だって愛を信じている
売野機子:ルポルタージュ、ルポルタージュー追悼記事ー
2033年、東京のシェアハウスで大規模テロ事件が起こる。新聞記者の青枝と絵野沢は被害者たちのルポルタージュを作ることになり、取材を重ねながら故人の人柄へと近づき、同時に自分たちの内面を見つめていく。
舞台の日本は近未来だけれど、相変わらず婚姻制度は男女一対のパターンにしか認められておらず、その他のパートナーシップ制度も未整備のまま。未恋率は70%、恋愛は非合理的という認識が一般となり、恋愛関係を経ずに結婚する「飛ばし結婚」が若者から支持を得ている。
テロ事件が起こったシェアハウスもそうした背景のもと作られた「非・恋愛コミューン」という設定になっている。
青枝は作中、取材先で出会った青年國村とお互い一目惚れする。「飛ばし結婚」をした絵野沢の両親はその後母親に恋人ができたことで離婚する。
そんな各々の状況と並行しながら、非・恋愛コミューンの住人たちの多種多様な愛の形が作中で語られていく。作品の設定から必然的にアロマンティック、アセクシャルのグラデーションに近い登場人物が多く、それが肯定されることも否定されることもない。
絵野沢は先輩である青枝に憧れているが、その感情がどういう「好き」なのか分からない。分からないからキスしてみる。それでもやっぱり分からない。
そりゃあ いい香りがするなーとか
柔らかいなーとか 思いました
でも私 何も感じなかったんです
ドキドキとか ときめきとか
何も 感じなかったんです
絵野沢は自分の心が動かなかったことにショックを受け、自分自身に傷つく。
…だけど どんな気持ちにもならなかったんです
…私には 心が無いのかな 感情が無いのかな
身近な人が恋愛をしていても、自分にはその感情が分からない。
キスするような好きが何なのか分からない。
何が不安なのかと言えば、自分で自分が分からないこと。
絵野沢はアロマンティック、アセクシャルの気持ちを十分に代弁してくれている。
僕だってこの世から恋愛とセックスが滅亡することを願っているわけではない。それに限りなく近いところにはいるのかもしれないけれど。立場を明らかにするのなら、男女の恋愛とセックスと結婚と生殖こそが唯一にして至高、正解であり正義、というヘテロセクシズムの存在意義そのものが滅亡することを願っている。
ルポルタージュになった登場人物たちの恋愛的指向や性的指向は様々な形で、かつリアルに描かれていると思う。異性を恋愛的に、性的に愛さないからといって何も愛していないわけじゃない。色んな形があるというだけ。それだけのこと。
誰に恋をしているとか していないとか
その相手は聖先輩かもしれないし
そうじゃないのかもしれない
いつか誰かを好きになるかもしれない
それは 男性なのかもしれないし
女性なのかもしれないし
そのどちららでもないのかもしれない
でも今はまだ 分からないままでもいいんじゃないかって
ずっと分からないままでもいいんじゃないかって 思うんです
絵野沢は青枝に素直な気持ちを伝えた。
青枝の返事は、シンプルであたたかいものだった。
そっか わかった