I'll Close My Eyes ジャズスタンダードの深堀 : リズムラボ

 "I'll Close My Eyes (アイル・クローズ・マイ・アイズ) "は、イギリスの作曲家兼バンドリーダーの Billy Reid (ビリー・リード) が1945年に発表した曲でした。
 リード氏の原曲にアメリカ合衆国の作曲家である Buddy Kaye (バディ・ケイ) が歌詞をアレンジした録音が一般的となりジャズのスタンダード曲となりました。

作曲と録音

 
 この曲の元々の歌詞は後悔の歌となっており、テーマの詩には、

"愛は私のもの、あなたは私にチャンスをくれた、でも私の心は満たされず、私はロマンスを失った...”

 メインのリフレインは「目を閉じよう」で始まり、「君だと信じよう」と続きます。

歌手が愚かにも愛を失ってしまい孤独の中で目を閉じて彼女を想像するしかない。

 というテーマに繋がっていきます。
 これがビリー・リードのオリジナルの歌詞の流れで、ビリー・リードと親交のあったイギリスの歌手、Dorothy Squires (ドロシー・スクライアーズ) によって録音されました。


 発売後すぐに、アメリカ合衆国の作曲家、 Buddy Kaye "バディ・ケイ" によってビリー・リードの曲に新しい歌詞が付け加えリリースされます。
  新しい歌詞の影響で曲調は一転しより明るいものになりました。

 曲の最初のフレーズの「瞳を閉じよう。」はそのままで、「...あなた以外のみんなに」と続きます。
 この歌詞では歌手が常に忠実で、

他のどんな誘惑にも心を閉ざし、
私たちが離れている時でも、
どれだけの時が経ったとしても、
私はこの愛に忠実である為に瞳を閉じるでしょう。

と進めていきます。
 このようにして、このアメリカ合衆国での楽曲は、原曲の「喪失の歌」ではなく、長続きすることが期待される関係において忠実であることを約束するものとなりました。
 この形で、多くの音楽家が後にカバーをしていく事になります。

 この曲がリリースされたのはちょうど終戦の年である1945年。日本では昭和20年でした。戦地に赴き離れ離れになる人々の「不安」に対しての「良薬として処方された音楽」という面を感じずにはいられない様に思います。

 これを書きながらふと気づいたのですが、イギリス視点の第二次世界大戦を全くと言って良いほどに知らない事に気付きました。
 まだまだ勉強できる領域がありますね、、。ガンバリマス、、!


ドラマーでみるジャズ・スタンダードの I`ll close my eyes

 最初はドラマー Ed sigoen (エド・シグペン) の録音。ブラシワークの達人のエドらしく素晴らしくお洒落でクリアな録音になっています。



おわりに

 この曲を色々と調べてみた所、日本人のジャズを演奏する方の多くがこの曲に親しんでいる事があらためてわかりました。

 英国と米国で異なる世界観をもってリリースされた楽曲の I`ll close my eyes 7, 80年前の楽曲が演奏されている事も面白く思いますし、今から80年後にこの曲がどうなっているのか。私はおそらく見る事は出来ないですが、どうなるのか知ってみたいものです。

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Isao Cato
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