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恋せぬふたり 1/10放送分

まず最初に明文化しておかなければならないが、アロマンティックやアセクシャルについてメディアが情報発信をすることを僕は心から喜ばしいと思う。
マイノリティの憂鬱というものは少数派という数の論理によってもたらされているところが多分にあると感じている。少数派だから認知されない、理解も得られない、共感されない、否定・拒絶され嘲られる。マジョリティの発する「普通は」「みんなは」という言葉にたった一人じゃ太刀打ちできない。だから拡散力の大きいマスメディアの存在はマイノリティにとってとても大きいと思う。
「恋せぬふたり」というドラマの話がどうであろうと結末がどうなろうと、存在自体がありがたい。それを大前提とした上での感想。

第1話は基礎知識講座と自認あるある回

セクマイの情報獲得手段は今現在ほぼネット一強と言っても過言ではないと思う。自分の恋愛的/性的指向にきちんと名前がついていることを知って救われた人は少なくないと思うし、SNSの台頭によって情報交換が容易になってネット様様である。指向についての考証メンバーもあ〜はいはい!そうだよね!という方々なので、Aro/Aceの解釈や今後の展開(主に恋愛に転ぶかどうか)については心配しなくて良さそう。

小島藤子にさすがに同情した

「百合だのかんだの」で野島伸司の理想のキショレズ女を演じていた小島藤子が今度は頭ゆるゆる恋愛ゾンビ女を演じていて、いくら女優業とは言え不憫だなと思ってしまった。さておき、千鶴のような恋愛に狂うマジョリティの心理状態とその変化なんて理解できないししたくもないが、せめて金銭の絡むことくらいはキッチリしてくれねぇかなと思う。
本気で「運命の人」とか宣うZセクシャルの人間を僕はあまり見たことがないが、以前知人が自分のことを評して「運命の人がいるわけではなく好きになった人を運命の人と思っているだけだ」と言っていた。世間一般でロマンチックに語られる運命の人って何?前世からの宿命でも見えてんの?

とはいえ男女ペアなのは仕方ないのか

咲子か高橋のどちらか、もしくは両名の自認が途中で変わるということを僕は最悪の事態として恐れている。実際にアロマンティック・アセクシャルから他の指向に変化する(拡大する?)ということは普通のことなわけだし、「真のAro/Ace」などと狂った思想を持っているわけではない。ただ、まだアロマンティック・アセクシャルという概念が浸透していない状況で自認の変化を描くのはかなり難易度が高いと思う。ふたりのどちらか、あるいはどちらもがアロマンティックからロマンティックへと恋愛的指向が変化したなら「本当に好きな人が見つかってなかっただけ」というマジョリティの論理・既成概念に回収されるのが目に見えているからである。いや、これはもう絶対にそうだ。
男女がふたり揃うと必ず乳繰り合いが発生すると信じてやまない迷惑な人種が結構な割合で存在しているため、本作に対する感想の中にも「いうて好きになるんだろ」的なものを既に目にした。アロマンティックがふたり揃っても乳繰りイベントが発生する確率はかなり低いので、そうなると男女だろうが女女だろうが男男だろうが本質的に「人間対人間」を描くしかない。Aro/Aceの女性ふたりの共同生活はもう阿佐ヶ谷姉妹なのでさておき、アロマンティック・アセクシャルの咲子とアロマンティック・セクシャルの年上女性とか、そういう変化球でも良かったのでは…と思ってしまう。

高橋さんってスーパーダーリンじゃん

さながらAro/Ace女が夢見るスーパーダーリンだなぁ。指向についての知識があって、定職に就いて経済的に安定し、一軒家の持ち家、家具インテリアの趣味が良い、家事ができる、顔面が高橋一生。僕の体感もあるがアロマンティック・アセクシャルを自認しているのは大多数が女性だし、男性でなおかつこんなハイスペックのAro/Aceなんてもはや妖怪か妖精。
参考:2020調査にもある通り
高橋さんはスーパーダーリンゆえ咲子との共同生活も引き受けてくれるだろうが、Aro/Aceどうしだからって共同生活がうまくいくという保証にはならないわけで、肝心なのは日常生活で譲歩・忍耐・妥協がお互いの許容範囲内に収まっているかということだと思うよ僕は。なめてんの?

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