金本位制は法律となった ゴールド80
明確な市場が必要
地金委員会は明確で徹底的な市場を推奨した。
そして、1811年、フランシス・ホーナーは地金委員会の提案を実行するために下院に決議案を提出した。
決議案
その決議案は具体的な2つの勧告によって締めくくられている。
①イングランド銀行は紙幣の発行総額を調整するために、金地金の価格はもちろん外国為替の状況にも注意を向ける義務を負うこと。
②できるだけすみやかに銀行券の保有者がいつでも正金による支払いを受けられるという原則に戻すこと。
ナポレオン戦争
しかし、この決議案は大差で退けられた。その議論の全てに説得力があったにも関わらず議会は否決したのだ。
実は、地金委員会は冷厳な現実を全く無視していた。その冷厳な現実とは、イギリスがナポレオン戦争を戦っていたという現実である。
この現実のもとで、政府にとって最も重要な財政上の目標は軍費調達だった。つまり、政府は貨幣供給 -1810年から1815年までの間にイングランド銀行による政府証券の保有量は2倍以上になっていた- に少しのブレーキもかけたくなかった。
政府は地金委員会の勧告を「我が国は、戦争を続けるよりも平和協定に従わなければならないという宣言に等しい」と激しく拒絶した。
物価は戻った
その後、いくつもの危機が訪れ、インフレが進み、デフレにさえ見舞われた。そして、ようやく1821年、議会は銀行券と金の交換を再開した。その時までに物価は1797年の水準まで完全に戻っていた。
※大きな戦争のあとに起こった通常の長さのデフレによって、物価は元に戻っていたのだ。
金本位制は法律となった
金による完全な支払いが回復し、新しい金貨であるソブリン金貨も発行された。
金本位制は承認された現実となり、法律にも記載されていた。このイギリスの金本位制はその後100年近くの間、世界の国々の模範となった。
ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン