#61 人生を肯定する「生涯一度は持ちたい」と願った私のライカ | 伊佐知美の頭の中
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「人生で、一度は○○してみたい」とか、「この夢は必ずいつか叶えたい」とか。誰にでもそういう "生涯を通した憧れ" みたいなものってあると思うのだけど、ここ数年の私にとってのそれは、「ライカを持ちたい」だった。
人生一度は、「いつか」でいいからライカを持ちたい。
いつからその想いを持っていたか定かではないのだけれど、確かカメラを本格的に始めてしばらく経って、少し気持ち的な行き詰まりを感じ始めた2019年とかそれくらい、3〜4年ほど前だったのではないかと思う。
紆余曲折を経て、すでに手元にライカがある今だからはっきり分かるのだけど(あるんかい)、「ライカを持ちたい」。その気持ちを紐解くと、ただの所有欲、というよりも、「私の世界を打開してくれるきっかけのモノがほしい」「私の未来の可能性に輝きを添えてくれるカメラなのではないかしら」という「期待」がその想いの中心に在ったらしい。
結局私がライカを買ったのは、初めてライカへの憧れを抱いた時期から数年経った、2023年7月半ば、子どもが産まれる直前だった。このnoteメンバーシップの今夏のエッセイでも、買ったことについては少し言及したのだけれど、つまりはとても最近の出来事だ。
今は、スマホでも写真が存分に十分に撮れる時代。そもそも私はカメラ自体複数台持っているし(仕事道具でもあるので当たり前かもしれないけれど)、今持っているカメラが、じゃあ役不足なのかと問われると、そんなことはまったくない。プロ仕様の、それでもボディとレンズを合わせて総額30万円、40万円、いやそれ以上する機材たちが手元にずらりズラリとある。撮れる写真も動画も申し分ない。何か不満があるのかと聞かれても、やっぱりその機材自体に文句はない。
ではじゃあ、総額80万円ほどする私が欲しいライカのカメラを、どうしてそれでも手に入れたいと長い期間切望したのか。
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