からでてきたのは、Yさんと同じくらいの歳の女性だった。話をきくと、Yさんの元パートナーだという。まさにその瞬間が30年ぶりの再会だったらしい。なんの連絡もなく伺ったにもかかわらず、女性はあまり驚くようなそぶりもみせずアパートに入れてくれた。こういう大事なことはあらかじめ言っておいてほしかったが、ついてきてしまったものはしょうがない。そこでは4泊くらいすごした気がする。アパートに住んでいるのは、Yさんのパートナーだけではなく、その娘さんもいた。つまりそれはYさんの娘さんということでもある。(元)家族水入らずで過ごせばいいものを、なんでそこに僕がいるのかとても謎なので、なんとなくバツの悪い思いをしながら過ごした。30年放っておいた家族と一人で会うのに気が引けて、だれか間にワンクッションおける人間が欲しかったのだろうと思うことにした。その役目を負ったが僕だ。滞在中は、僕が運転手になって、バンクーバーの街をドライブしたり、浅田真央、キムヨナの試合を見たり、娘さんとYさんにバンクーバーの危ないところを案内してもらったりして過ごした。若い頃のYさんは移民を積極的に受け入れるカナダにきて、どうやらなにかしらの事業をやっていたらしい、同じ時期に大橋巨泉とかもいたらしい。事業は上手く行っていたのだけど、なんだか燃え尽きたのか病気になったのかなにかで、突然蒸発して30年経ったということでした。娘さんの部屋にはYさんが昔出版した本や、Yさんが蒸発したあとに日本でおこした事業の新聞記事などを切り貼りしたスクラップブックなどがあった。Yさんは日本では電話一本でなんでも調べるサービスみたいなことをやっていた。インターネットの無い時代、それは人力の検索エンジンのようなものだった。そんな時代にこのサービスでお金を稼げると思い、それを実行して、カタチにして、それなりに続けた彼のバイタリティに恐れ入った。こんなYさんにバンクーバーの後に連れられてきたのが神島だった。そのときの訪問では、特に島を回るということではなく、島の民宿に泊まって、神島を拠点にしたビジネスアイデアを聞いたりした。彼は僕と会うときにはビジネスアイデアの小ネタを毎回話してくれたのだが(その中には犯罪に近いようなアイデアもあった)、決してそのアイデアを僕に実行させようとはしなかった。今思えば当時しんどい生活をしていた僕にこの世をサバイブするための知恵の種を与えてくれていたのかもしれない。本当のところ、Yさんは僕に彼のアイデアを実行してほしかったのかもしれないが、当時の僕に音楽とかアート制作以外のなにかをやろうとする力はなかった。Yさんとはもう8年くらい会ってないが、まだ生きているだろうか。 とまあ、こんな長い前提があって、僕は再びこの島にやってきた。再びこの島に来て以前やり残したことを回収しようとかドラマチックな展開ではなく、ただ来たというだけ。島に来てみたらたくさん時間ができたので、島を一周してみているというだけだ。
目覚めたら雨があがっていたので、更に先にすすんだ。ここからは多少下りのある道だったが、それでも足の筋肉は震えていた。あまり立ち止まると前に進む気力が失われていくのでとにかく前に進む。次に現れたのはカルスト地形。石灰岩が雨水などの侵食で形成された地形だ。そこには浜辺まで降りることができる階段があった。階段にいた無数のフナムシを掻き分け、浜に降りると休憩がてら降りてマイクをとりだして「釣り」をした。
再び雨が降ってきたが雨風をしのげる屋根がないのでもう覚悟を決めて先を急いだ。あと、1kmくらいでゴールらしい、もう急な階段を登るような体力はあまりないが進むしかない。さっきの浜辺では無数のフナムシを掻き分けたが、次の道は木々に囲まれた森の道で、そこには大量のセミがいた。僕があるくたびにセミがおどろいて「キキキ」といって逃げていく。しかし、セミは僕が一人だとわかったからなのか、こんどは一匹が威嚇(あきらかに鳴き音が違う)をはじめ、その威嚇を合図に、四方八方からセミがあらわれては僕にぶつかってきたので、たまらなくなった僕は走り出してなんとか森を抜けた。森を抜けた先で、案内板がしめすゴールの港までの道は、胸の高さまで草が多い茂るしげみをかきわけていかねばならない道だった。島一周の道がこんなに険しいはずないと思っていた僕は半袖半ズボンにサンダルだ。普段だったらこんな道通りたくないが、とにかく帰り道はそれしかないので、進む。そのみちを抜けてやっと出てきたのが神島の漁港だった。やっと水が飲める。お食事処と書いた看板のいえのドアをあけて、店がやっているのか尋ねると、僕の目をみながら何も話さないおじいさんが一人。何度聞いても、僕の目を見ながら一言も話さないので、この店はあきらめ、その昔Yさんと泊まった民宿に入った。そこで食べたタコ飯ランチは本当に絶品だった。前に来たときは刺し身が荒々しい切り方だったことを覚えているが、このランチについては魚の切り方が洗練されていた。戻ってきた。やっと帰れることができる。民宿の休憩所で、帰りのフェリーを待ながら、googleマップを確認しつつ今日の島一周で起こった出来事を反芻した。それまでは気づいていなかったのだが、googleマップにはNova Six records という場所があった。
なんだろうか。音楽をやっている人がいるだろうか。そうだとしたら、島で育った人がやっているのだろうか?島の外から来た人がやっているのだろうか?島の外から来たのだとしたらどんな目的で来たのだろうか?Yさんにそそのかされた僕ではない音楽家がここで音楽をやっているのだろうか?それは違う世界線にあるもうひとりの僕なのだろうか? 真相を確かめるためにその場所に行ってみる。という野暮なことはせず、僕はフェリーに乗って神島を後にした。鳥羽に戻り、車に乗って家に帰るのだが、汗だくの服、土や草の汁、セミのおしっこがついた体をきれいにしたいので、再び伊勢に戻り最後の”みたすの湯”を堪能した。最後まで“みたすの湯”にお世話になった伊勢クリエイターズワーケーションでした。
安野 太郎(Yasuno Taro) 作曲家
【滞在期間】2022年8月2日〜8月12日
※この記事は、「伊勢市クリエイターズ・ワーケーション」にご参加いただいたクリエイターご自身による伊勢滞在記です。
伊勢での滞在を終え、滞在記をお寄せいただき次第、順次https://note.com/ise_cw2020に記事として掲載していきます。(事務局)