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「プロの音楽家」から見るClariSのカレンの卒業と音楽を続けることの難しさ

2024年9月1日、突如として筆者の心は打ち砕かれた。

推しのアーティストのひとりが卒業を発表したのだ。急転直下の事態であった。

知らない人のために少し解説すると、私が好きなアーティストとは”ClariS”である。

クララとカレンの女性二人組のユニットであり、アニソンをメインに活動している。代表曲は「魔法少女まどか☆マギカ」の『コネクト』、「リコリス・リコイル」の『ALIVE』などである。

デビュー時は中学生ということもあって顔出しNGで活動しており、その頃の記憶が深い人も多いのではないだろうか。

2020年にデビュー10周年を迎えたことを機に今では完全に顔出しをしている。

茶髪の子がクララ、黒髪の子がカレンである。

2024年現在では素顔のMVやテレビ出演に加え、ライブ活動など精力的に活動をしている。

直近では「魔法少女まどか☆マギカ」の新作映画でもある〈ワルプルギスの廻天〉の公開も(結果的に延期となったが)控えており、大型のタイアップとしてClariSの新曲が期待されていた。

私も10年以上のファンであり、ライブやイベントの多くに参加した。”ClariS”という物語を味わってきた人間である。

2024年10月には秋のライブが控えており、ClariS本人としても私達ファンとしても順風満帆な活動を迎える予定であった。

そう、そのはずであったのだ。

そんな状況下の中で発表された先の情報。ClariSのカレンの卒業発表である。

……最初にこの発表を見た時は信じられなかった。順風満帆なClariSの活動を辞めるという選択肢なんてあるはずないと思っていたためだ。

なぜ、と私の中に疑問が立ち巡り、同時に深い慟哭の淵に落ちた。

秋のライブを最後にもう彼女には逢えない、その事実は私の心を苦しめた。しかし、この卒業に納得してしまった自分もいる。下記の一文が理由である。

「私が育ってきたような」という言葉に彼女の人生の輝きを感じるが、それとは別にこの一文は私に彼女が卒業という決断に至るまでの苦悩と葛藤を読み取らせた。

さてここからがこの文章の本題となる。

私は末端ではあるがプロの音楽家に属する者のひとりだ。一応であるが、某楽器の奏者をやっている。プロなんてピンからキリまでであるが、私はキリ側の人間だ。そもそも音楽が本業ではなく、世間的には副業扱いで音楽を続けている。そのため専業の音楽家の方々とアーティストの皆さまには頭が上がらない。そんな私と彼等が同じ「プロ」という言葉で括られてしまうことに大変申し訳なさを感じているが、ここでは話の流れを分かり易くするために便宜上「プロ」を名乗らせて頂く。

そんなプロの私から見る「カレンの卒業」と「音楽を続けることの難しさ」が今回のテーマである。とどのつまり「お気持ち表明文」ではあるが、カッコつけてこんなタイトルを付けている。駄文であることはご容赦頂きたい。


音楽を続けることの辛さ

では本題に入り、先の一文を見てなぜ私が納得したかというと「音楽を続けるって辛いよね……家庭との両立なんて出来ないよね……」と日々感じているためである。むしろ卒業理由がこれで安心した。音楽性の違いとか不祥事が理由ではなくて本当に良かった。
読者の方にはまず大前提として「プロ」の音楽活動は修羅の道と伝えたい。

もちろん、音楽は楽しい。沢山の喜ばしいことがある。しかし、その代償に沢山の苦しみを背負う。

まず休日はない。プライベートを犠牲にしても稽古や練習に励む。遠征などの移動時間も馬鹿にならない。自分のような副業音楽家は尚更である。

次に精神の安定はない。音楽という果てなき荒野に終わりなどないためだ。CDの売り上げ、ライブの集客、SNSの更新、常に求められ続けるクオリティ。気の置けない事ばかりである。

加えて収入だって安定しているわけではない。仕事が少ない年度もある。昨今はマネジメント会社も難しいのか、全然仕事を持ってこない。そのくせマネジメント料はしっかり取られる。しかも値上がりしている。(これはうちのチームの愚痴です)
そもそも世の音楽コンサートの値段は安すぎる。ピアノ系のコンサートなんかひとり1000円台とかざらである。余りにも安い。あなたのその努力と技術が、その値段に見合うはずがないのに……
ClariS のコンサートだってそうだ。休みなしに2時間歌って踊って7000円弱。それを1日に2公演やる時もある。その体力と努力が信じられない。もっとお金を払わせてくれ。

……少し個人的な感情が入りすぎてしまったが、加えて音楽は愛憎と泥沼と嫉妬の世界である。

他にも要因はあるだろうが、上記の三重苦を踏まえると、どうしても今までのカレンが家族や家庭に専念できる環境ではなかったことがわかってしまう。

直近のClariSの活動では、短期間に3度の海外公演に参加していた。シンガポール・ブラジル・ドイツに行っていたため、長期に家を離れなければならなかったであろう。カレンがお付き合いしている方にも多大な負担を掛けていたに違いない。

それゆえに、カレンの卒業理由には納得をせざるを得ない自分がいたのだ。

カレンには音楽活動を続けてくれと言いたい。言いたいが、言えるわけがない(血涙)。
その苦労がわかってしまうからだ。

「暖かい家庭を築きたい」という夢のために音楽活動を辞めるということは、その夢と音楽活動が両立不可ということの証左である。

音楽が持つ業の深さを改めて感じてしまった。

だからこそ、同じ音楽の道を進む人間として、私はカレンの決断を心から尊重したい。

また、彼女の座右の銘は「目標は高く現実は確実に」であるから、より両立というものを避けたのかもしれない。

カレンには音楽なんてきれいさっぱり辞めて幸せな家庭を築いて欲しい!全てを忘れて、布団でぐだーっと寝ていて欲しい。好きなものも好きなだけ食べて欲しい。自分のために人生を使って、常に上を目指し続ける息苦しさから逃れて欲しい。


音楽を続けられることは奇跡

次にカレンの卒業を機に、音楽家としての自分をよく振り返るようになった。今更ではあるが、「音楽を続けられることは奇跡」だと改めて噛み締めた。

音楽を続けるには本人の努力や実力の他に、環境と運の要素が余りにも強いのだ。時間と金を湯水のように使うからこそ、自身の人生基盤が揺らぐと途端に崩壊してしまう。

才能に溢れていたのに、家族の同意や賛成を得られず辞めてしまった人を見た。

かけがえのないパーカッションの技を持つ両腕が、今は義父の介護に使われている人がいる。

せっかく音大を出たのに定職に就けず、派遣労働を転々として魂を消費している人もいた。

一方では医師と結婚して有り余るお金と時間で悠々とした音楽ライフを送っている人もいる。

音楽を続ける上で最も必要なのは才能でも実力でもなく、時間と金と運だ。

そんな中で自分が音楽を続けられているのは幸運だし、ClariSの歌が聴けていたこと自体が僥倖だったのかもしれない。

思えば私の音楽ライフは幸運に満ちていた。大学卒業時にサークルの指導者に誘われ、現在のチームに加入した。理由は人手不足であったが、大学から音楽を始めたペーペーのくせに生意気である。

加入後も人手不足によってそれなりに起用して貰え、多くの実践経験を積むことができた。

プロの音楽家になるのに正規のルートがあるかはわからないが、明らかに私は邪道なルートで近道をしてプロになっている。加えて養うのは自分だけで良いという立場なので、金も時間もとりあえずは用意できている。

先の指導者こと我がチームのリーダーの身の上話を聴くと壮絶の一言である。楽器を持って単身アメリカに渡って武者修行。経験と人脈を稼ぎ、その楽器における世界初のプロプレイヤーとなった。若い頃はコンサートの運営や営業まで全て一人でこなしていたそうだ。その状況下でホワイトハウス公演や高貴な身分の方々と交流をしていたというのだから、心労は計り知れない。そして現在に至るまで専業のプレイヤーとして30年近く活動している。

対する私はリーダーのチームに乗っかって育てて貰っているので、お気楽この上ない。リーダーと出逢えたことが私の生涯一の幸運だったろう。

自分の状況が如何に運という薄氷を積み重ねた上に立っていたことに気付かされた。

そもそもClariSの活動が続いていたこと自体も奇跡なのだ。

ご存知の方もいると思うが、ClariSはすでに一回のメンバーチェンジを経験している。ClariSはクララとアリスという女の子によって始まったユニットであったが、2014年6月にアリスが卒業。同年11月にカレンが加入して現在の体制となった。今年で新体制になって10年になる。

アリスの卒業文

本来だったらアリスが卒業してから途絶えていたかもしれない10年であり、カレンがいたから偶然にも享受できていた10年であったのだ。

この奇跡と幸運を私は噛み締めている。

だからこそ、カレンから貰った奇跡を今度はカレンに返すだけなのかもしれない。
ファンのために使ってくれた貴重な彼女の10年間を、彼女の人生のために返す。それがファンにできる恩返しだ。

それでも音楽を続けるということ

そして最後に、苦しい状況下の中でも音楽活動を続ける全ての人を私は尊敬する。

特にひとり残されたクララの心情を想うと、得も言われぬ苦しみに襲われる。多くの苦悩が迫っていたはずだ。

しかし、彼女は音楽活動を続けることを選んだ。

▼「クララ」コメント(全⽂)

この度、カレンの卒業が発表されました。カレンが⾒つけた温かい夢を、私は全⼒で応援したいと思います。

私クララはこれからも変わらず皆さんに⼤好きな歌を届けていきます。この先のClariSもよろしくお願いいたします。

カレン卒業に際するクララのコメント(ClariS オフィシャルサイトより)

並大抵の覚悟ではないはずだ。音楽に人生を懸ける人間の匂いがする。

だがその姿こそ美しいと思ってしまう。2度の別れを乗り越えて進み続ける彼女の背中に、音楽家として尊敬の念が尽きることはない。

自分が同じ立場であったら、と思うと恐怖で足が竦む。
もし私の今のチームが解散となったら、私は音楽を続けるだろうか?

答えは否だ。

私は今のチームだからこそ好きであり、今のリーダーに技を教わりたくて音楽を続けている。今のチームならばどんな苦しみも乗り越えられるが、他のチームならそうはいかない。

所詮自分にとっての音楽活動とは周囲の環境に支えられているものだ。

しかし、クララは違う。たとえカレンと離別しても、自身の基盤の半分を失っても音楽の果て無き荒野を進み続けるというのだ。

人間賛歌は「勇気」の賛歌であり、人間のすばらしさは勇気のすばらしさである。

荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険1」より

この黄金の輝きを前に、私は彼女の人生が燦々たるものであることを祈っている。彼女には安らかに歌を歌い続けて欲しい。ひとりのファンとして、音楽家として、ずっと応援し続けたい。

残り少ないクララ・カレンとしてClariSの活動日数ではあるが、そのすべてが幸せであることを草葉の陰から願っている。


終わりに

音楽を愛し、活動を続ける人すべてが美しいと思う。さんざん音楽活動をネガキャンしたが、それも愛の裏返しだとみなしてほしい。

多くの人を狂わせ、多くの人を熱狂させる音楽のパワーの大きさを改めて実感するばかりである。

読者の方々はたとえ自分の推しが音楽を辞めたいと言っても、それを受け入れて欲しい。音楽を続けているというだけで無条件に立派で、素晴らしいことだなのだから。

そしてそれでも音楽を続けてくれる推しに精一杯の愛を届けて欲しい。私みたいな音楽家の末端からしても、ファンの方々の言葉は何であっても嬉しいものだから。

ClariSと全ての音楽を愛する人に幸あれ。

上記を持ってこの文章の締めとさせて頂きます。駄文失礼しました。








以下は本筋に関係ない追記となります。自分語りになってしまうので、興味の無い方は無視してください。

音楽とモチベーション

正直なことを申し上げると、私が音楽を続ける上で他者の存在は大きなモチベーションになり得なかった。

無論、応援してくれるファンの方々やいつも支えてくれる家族のため、という想いはあるのだが、大したウェイトではない。せいぜいモチベーション全体の2割くらいだろう。私の音楽を続けるモチベーションは、ひとえに「上手くなりたい」という想いだけであった。

世界一のチームで、世界一のプレイヤーに囲まれ、世界一の技を教わる。そうして自分の課題をクリアし、めきめきと上達していくことにモチベーションを感じていた。私は完全に「自分のため」に演奏をしていたのだ。

だが、今は違う。ClariSから音楽を通じてもらったものを、私も音楽を通じて返したいと考え始めるようになったからだ。ClariSのため、ひいては他者のために私は演奏をしたい。こういう想いが音楽表現の世界の第一歩なのかもしれない。

カレンとの別れの慟哭も自分の糧として、音楽表現に使ってみせます。哀しみを踏み越えて、全てを自らの演奏に昇華させて、これからもクララのように音楽の道を歩み続けたいと思う。そう思えただけでも、この別れには意味があったのだと考えたい。

以上名もなき音楽家の戯言でした。

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