だれかを推すという狂気

桃鈴ねねというVTuberは、本当に不思議なひとです。
周囲から陽キャと言われるかと思えば本人はずっと陰キャだったと言うし。
底抜けに明るいかと思えばけっこう頻繁にヘラるし。
男子小学生のような笑いのツボを持っているかと思えばアイドルVTuberとして最高のパフォーマンスを見せてくれるし。

実際のところ、漫画のキャラクターではないのだから、一言で言い表すことができる性格なんてしているわけないにせよ。
ねねちのように、まるでミルフィーユみたいに何重もの性格を重ねあわせている人は、そこまで多くないのではないかと思います。
もっとも、人前に出ることが多いアイドルや芸能人といった人は「表と裏」みたいな顔があるでしょうし、それをいえば私みたいな一般人であっても、家にいる自分と会社にいる自分が同じだとは思わないので、誰しも適材適所な仮面をかぶって生活しているのでしょうけれど。

この約4年間の配信者としての活動のなかで、ねねちがどうありたいか、どういった自分を見せたいか、どういう自分になっていきたいか、我々はその真意をはかるすべはないので、言葉の端々に出てきた夢や希望、大小さまざまな目標を応援することしかできません。

要するに、何もわからないのです。少なくとも、私には。

彼女が普段何を考えて生活しているのか。何が楽しくて何が不安なのか。今何が起こっているのか。

「そんなもの気にせず、表に出てきた推しだけを応援していればいい」ときれいごとを言うのは簡単ですが、そんな簡単に割り切れない程度には、私はねねちのことを好きになりすぎているようです。

けれどもちろん、現実には絶対そのラインには届かないので、それがもどかしさやモヤモヤにつながっていくのだと思います。

だったらどうするか。結局、そのモヤモヤに蓋をして見ないふりをするか、それがそこにあるものだと諦めて付き合っていくしかありません。
どっちの振る舞いが正しいとかそういうことではなく、自分と推しの関係性として、自分にとって一番居心地のいいやり方を見つけていくだけのことです。

テレビに出ているアイドルや芸人やその他たくさんのタレントが聖人君子ではないように、インターネットの向う側で活動している配信者たちもまた聖人君子ではなく、ただの人です。

ただの人が、ただの人を応援する。冷静に考えたら、それってかなり凄いことですよね。
推し活なんて言葉に押し込めなくても、「だれか」のことを応援している人はこの世にたくさんいます。
血の繋がった家族や苦楽を共にした深い友人とかならともかく、ふとディスプレイ越しに見かけただけの人のことを好きになって応援したいなんて、ちょっとした狂気です。
文字通りファンなわけです。

どうせ狂気にさいなまれるなら、いっそ行くところまで行きたい。
ホロライブ所属のアイドルVTuber桃鈴ねねが今後どうなっていくにせよ、その生を見届けたい。
まるで一貫性のない、明るさと暗さが同居する彼女の人間らしさも。
ねねちを推していく中で、自分だけコメント読まれないだとか、グッズ満足に買えないだとか、チケット当たらないだとか、「他の誰か」と比較して蓄積されていく自分の中のモヤモヤも。

すべてひっくるめて、その狂気と付き合っていく所存です。
ここまできたら、もう。

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