彼がVRChatを遊びたくない理由。または「普通の人」にVRChatを楽しんでもらうために必要なこと
※この記事で言及するのは現在のVRChatそのものや、関係する人物、コミュニティへの批判ではありません。あくまで筆者の友人がVRChatを遊ぶにあたって感じたハードルについて綴り、そこから見えるVRの普及を阻む問題点をどう改善していくべきか提言していくものとなります。
私がVRSNS最大手、VRChatにログインするようになって一年以上。VR世界で暮らす人々も増えていき、「バーチャル経済圏」なる言葉も巷で聞かれるようになりました。VRSNSの未来に関しては様々な立ち位置や考え方がありますが、概ね共通して聞かれるのは「今後のVRの発展のためには人口増加が不可欠」という意見です。ユーザー数が増えてこそ人と資本の流れが生まれ、VR世界は拡張を続けることができる。
しかし2020年を迎えた今も、まだまだ世間一般に広くVRが浸透してきたとは言えません。その浸透を阻む問題として挙げられていたのは「VRの楽しさは主観に頼っているため、実際に体験しなければ分からない」というものでした。しかしそれも昨年半ばのOculus Questの登場により改善され、以前よりも手軽にVRを幅広い層の人々に体験してもらうことが可能となりました。
昨今のVRChatはまさに成長期を迎え、3度に及ぶバーチャルマーケットの開催、クオリティが高く美しい・可愛い美少女3Dアバター、様々なワールド…それらを作る一線級のクリエイターやVtuber、イベンターに距離を飛び越え直接会うことが出来る素晴らしい空間となっています。人々は日夜新しいアバターの製作に切磋琢磨し、日々更新されるワールドで新鮮な体験を繰り返せる。誰でも自由に、理想の姿になってコミュニケーションが楽しめる夢の世界、それがVRChat。導入のハードルがやや高いことも功を奏し、コミュニティの成熟度は高く治安も安定しています。Questの普及で体験さえしてもらえれば、きっとこの”楽園”の住人は増えていくことでしょう。
さてそんなVRChatに招待したい人がいました。それは私の中学時代からの友人です。私と同い年のゲーマーで、steamゲームの「地球防衛軍」などをネットを介して一緒にプレイしていました。私がVRChatで遊ぶようになってからは一緒にゲームをすることはなくなりましたが、それでも親しい友人としてリアルで会った時には一緒に飲みに行く仲です。また彼とゲームで遊びたい気持ちもあり、先日地元に帰った際にQuestを持参しVRゲームとVRChatをプレイしてもらいました。ひとしきり遊んでもらった後、このPCのsteamからVRChatをDLした上でUSBケーブルで繋げばOculus LinkでPCVRが遊べるよ!と勧めたのですが、返ってきた返事は「VRChatは遊びたくない」というものでした。
彼は私と同じオタク気質で、特にネトゲの「PSO2」にもハマっており、キャラエディットで自作キャラをミリ単位で調整して作るほどのこだわりようです。また先に書いたように、日常的にネットのフレンドとsteamゲームを遊んでおり、所謂「コミュ障」というわけでもありません。PCのスペックもVRを遊ぶのに十分です。VR酔いもせず、むしろHMDを外した後手を動かしながら「現実だと遅延が起きないからむしろ『現実酔い』しそうだ」と笑うほど。そこまで条件が揃っているのに、なぜVRChatを拒絶するのか?興味深いので聞いてみると、返ってきた答えは大きく3つ。
『「目的」が存在しない。言い換えると、自分のしたい「コミュニケーション」が出来ない。』
自由なコミュニケーションが売りのVRChatで自分のしたいコミュニケーションが出来ないとはどういうことか?聞いてみると…
他のオンラインゲームなら、男性・女性・種族問わず、様々なプレイヤーキャラクターが闊歩している。しかしVRChatは9割が美少女キャラクターで、それは当然実際のプレイヤーの性別(あるいは声)と合致していない。その事に違和感を感じてしまう。
それはVRChatにゲーム側で用意された「目的」が存在していないことに起因すると思う。これがPSO2のようなネトゲなら、特定のクエストを攻略するという「目的」が設定されており、そのためにゲーム側で用意された様々なカテゴリーの姿を決める。結果、装備、武器の種類に合わせて様々なシルエットのキャラクターが生まれる。
ところが現状VRChatで見受けられるのは9割が可愛い・美しい美少女アバター。これは皆が自然発生的な「目的」のためにその姿を選んだ結果であり、その目的とはすなわち「可愛いアバター同士のいちゃいちゃ」。
それ自体を否定するわけではないし、慣れたらもしかしたら楽しいのかもしれないが、自分は自分が美少女になっていちゃいちゃの輪に混ざることには抵抗がある。自分のしたい「コミュニケーション」とは、あくまで敵を倒したスコアやタイム、所持金を競う過程で生まれるものであり、現状そういったゲーム要素はVRChatには用意されていない。
それでももし自分がVRChatに入るなら、アバターは中世の甲冑騎士にすると思う。だけどそれでこの9割が美少女の世界で一緒に楽しめるのか?
私は無責任に「甲冑騎士でも楽しめるよ!」と言い切ることは出来ませんでした。実際に美少女アバターでないゆえに疎外感を感じているという意見がTwitterを賑わせることは珍しくありません。私は初めてVRChatに入った頃から一貫して他人の半分ほどの身長しかないお友達ロボット型のアバターを使い続けていますが、それは己の「個性」を表現するために意図的に選んでいる姿。ゆえに美少女でないことを気にしたことはないのですが、「自分が他人と違うことを特別であると誇りに思える人」は、そこまで多くないのかもしれません。
それでも甲冑騎士がオリジナルデザインで、かつ誰もが振り向くクオリティであれば、自らの3Dモデリング技術をアピールする場としてVRChatは適した場所になるのでは?と話してみたのですが、これもまた以下のような返事でした。
実は自分も前にVRChatの話を少し聞いてから、UnityやBlenderに触れたりアバターを作成しVRChatにアップロードするまでの流れを調べてみたことがある。しかしあまりにも難解かつ煩雑で、結局挫折してしまった。
詳しい人に聞いたり本を購入して勉強すれば解決できるかもしれないが、自分は3DモデルやUnityのクリエイターとして収入を得たいわけではないし、そこまでする気力が沸かない。これがPSO2のキャラメイクのように、VRChat側で用意されたエディターで作成~アップロードまでシームレスに出来るのであれば取り組もうと思えるのだろうが…
更にもう一つハードルがあって、それは特筆するものでもないのですが、
VR機器が、高い。
改めて思い知らされるこの問題。彼もQuestに入っていたRobo recallなどのアクション・シューティングゲームはかなり真剣に遊んでいたのですが、そのためだけに5万円出してrift SもしくはQuestを購入するというのは中々の冒険のようです。
さて上記の「VRChatを遊びたくない理由」、先に書いた「VRChatが楽園である理由」とは同じコインの裏表であることに気づかされます。
「誰でも自由に、理想の姿になってコミュニケーションが楽しめる夢の世界」=「自由であるがゆえに決められた形のコミュニケーションを取りたい人や、マイノリティにとっては楽しみを見出すのが難しい」
「日夜新しいアバターの製作に切磋琢磨し、日々更新されるワールドで新鮮な体験を繰り返せる」=「アバター・ワールドのデザインや作成の技能を持たない人にとっては楽しみは見いだせない」
「導入のハードルがやや高いことも功を奏し、コミュニティの成熟度は高く治安も安定」=「VRで楽しむなら最低でも5万円以上の投資が必要というのは気軽に決断できない」
この問題は根本的な要素に起因しているので解決するのは難しいのですが、しばしばVRChatの楽しさがまだ世間一般に広がらない理由として聞かれる「身内受けに終始してしまう」ことが解消できない要因でもあると私は感じます。
ここで一つ前提を考え直したいのですが、先程の「VRChatが楽園である理由」は、本当に"すべての人にとって"楽園であると感じられるでしょうか?
誤解を恐れずに言いますと、世の中の95%くらいの人は「普通の人」だと思います。
可愛いキャラデザが出来る、高度な3Dモデリングが出来る、Unityでシェーダーやワールドギミックが作れる、3Dプリンタでパーツを設計できる、イベントを開催できる商業活動を行っている、Vtuberのようなタレント性がある…今のVRChatは敷居の高さもあってクリエイター盛りだくさんな状況で、私たちはその中にいるからそれが当たり前のように感じてしまう。
でもそういった「普通ではない人」の割合は、世の中全体からすれば多く見積もっても5%程度でしょう。本当はもっと少ないかもしれません。
じゃあ「普通ではない人」たちを見られるよ、会えるよ、話せるよ、一緒に遊べるよ!でもそれって、5%の人には天国だけど、95%の人にとって本当に楽しいことなのでしょうか?
「5%の身内」ではなく「95%の世間」が、5万円の投資をしてでも楽しみたいVR世界を作るにはどうすればいいのか。
美少女にならなくていい。アバターも作らなくていい。ワールドも誰かに用意してもらった場所でいい。なんなら無言でも構わない。最低限のルールとマナーさえわきまえてさえいれば、VRChatで遊ぶ誰にでも確実に保証できる楽しさ。
私はそれが何なのか考えた末、それを言い表す一つの単語にたどり着きました。
しばしばVRChatで遊ぶ感覚の説明で使われる「学生時代の放課後、友達の家や校庭、空き地で遊んでいた時のよう」という表現。
私はこれを『青春』だと考えます。
私は今年から、この「青春」というキーワードにフォーカスして、どうにか世間の95%の人たちにVRというツールで人生をより豊かにできるということを伝えられないか、考えてみるつもりです。
幸いにして、先述の問題点のいくつかは解決の目処も立ちつつあります。
VRChat内に明確な目的のあるゲームがないという問題は、専用プログラミング言語「UDON」の導入で本格的なゲーム要素の構築ができれば解決する可能性があります。ポータルでワールド移動するような感覚で、そのままネトゲの世界に行くことが出来たら…?その先では美少女に限らないコミュニケーションの形が待っているとしたら?放課後、友達の家で一緒にトランプを遊ぶという段階から、TVゲームを遊ぶという段階へと進歩を遂げるとしたら。魅力的に思う人の数は格段に増えるのではないでしょうか。
アバターエディットツールも先日公式よりTafi Avatar Creatorがリリースされました。もちろんこれは欧米コミュニティ向けで日本ユーザーが好むような外見にはならないのですが、技術的には可能ということで、ゆくゆくはVroidのような日本のアバターエディットツールが公式対応することを期待します。
そして価格…こればかりはハードウェアの問題なので難しいですが、それでもOculusシリーズの低価格化は目を見張るものがあります。今後の各社の動向を注視してみましょう。
2020年、VRが広く一般人が誰でも自分自身の生活をより豊かにできるデバイスとして普及することを期待します。
「一般人に寄り添うVR」この方向性が確立されれば、きっと明るい未来が待っていることでしょう。