【崩壊:スターレイル】ルアン・メェイと「進化論」のシナリオ考察
この考察の執筆は2024/09/19(v2.5リリース直後)です。
冒頭にv2.5開拓クエストの最終盤に関する微ネタバレを含みます。
崩壊:スターレイルにおける哲学的引用
v2.5開拓クエストの最後でルアン・メェイに触れられたので、一つ考察してみたいことがある。それは、「進化論」に関連する理論がどのように「崩壊:スターレイル」というゲーム内に取り込まれるか、という点である。
スターレイルのシナリオは、当時のSF界隈である程度支持を得ている理論や思想から多くの引用が見られる。直近のピノコニーの例では、映画『インセプション』から多くのアイデアが取り入れられている(もっとも『インセプション』も、それ以前の多くの作品から着想を得ている)。また、公式YouTubeチャンネルで「星穹講座」という各界の権威と対談する番組を制作していることからも、その姿勢が伺える。要するに、スターレイルは他の分野の難解な哲学的コンテンツを、エンタメとしてわかりやすく噛み砕いてゲームに落とし込んでいるのである。
ルアン・メェイと「進化論」
このような傾向を踏まえると、ルアン・メェイが関連するシナリオで「進化論」がフィーチャーされることは十分に考えられる。「進化論」といえば、チャールズ・ダーウィンの「自然選択説」が有名であり、現実世界でも広く受け入れられている理論である。また、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』では「生物は遺伝子の乗り物である」という少しSF的な捉え方がされており、このようなアイデアは、スペースファンタジーであるスターレイルに非常に相性が良いと感じる。
ルアン・メェイの遺伝子研究と星神の関連性
ここからは完全に妄想の領域だが、星神や運命を「遺伝子」、派閥や運命の行人を「生物」と捉えると、ルアンの遺伝子研究はそのまま星神に関する研究を意味することになる。ゲーム内で星神はビジュアライズされているが、それは我々が認識しやすくするための仮初の姿に過ぎない。ルアンが目指す「遺伝子=星神」の解明は、最終的に何をもたらすのだろうか。一例としては、ゲノム編集が考えられる。つまり、自分にとって有利な星神を作り出すことが可能になるかもしれない。
自由と遺伝子の束縛
ただし、この「有利な星神」というのも、結局はその「自己」に内在する遺伝子(=星神)に基づくものである。この点に関しての「見落とし」を、物語の展開として利用できるのではないだろうか。例えば、「千の星を巡る紀行PV」でスクリューガムが「自由意思」というキーワードを口にしていたが、その「自由」が実は限られた範囲内での「自由」に過ぎなかったという結末は、個人的に納得感がある。また、「自由」を認識することは、「不自由」を同時に認識することに他ならない。もし「不自由」を体験したことがなければ、「自由」そのものを認識することはできないのだ。この二律背反の関係を生命に結びつけると、「生」と「死」に通じるだろう。そして、ルアンは「自由」や「生死」の概念を認識してしまう以上、彼女は生物としての限界、つまり檻から出ることができない。ここに「生物 || 絶対に超えられない壁 || 星神」という構図が生まれるのだ。ルアンは、この壁の前に一種の諦観を抱き、「調和」のもとに作られた「遺伝子プール」の中を今日も泳いでいる。しかし、このシナリオは一般にはあまり受け入れられないかもしれない。20年代の商業エンタメに求められるのは、もっと夢や希望を抱かせる展開だからだ。
ルアン・メェイが星神になる可能性と彼女の選択
ルアンが新たな星神になる可能性が提示されるというルートも考えられる。このシナリオでは、ルアンが星神を解明し、自身を星神へと昇華させる方法を見つける。しかし、彼女は生物としての存在を保てなくなり、単なる記号になってしまう。そこで彼女に迷いが生まれるが、主人公の存在が彼女を救う。ルアンは、生物として留まることを選択する。その理由は、主人公と楽しく会話したり、お茶を飲んだりするという素朴な欲求からだった。この欲求もまた、調和という運命(=遺伝子)の束縛から逃れられないものではあるが、今この瞬間に幸せを感じられるなら、それで良いのではないかとルアンは思うのだった。
(おわり)
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