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ゴールド 金と人間の文明史-39 エンリケ航海王子

金と商機を求める15世紀のヨーロッパ人はインドや極東に直接通じる航路を何としても見つけようとした。

その第一歩を踏み出して世界の発見に先鞭をつけたのはポルトガル人だった。

ポルトガルは小さな国で人口が少なく、中世の末にはヨーロッパでは最も貧しい国の一つだった。一方、海外線の長さはヨーロッパでは最も長かったこともあり、エンリケ航海王子は海を利用してポルトガルの力と影響を広げることにひたむきな熱意を注いだのである。


ポルトガル人の探検の目的は第一に金の発見だったが、それが全てではなかった。

15世紀の探検家は、誰もが異教徒を懲らしめてキリスト教に改宗させるための新しい十字軍のために遠征するのだと言った。

遠い土地の住人が黒い肌だと分かると、ポルトガル人はこの哀れな者たちを奴隷として連れてくれば改宗させるにも容易だし、安価な労働力の需要も満たせるので一挙両得だと考えた。

したがって、奴隷はあとからの思い付きで、いわば金属の宝庫探しの副産物だったが、それはしだいに重要になっていった。


エンリケ航海王子は1415年に軍事作戦を開始し、ジブラルタル海峡の真東、アフリカの北部海岸にあるムーア人の町セウタ -先ずは、地中海西部を航行する船を餌食にしていたムーア人の海賊からポルトガル本国を守る必要があった- を征服した。

セウタを征服したことで、エンリケ航海王子には魅力的な戦略が開けた。アフリカの金鉱が産出する金を海路でポルトガルまで運ぶことができれば、地中海に面した北部の貿易拠点までサハラ砂漠を越える長くて費用のかかる旅をしなくて済む。つまり、他のヨーロッパ諸国の裏をかくことができた。


なお、15世紀の船はラテン帆 -この技術が地中海東部で発明されたのは2世紀のことだったが、広く採用されるようになったのは中世になってから- を採用していた。

ラテン帆は三角形 -それまでは四角形の横帆で、船体に対して直角に取り付けられていた。そのため、船はほぼ真っすぐに直進するしかなかった- で、船体に対して垂直に取り付けられた。これで船を左舷から右舷へ向け、また戻すことができ、大きい帆船が初めて左右どちらの側からも風を受けられるようになり、帆船の航続距離は飛躍的に延びた。

このラテン帆がなければ、コロンブスはアメリカ大陸を発見できなかったであろう。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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