タヒチアンノニジュースを愛してやまない
パタゴニアの服を着古している。僕にとってパタゴニアを着ることは、コトバ無くして、生き方を伝えるようなもんだ。
「みんな、僕はパタゴニア着ているから。夜の街関連には誘わないで。それよりも、夜釣りに誘ってくれ」とか。
「パタゴニア着ているから、高級外車とか高級腕時計には興味ないんだよ。そんなことより、サステイナブルな小物や野菜や、体験に興味があるんだ」というふうに。
おかげさまで、帰宅途中(ガールズバーとキャバクラが軒を連ねている)、キャッチのお兄さんやお姉さんに声をかけられることもない(買い物袋から飛び出た深谷ネギのおかげかもしれないが)。
パタゴニアを着るのと同じように、タヒチアンノニジュースを飲むことは、僕にとって「生きる姿勢」を周りに伝えることなのだ。
タヒチアンノニジュース?
ノニという果実がある。東南アジア、インド、オーストラリア、マダガスカル、南太平洋。熱帯から亜熱帯にかけた地域で重宝されている。現地の方は「あれは良いよ」と口をそろえるのだが、さほど人気というわけではない。
発酵から来る独特の匂いがあり、食べる(飲む)のに、二の足を踏んでしまうらしい。実際、ノニジュースはテレビの罰ゲームにも使われている。「抜きんでてるんだけど、短所がすべてを打ち消してしまう残念な人」ってとこだろうか。
そういう中、タヒチアンノニジュースは「美味しいノニジュース」として評判があり、愛用している人も多い(マーケティング会社の調査によると世界で一番飲まれているノニジュース)。芸能人やセレブの中にも愛用者が多く、世界的なモデルのミランダ・カーさんに至っては、テレビ番組でも「ノニジュースが美容の秘訣」と話している。
僕がノニに出会ったのは、ハワイで学生をしていた頃だ。民族植物学(伝統的な植物を研究する)の同級生がノニの抗菌性を調べていた。緑の固い果実をかじると未熟なトマトのような味だった。しかし、抗菌性は発酵によって高まる。ハワイの先住民は発酵したものを、利用していたらしい。発酵果実を「食べてみなよ」と渡された時は、ドッキリ番組かと思った。口の中に広がる酸味と発酵臭はユニークすぎて、少しむせた。
「なぜこれを飲もうと思う?」と素朴な疑問が湧いてきた。健康に良いらしいが、「健康になる」と「この匂いに耐える」ではトレードが成立しないように思えた。
その知識があるなか、タヒチアンノニジュースの「美味しさ」は衝撃だった。
「美味しい」 毎日飲める。それに、エッジが効いていて、癖になる味。
ブライアント・ワズワースさん
タヒチアンノニジュースをすすめてくれたのは、ブライアント・ワズワースさんだった。アメリカ政府の高官を務めた方で、日米の牛肉、オレンジの貿易を取りまとめ、大統領賞をもらっていた。日本語が堪能で、昭和天皇がアメリカに来られた時は、通訳を務めたほどだ。
ただ、失礼ながら最初お会いした時は、そんなことはつゆも知らず、随分と失礼な態度だったと反省している。
ブライアントさんは、タヒチアンノニジュースの会社の日本支店長に就いていた。日本で働く研究者を探していて、僕に声をかけてくれた。当時、僕はハワイ大学のラボで働いていたし、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)に推薦してくれるという先生もいて、正直、日本で働く気持ちはなかった。
それがブライアントさんに会って、「この人の下で働きたいな」と思った。そんな魅力がブライアントさんを包んでいた。
ブライアントさんと共に充実した時間を過ごせたと思う。いろいろなプロジェクトを立ち上げたし、ノニジュースの研究も行った。それにブライアントさんが紹介してくれるVIPの方々は、普段の生活をしていると決して会えないような方ばかりだった。ブライアントが誘ってくれて、本当に良かったと思う。
ブライアントさんは亡くなってしまった。でも、タヒチアンノニジュースを飲む時、ふいにブライアントさんのことを思い出すことがある。タヒチアンノニジュースを飲み続ける限りブライアントさんは心の中に生きているんだなぁと、しみじみする。
ノニ研究者 神様になる?
ブライアントさんは政府で重要な職に就いていたが、在任中、「感謝されることはなかった」と言っていた。「でも、ここではいつも感謝されるのです」とも話していた。
僕はノニの研究を行い、論文を読み知識を蓄えていった。
「ノニについて勉強会をしましょう」と誘われ、僭越ながらスピーカーに指名された。地方に出向くと、一度も会ったことがない女性が現れ、「ありがとうございます」と礼をしてくる。
「?」
感謝される道理が分からない。
「何のことでしょう?」と尋ねると、こういうことなのです。と自分に起きた奇跡体験を語ってくれた。
「タヒチアンノニジュースを飲んで、医師さえ驚く」といった類の話を聞かせてくれた。嬉しそうに話されると、こちらの心も温かくなる。結構なことである。
かといって、「タヒチアンノニジュースが奇跡を起こした」と短絡的に信じることはない。基本、僕は判断基準は統計に負っているし、体験談は参考にこそなれ、結論を導くことはできない。
しかし、行く場所、行く場所で同じような話を聞く。「ありがとうございます」とまるで拝むように僕に接する人もいる。まるで神様になった気分だ(むろん、僕はその奇跡ストーリーに何の貢献もしていないのだが)。
タヒチアンノニジュースで驚くことは、この「誠実な体験談」だ。こんなに多くの話があるのなら、何かがあるのだろう。と感じてしまう。
これを証明したいという気持ちが高まってくる。
「研究、がんばろう」 と。そこは論理的に考える。理論を司る脳が動き始める。
もう一つ、僕にはエモーションな脳もある。「良かった、良かった」と喜ぶ人から、話が伝わり、次の奇跡体験につながることが多い。「奇跡が奇跡を呼び寄せる」というか。それを見ると、「ノニは人と人をつなげる神かもしれない」と拝む気持ちになる。
ノニ神さま〜〜〜
健康食品業界は研究に投資しない
意外なことに(業界通には意外じゃないかもしれないが)、健康食品業界では研究開発にさほど投資をしない。原料開発のサプライヤー企業では研究が行われるが、メーカーが基礎研究を行うことは珍しいらしい。
健康食品は定番素材があり(関節だったらグルコサミン、美容だったらコラーゲンとか)、新規素材の良さを伝えることが難しい(健康食品は「効く」と言えない)。研究をやって「新規素材に糖尿病改善効果がある」と分かっても、法律上、一般に伝えることができない。そのような市場で、研究が進むわけがない。
そういう中、タヒチアンノニジュースは研究費をふんだんに使える幸運を得た。創業者が食品科学の研究者であり、研究に寛容だったし、本社がアメリカにあるということで、研究結果を米国内で報告することができた。ある時期のタヒチアンノニジュースの売上はすさまじく、もっと「経費を使わないと」という流れが生まれ、多くの大学や研究機関と共同研究を行った。当時の研究はクリニックと提携したビッグプロジェクトもあり、さすがのアメリカの食品業界でも、「ここまでやらないだろう」という研究をしている。今、考えると、当時の莫大な研究への投資は、今に伝わるレガシーになっている。
おかげで、会社の関わった研究論文は125報(2020年7月現在)にも上る。ヨーロッパのノベルフード(安全を証明する制度)を3品目も取得している。根拠が蓄積されたことから、PDR(医師卓上参考書)の掲載も許可されている*
*PDRは現在、デジタル版だけになってしまいました
タヒチとの繋がり
タヒチアンノニジュースを飲むとき、タヒチの人々のことを思い出す。
タヒチ産ノニにこだわる理由は、品質の良さだ。タヒチは特別で、体に良い成分が多く含まれている。もともと植物は人間のために、体に良い成分(ポリフェノールやイリドイド)を作っているわけではない。植物にとってのストレス(昆虫、紫外線、栄養不足、海水の浸透圧による水分不足など)から身を守るために、保護物質を分泌する。
大気に塵がないため、紫外線が何に邪魔されることなく大地に降り注ぐ(だから、海や空が信じられないほど青い)。紫外線は細胞内を酸化させ、傷ついてしまう(光毒性)。だから、完璧なノニは自然下でしか育たない。実験室で試しに栽培してみたが、同じ植物でも、まるで違う形になるし、健康成分も少ない。
タヒチ産ノニの遺伝情報も特別だ。もともとノニは東南アジア由来だ。帆を張り南太平洋に旅立つ海洋民族(後にポリネシア人と呼ばれる)が、健康に良い種を選び、カヌーで運んだ。健康に良い成分が多く含まれるノニは、新天地で交配を重ね、ノニ界のサラブレットが作られていく。
その特別のノニを守ってきたのがタヒチ人だ。タヒチ人はノニの守護人であり続けた。タヒチの文化では「共有」することを尊ぶ。もともと私有という概念が乏しい。だから、「タヒチ産のノニがジュースになって世界中の人々に貢献している」という話を聞くと、誇りに思うそうだ。
タヒチ大統領のエドワルト・フレッチさんが「ノニを世界に紹介してくれてありがとう」と僕に話してくれた。フレッチ大統領は、タヒチアンノニジュース関連のイベントで、東京に来たことがある。僕は駐車係をしていたのだが、篠遠博士(タヒチを発掘した考古学者)が共通の話題になり、仲良くなった。(話は変わるが、荒俣宏さんと篠遠先生の共著「楽園考古学」はポリネシア文化を知るベストブックだ)
閑話休題。
フレッチ大統領が日本を体験したいというので、僕は「ドンキホーテ」と「新宿御苑」「焼肉食べ放題」に案内した(意外にドンキホーテが受けた)。大統領はタヒチの官邸に招待してくれた(ご飯をご馳走してもらえるかな?と軽い気持ちで行ったのだが、政府の来賓として扱ってもらい、新聞にまで取り上げられた。僕の1番の自慢だ)。
タヒチ政府はタヒチアンノニジュースを特別に扱ってくれる。大統領がタヒチアンノニジュースのために、日本にやってくるぐらいだし。
タヒチにあるノニ工場は政府の厚意で土地を使わせてもらっている。ちなみに、工場は一棟単位で見ると、タヒチ最大だ(複数の建物が集まった工場では、他に大きいものがあるという意味です)。
タヒチは多くの島からなり総面積は250万キロ平方メートルに及ぶ。これは、西ヨーロッパ全域に相当する広さである。北のマルケサス諸島からノニを送る場合、燃料費だけでも、かなりの出費になるが、政府が補助金を出してくれる。
タヒチ政府とタヒチアンノニジュースの繋がりは強いが、それ以上に、タヒチの一般の人との繋がりは強い。タヒチアンノニジュースに使われるノニは、小さな家族経営の農場で育っている。外貨を稼ぐチャンスが少ないタヒチにおいて、ノニの収穫は、貴重な雇用を提供している。
タヒチアンノニジュースに使われるノニの取引はフェアトレードである(ちなみに、フェアトレードを大手をふって言うためには、フェアトレード認証が必要なようです。貧しい農家は認証とれないという批判もあるので、完璧な制度ではないようです)。
ビジネスの根幹がフェアトレードであり、その規模も大きいことから、国連の外郭団体から「ソーシャルレスポンシビリティーアワード」を受けている。
自然公園のような農場
農家を訪ねたことがある。「これは農場と言えるのか?」と、農場の定義から考えてしまった。ノニだけを植えているわけでなく、タロイモ、ライチー、パパイヤ、ライム、ココナッツ、トマト、ティアレの花(油に漬けて香油になる)、バナナ、パイナップルなどなど、多種多様な植物が植わっている。地面は下草が豊富で、周りは鳥の鳴き声がする。生態系ができ上がっているようだ。植物と植物の間隔も広く、大きな公園を散歩している気分になる。
単一な作物だけを植えると(「モノカルチャー」と呼ぶ)、害虫に根こそぎ襲われることがある。多様なものを植える(「ポリカルチャー」)と、生態系が作られ害虫の被害を最小限に抑えることができる。そのかわり、効率は悪い。
ノニ収穫者になるためには、研修を受ける必要がある。その中で、農薬、化学肥料を使用してはいけないことを徹底させられる。ただ、農家は他のものも栽培している。そこで使う農薬がアクシデントでかかってしまうかもしれない。
「農薬は必要ないわよ」と農家の方が笑いながら話してくれた。半分公園化した畑を巡ると確かに、そのような設備はない。それどころか、水を撒く灌漑設備もない。「水はどうするのか?」と聞くと、上を指差し、フランス語なまりの英語で「レイン」だと言う。敬虔なクリスチャンらしく、キャップに「LORD(主)」と書いてある。キャップを指差しながら、「天がつくってくれるの」と(多分そう言っていたと思われる)教えてくれた。
農家の夫婦は「人生の達人」という雰囲気があり、いつも楽しそうだった。「ノニを育てることは楽しいですか?」と質問すると、間髪入れず「オフコース」と返ってきた。
ノニは幸せな人々が収穫しているのだ。
*タヒチの正式名称はフランス領ポリネシアです。フランス領ということで、本来は大統領とは呼ばないのですが、自治権を尊重し、一般的に「大統領」を使用します。
天がつくってくれる
農家の方が「天がつくってくれるの」と紹介してくれたノニ。
あながち大げさではない。
と、いうのも、タヒチアンノニジュースに使われるノニは、自然な状態で発酵してくる。ワインや日本酒などお酒の製造には、酵母が欠かせない。継代された酵母がお酒の味を変えてくる。
米がアルコール発酵するの目の当たりにした古代人は、それを神の力と理解した。ワインにはバッカスの神がついているし、日本酒には松尾様がいる。
しかし、ノニの神はさほど陽気でないようで、発酵によってアルコールをつくらない。
ノニ果実は放置しておくと、細胞壁が徐々に破れてくる。細胞壁を破るのは酵素の働きと果実につく常在菌の働きだと推測されている。細胞の壁がなくなると、細胞中の酵素が流れ出し、壁を取り除く、固かった果実から水分が流れだしノニ果汁が搾りだされる。
発酵によりpHが下がっていき、殺菌性が強まり、雑菌が死ぬ。この状態になると、常温でも腐敗しない。おかげで、はるか離れた孤島で収穫したノニを運ぶことができる。
発酵が早く着実に進むと、ノニ果汁はサラサラになる。発酵が遅い場合は、ドロドロになる。
西洋で生まれたジュース文化では、果汁のみを楽しみ、繊維質の部分は棄ててきた。しかし、タヒチの文化では、果汁も果肉(ピューレ)も利用した。
タヒチアンノニジュースではタヒチ文化を尊重し、果汁だけでなく果肉部分も利用している。果肉部分は糖鎖を含んだ多糖類で、栄養価(ビタミンやミネラル)が少ない。今ある知識だけで判断すると、不要のように映るかもしれないが、伝統には何かが潜んでいる。
実際に、ハワイ大学の研究者は、多糖類の部分に健康を維持する生理機能があると発見している。自然が健康の鍵を用意してくれている。
健康を支えるのは、医療関係者だけでない。いや医師が貢献できる部分は、わずかかもしれない。わたしたちの健康の大半は食事、休息、運動に左右される。体調を崩しても、自然は回復、治癒の方法を用意してくれている。
僕はそれを「自然の健康」と呼んでいる。健康であることは大切だ。僕にとっては、自然で健康になることは、もっと大切なのだ。
ノニがいいのか? 健康な人が飲んでいるのか?
「タヒチアンノニジュースを飲むと健康に良い」
これを証明するのは、難しい。「物質Aを摂ると、コレステロールが下がる」のように具体的なマーカーがあるのなら検証は簡単だ。しかし、「コレステロール値が下がる=健康に良い」というわけでもないだろう。
結局のところ、タヒチアンノニジュースを飲む群と、飲まない群に分けて死亡率を比較するのが確実となる。
しかし、タヒチアンノニジュースを飲む人々は、普段の生活が健康的な傾向にある。保存料無添加な新鮮な食材選ぶ傾向が強いし、野菜は多くとり、動物性脂質は少ない。社会の絆も強く、病気の原因である孤独とは無縁の方も多い(ある大学で共同研究をしているとき、「タヒチアンノニジュースの愛飲者は除外してください」と言われたことさえあります)。社会の絆があれば、自然、体も動かす。
結局、調べたところで、タヒチアンノニジュースが健康にしているのか、タヒチアンノニジュースに付随する、自然と共に生きるという「タヒチアンノニジュースライフスタイル」が健康にしているかはわからないことになる。
科学の世界では、研究対象にならないが、結果としてタヒチアンノニジュースを飲み、その文化に身を置くことで、健康で、幸せに過ごせるのなら、それはそれで価値のあることだと思っている。
タヒチアンノニジュースの流通は会員制になっている。会員の紹介を受けて購入できる。紹介のために尽力いただいた方には、会社から謝礼を支払う。それを生業にしている方も多くいる。
そういう形態では、コミュニケーションが必要になる。若い方々は人間関係の煩わしさを避ける傾向にあるので、この形態を苦手に思う人も多くいる。一部の方は「おせっかい」な気持ちが抑えられない。
「タヒチアンノニジュースを買っただけなのに、いつの間にか長屋の住人になってしまった」と感じることもあるだろう。
実は、僕はその「長屋感」が快適なのだ。
いっしょに手づくり弁当を食べたり、子どものお世話をしたり、畑でとった野菜をもってきてくれたり。
もっとおしゃれに「長屋感」を出している人々もいる。サロンをつくったり、お茶会をしたり、音楽会をしたり、読書クラブをしたり、洗練されていてファッショナブルな形をとる。
どちらにしても、そこには人と人との絆があり、それは人の健康と幸せには欠かせない。
タヒチアンノニジュースを飲むというブランド
僕はタヒチアンノニジュースを飲む。
飲むことで、社会とつながることができる。友だちとつながり、タヒチとつながり、よく知らない人ともつながり、亡くなってしまった大切な人とつながる。
飲むことで、伝統の偉大さを理解することができる。東南アジアからはじまり、太平洋に冒険にでたポリネシア人。彼らが守ってきた伝統がつまっている。飲むことで先住民の知恵に感謝し、リスペクトする。
飲むことで、自然の偉大さを理解する。ゆっくりと口に含み目を閉じると、タヒチの自然が脳裏によみがえる。世界でもっとも大陸から離れた場所。大気汚染からもっとも離れた場所。空気に塵がなく、純粋な青の空と海。海からはミネラル豊富な潮風が吹く。飲むことで、自然に感謝し、リスペクトする。
僕はタヒチアンノニジュースを飲むことで、僕であり続けることができる。
そして、タヒチアンノニジュースを愛してやまない
朝起きてタヒチアンノニジュースを飲む
朝食をたっぷり用意し、娘のお弁当をつくる。
朝活としてNHK中国語会話を聞き、元気よく発音する。中国語を話すと、元気になる。まるで嘘でも笑顔にすると、幸せな気分になるという行動学の逸話のように。
パタゴニアのバッグにカセットテープと本とスケッチブック、雑誌をいれる。安物のスーツだが、パタゴニアのソックスと、ONのスニーカーで気分をあげる。
通勤電車の中で図書館で借りた小説を読む。
午前中、地蔵のように静かに仕事。
お昼休みはカフェでサイエンスマガジンを読む。インターミッテントファスティング。ランチは食べない。本を読めば空腹感はない
午後、泥のように静かに仕事。
小腹が減ればタヒチアンノニジュースを飲む。
帰宅。掃除、夕飯の用意、洗濯、読書、家族のおしゃべり。
そして、一日の終わりにタヒチアンノニジュース。
僕はタヒチアンノニジュースを愛してやまない。