見出し画像

僕とモカのお正月



昨晩の吹雪が嘘のように晴れ、
久しぶりに雲一つない青空。
太陽の光は1メートル近く積もった新雪を
キラキラと光らせていました。
この年は12月だというのに
大寒波がやってきて、
毎日のように雪が降っていました。
そんな中を、長靴を履いた僕は、
ミルクのたっぷり入った
大きな哺乳瓶を左手にもち、
もう片方の手に持ったスコップで、
雪をラッセルしながら大学病院の
入院室に向かいました。
ドアの前には、
昨晩の風で60cmほどの雪が
吹き溜まっていました。
ミルクが冷めないように上着を雪の上に広げ、
その上に哺乳瓶を置き、
空いた両手でスコップをもち、
ドアの前の雪をかきました。
ドアを開け  「おはよう」
僕の姿を見た“モカ”はゆっくりと立ち上がり、
鼻から白い息を出しながら、
ピョコタンピョコタンと近づいてきました。
鼻を僕のお腹に押し付けて甘えてきます。
今日は熱もなく調子のいい様子。
“モカ”は生後6か月のサラブレット。
生まれつき体が弱く、
ミルクの飲みも悪い体の小さな仔でした。
そのうえ2か月前に右前足を骨折し、
ギブスを巻いていました。
この仔の担当は僕です。
名前もなかったため、
きれいな栗毛から僕が“モカ”と名付けました。
今から30年以上前の大学時代の話です。

まず哺乳瓶でミルクをあげます。
もう離乳の時期なのに、
まだまだ飲むのが下手で、
調子よく飲んでいたと思うと、
ゲホッと鼻と口から
ミルクを吹き出したりしました。
20分ほどかけてゆっくりと飲み終えると
体中をタオルで拭きながら
マッサージをしてあげます。
特に鼻の穴と耳の穴を拭いている時は、
目をつむりとっても気持ち良さそうです。
この日は体調が良さそうなため点滴をやめ、
雪の中を散歩しました。
気温はマイナス10℃、
だけど太陽の光が気持ちいいのか、
モカは僕の後ろを
'ピョコタンピョコタン'ご機嫌についてきます。
ギブスがとれれば
もっと自由に駆け回れるのに・・・
春には一緒に走ろうね。

僕は馬が大好きです。
初めての馬の治療は“モコ”、
初めての乗馬を教わったのは
アラブ種の“ケイシュウ"

18さいの僕と"ケイシュウ"

初めて調教したのは木曽馬の“さくら”。
僕をけったシマウマ、
削蹄が大変だったロバ、
僕と一緒にたくさんの子供を乗せたポニー、
お尻をよく噛みつかれたミニチュアホース
僕に小遣いを与えてくれた“シンボリルドルフ”
僕の小遣いをすべて奪い取った“ゴールドシチー”
僕は今までたくさんの馬たちと
付き合ってきました。

馬は普段とってもやさしいのに、
時々意地悪したり、
時には甘えたり・・・
とっても賢く、楽しい動物です。
信頼関係ができると
本当の相棒になることができます。
面長の顔・長い首と長い足・引き締まった筋肉
第3指を残し他の指が退化した堅い蹄。
走るために特化した体は美しく、
たてがみをなびかせ、
全力で走っている姿は
見るもの誰をも魅了します。

何回も落とされました


馬は人間との付き合いも長く、
軍用・運搬用・農耕用・乗馬用として
人間の発展には欠かせない生き物です。
鍛え抜かれた体も美しいのですが、
あの優しい目も僕の心をわしづかみにしました。
顔の横についた目の視野は350度もあります。
そのため頭を動かさなくても、
真後ろ以外は見ることができます。
長時間走るために
とても強靭な心臓を持っています。
一般的に、哺乳類の心臓の筋肉は、
下から上へ向かって収縮して
血液を全身に送るのですが、
馬の心臓は大きく、
全体が同時に収縮するため、
血液を力強く効率良く全身に
送ることができます。
心臓の動きも休んでいるときは
静か(血圧)で回数(脈拍数)も少ないのですが、
走り出すと激しく早くなり
全身に大量のエネルギー(血液)を
送ることができます。
いつでも走り出せるように立って寝ますが、
安心な場所では横になります。
食べ物は草が主食ですが、
大の甘党でリンゴなどが好きで、
特に角砂糖が大好きです。
僕もさくらの調教終了時に
ご褒美で角砂糖をあげたりしました。
馬は、人間以外で汗をかくことのできる
数少ない動物のひとつです。
乗馬の後は、首・鞍の下・脇・太ももの内側などがびしょ濡れになります。
乗馬後の手入れはこの汗を
拭いてあげることから始めます。
夏の暑い時期はホースの水で
全身を洗ってあげたりもします。

馬の世話で大変なのは削蹄。
馬の蹄は常に伸びるため
定期的な削蹄が必要です。
この削蹄を失敗するとそれだけで
病気になることもあります。
逆に大成功した例もあります。
地方競馬から三流の血統ながら、
中央競馬にでて大活躍したオグリキャップは、
子供の時は自力で立てないぐらいの障害を
足に抱えていました。
しかし、足の形に合わせた適切な削蹄を
することにより足はすっかり治り、
ついに“芦毛の怪物”と
呼ばれるほどになりました。
馬にとって立てないことは死を意味しており、
この怪物オグリキャップも
転倒による複雑骨折で、
残念なことに安楽死となりました。
足で救われ、足で命を失う数奇な運命です。

年末になるとやや寒波も緩み、
暖かい日が続きました。
少しでも太陽が出ると
"モカ"と"僕”は散歩を楽しみました。
“モカ”は体が小さく体重が軽いので、
ギブスで固定した足でも
体を支えることができました。
しかし、雪の上ではギブスが滑るため、
彼は体を常に僕にくっつけ、
僕の体が彼の足の代わりとなりました。
この時期の彼は食欲もあり、
少しではありますが
牧草を食べるようになりました。
このまま元気になれば、
春までにギブスがとれるかも・・・。

年が明け、新しい年を迎えました。
しかし、新年は大雪で始まり、
彼を薄暗い入院舎からだすことができません。
松の内の頃には呼吸の状態が悪くなり、
再び点滴の日々となりました。
僕が行ったとき以外は
ほとんど座っているらしく、
お尻には床ずれが。
体をひっくり返し、
敷き藁でのマッサージをします。
全身のマッサージの後、
首をひっぱって無理に立たせます。
ふらふらしながら何とか立っていますが、
毎日立てる時間が減ってきます。
この時の僕は、
太陽さえ出れば“モカ”は元気になると
信じていました。
新しい年になり半月ほど過ぎました、
“モカ”は何も食べなくなり、
ここ数日はミルクをほんの少し飲んだだけです。
この日の朝は快晴でした。
太陽の光は雪を照らしていました。
僕はあまりのまぶしさに、
目を細めながら両手にミルクと点滴セットを
持ち“モカ”のもとに向かいました。
「おはよう」
ドアを開けるといつものところに
"モカ”はいません。
小さな窓の前で、
太陽の光を受け立っていました。
そして、僕を見るとゆっくり近づいてきて
頭をスリスリ、
お腹が空いたのか半分ほどではありますがミルクをゴクゴクと飲みました。
「散歩するか?」僕がいうと、
「ブㇽㇽㇽ・・・・・・・」モカが鼻を鳴らしました。
陽の光を浴びながら、
僕たちはゆっくりと病院の周りを1周しました。
「雪が解けたら一緒に走ろうな」
頭を上下に振りながら「ブㇽㇽㇽㇽ・・・・」
その日の午後から再び雪が降り出しました。
夜にはすべての音を消し去るのではないか
というほどの雪が降っていました。
翌朝は風も吹き猛吹雪でした。
スコップで道をつくりながら
モカの所へ向かいました。
ドアの前の雪をどかしドアをあけました。
「おはよう」
モカはフカフカの敷き藁の上で
横たわっていました。
「おはよう」もう一回、
さっきより少し大きな声で・・。

モカは2度と陽の光を見ることは
ありませんでした。

今頃、天国で思いっきり走っているでしょう。

今年はあれから30年目のお正月、
“モカ”の優しいまなざしが思い浮かびます。


いいなと思ったら応援しよう!