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金本位制への復帰を決めたことは人生で最大の失敗 ゴールド114
1931年にイギリスが、1934年にはアメリカが、そして、ついにはフランスが1937年に金本位制から離脱した。
金本位制からの離脱により、それぞれの通貨は金から自由となり、平価は切り下げ -金の価格は高くなる- られた。
金の産出量は増加した
このころ、金の産出量は増加した。そのため、1939年までに世界の貨幣準備としての金は通貨を100%金貨に置き換えられる量に達していた。金があり過ぎるように思えて、どう使えばいいのか誰にもわからなかった。無難な唯一の解決策は、合衆国に金を送る -合衆国はあらゆる金を1オンス35ドルで買い取った- ことだった。
金の雪崩れ
1913年には世界の貨幣用の金の23%、1929年には38%が合衆国に預けられていた。しかし、第二次世界大戦が勃発した1939年には60%もの金がアメリカに預けられていた。
金が大量に産出されたため、合衆国に35ドルで金を売れるだけ売っておこうということで金は合衆国に流入した。しかし、雪崩れのごとく金が合衆国に流入したのにはもう一つの理由があった。
それは高まる政治的不安だった。ヨーロッパでは、ヒトラー、ムッソリーニが不穏な状況を作り出していた。そのため、ヨーロッパ大陸からアメリカ大陸へ金を運ぶことが理にかなっているように思われたのだ。
そして、合衆国は金を受け入れ続けた。嵐が過ぎ去るまで静かに保管しておくために、貨幣は適正な水準を超えて合衆国にたまり続けた。
最初からすべてがうまくいっているときだけ
イギリス、アメリカ、フランスが金本位制から離脱し、ついに、金本位制は崩壊した。世界は、第一次世界大戦の勃発後に実施された兌換の禁止へと立ち戻ったのだ。
貨幣の歴史のなかで、金本位制ほど単純で簡潔なシステムはなかった。そのため、第一次世界大戦によって見る影もなく変わってしまった世界に金本位制を再建できると多くの人が信じた。しかし、イギリスはその単純な決定によって未曾有の経済的苦悩にさいなまれていた。
では、なぜほとんどの人がイギリスの事例から手遅れになるまでに学ばなかったのか?
金によってすべてがうまくいくのは、最初からすべてがうまくいっているときだけだったからだ。これが、1895年のディズレーリの主張、「イギリスの金本位制は商業的繁栄の原因ではなく、結果である」の真の意味だった。
チャーチル、ノーマン
チャーチルは晩年、金本位制への復帰を決めたことは人生で最大の失敗だと考えるようになっていた。
ノーマンは次のように述べている。
「過去を振り返ると、こんな思いにとらわれます。われわれは考え、働き、良かれと思って行動したにもかかわらず、まったく何も成果をあげられなかったのだと。全般的に見て、私がしたことも、老いたベン(ストロング)がしたことも、何の意味もなかったのです」
ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン