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#48 「美しいひと」を自分なりに初めて言語化してみた

物心がついた頃から20代半ばまで、わたしは自分の目やおでこがそれはそれはコンプレックスだった。
鏡をのぞいては落胆し、どうにかこうにかこの一重で小さな目を誰にもばれずにこっそりと整形できないかと、そればかりいつも考えていた。
クラスメイトの、無邪気で残酷的なからかいのターゲットになるのが嫌でたまらなく、広いおでこに前髪を撫でつけては、いつも俯いているような子供だった。

「整った顔で生まれなかったことで、わたしの人生はすでに終わっているのだ」と信じて疑わなかったし、アイドルや、同級生の中でもヒエラルキーのTOPにいるような子たちを見るたび羨ましいような、なんだか自分だけが間違ったカードを引いてしまった様な、情けない気持ちでいっぱいになった。

「学生時代の思い出は?」と聞かれると、そんなしょうもない事ばかりが浮かぶ。


人にはちゃんと生まれながらにして、その人だけの役割がある。と思う。
その役割を自分自身で見つけられなければ、役割が違う人のことを羨むことになる。
つまり比べなくても良いところで比べて、苦しくなるのだ。

多分わたしの顔面コンプレックスがまさにそれだった。
「今世、自分の役割は整った外見で世の中を明るく照らすことじゃない」と
気づいたのはもっとあとのことで、
そう自分の中にいる自分自身と折り合いがついた時、やっと「整形したい」という欲望からも解放された。

いまは小さな目も広いおでこも、それなりにまあまあ、愛らしいと思う。

「美しさ」を連れてくるのは、心地よいリズムなのだと思う

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