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#42 寝て起きて食べる、ベースライフを手のひらに【伊佐知美の頭の中】

会社員だった頃、どうしても会社に向かうのが億劫な朝、というと大体毎日だったから、毎朝 KT Tunstall の「Suddnly I See」をかけながら通勤してた。

好きな音楽は世界にたくさんあるけど、その曲は、聴くだけで私の心を武装させ、「今日もきっと大丈夫」と思えるようにしてくれる気がしていて。

離婚した後、世界一周で独り異国の車や電車で駆け抜ける時は、しばらく決まって [Alexandros] の「Run away」を聴いて、どこまでも逃げ切れるような気持ちになっていた。追いかけてくる何かにつかまらないくらいの速さで、いっそ行けるところまで。

音楽以外にも、振り返ればいつだって「数ミリだけでも、数十秒だとしても、私を上向かせてくれる存在」を探して、そばに置くように生きてきた。

何も欲しくないコンビニエンスストアをうろうろしている時のことを、「人はいつだって自分を助けてくれるものを探している(意訳)」と表現したのは松浦弥太郎さんだったけれど、そうそう。

私たちは、いつだって自分を少しずつ強くしてくれるものを、探して生き続けているのかもしれない。

たとえそれが、最初は数秒のまやかしのようなものだったとしても。繰り返すことでいつか強くなれるから。

「君の『大丈夫』になりたい」と言ったのは、RADWIMPS の野田洋次郎さん。「大丈夫」と思える瞬間や経験、「大丈夫だった今日の私」を増やすことで、土台を固める練習ができるのかもしれないね。

たとえば私だったら、ネイルや髪色、ワンピースに主張を乗せること。

朝はナッツや穀物、ブラウンシュガーやハチミツなど体にやさしい素材をたっぷり含んだ、お気に入りのグラノーラを何種類か揃えて、ヨーグルトや果物、白湯と一緒にいただけるように用意すること。

誰にも届かないくらい、微かに香るアロマオイルのスティックを、私の人前に出る時の自信のために、必ず毎日持ち歩くこと。

ヘアケアは、リケラのエマルジョンと、Nドット。下着は黒か赤、白の上下セットで強くいく。

とか、今思い出しきれないくらい、36年間、は言い過ぎだとしても、高校生くらいから、たくさんの「今日や明日、その先が大丈夫になるために」の試行錯誤と取捨選択を積み重ねて過ごしてきた。

そして、この数年、私がまた一つあたらしい「大丈夫」の気持ちを得るためにトライしてきたのが、【同じ屋根の下で寝て起きて、3食食べてまた眠る】という生活の基本サイクルを取り戻すことだった。

そのために辞めよう、と決めたのは、ふらりと気ままに動きすぎること。当たり前かもしれないけど、「家」と呼べる場所を2つに絞ること。時差を超えすぎないこと(世の中的にこれは自然とできなくなったけど)。国内旅行に出るとしても連泊して、眠る天井を毎夜は変えないこと。

あとは好きなリネンとパジャマを探したり、同じ時間に(できれば朝早く)起きて、そのために夜更かしはしないよう心掛け、量は問わないから、3食または4,5食に分けてでも、しっかりと体と心が欲しがっている栄養素をその日、その日で美味しく楽しく摂取すること。

そういうことを、日々気持ちよく味わいながら繰り返したいから、しばらく捨て去っていた掃除や洗濯、食器洗いなどの「整える」家事もよくやった。

小さな自分との約束は、その日使った食器は、夜必ず眠る前に片付けるとか、猫がいる家の方は掃除機を毎日かけるとか、達成するためにルンバを買ったり、お茶タイムを美しい時間にするために、茶器も茶葉もお金に糸目をつけず揃えたり、とかだった。

そうやって暮らしてみたら、段々、だんだん、「好きな私」に近づくための輪郭ができていった。

最近なら、英語を続けること。のちちゃんと朝15分だけ、けれど毎日ウクレレを練習すること。猫と遊ぶ時間を10分ずつだけ(2匹いるので合計20分)でも確保すること。

そういえばウクレレは、最近急に「昨日できなかったことが今日できるようになった」経験が増えてきて、とにかく波に乗るまでは、「毎日続ける」ことの大切さを久しぶりに強く実感できている。

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