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modern-times「ディストピアはない」

modern-times「Contemporary」
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(「ディストピアはない」は1曲目)
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https://linkco.re/1Ug5E5eY

【歌詞】
進むことを止めた街には
ディストピアなんて要りはしない
ネオンの香り漂う楽観主義には
どこか危うげな求心力

ことばを超えて通じ合う者の
人知れぬ囁きに目を凝らせば
細めすぎた眼はやがて閉じられ
眼差しは価値を見失う

争いを止めぬ人がいる
見失う彼らは後戻りはしない
遠い街のうらびれたあの路地で
泣く少女に目を向けることも無い

駆け抜ける思考
宛てのない憧憬
整理された欲求
果たされぬ約束

遊び疲れた怠惰は言った
「どこまで行っても猿真似ばかり」
遠い昔の思い出たちは
どこかで眠る安らぎを得る

誰もいない劇場
踊り続ける人形
反響する視線
踏み潰された価値

ことばの羅列
見覚えのある風景
過去に先立つ未来
これからのこと

作詞 冨川"tommy"功喬
作曲 modern-times
演奏 Vo,gt ワタナベタカヒロ
   Ba 冨川"tommy"功喬
   Dr ガテン・キノシタ

【回顧録】
この曲はたぶん2015年の夏頃に出来た曲ですね。この頃になると曲数も揃ってきていて、だいたいアルバムの曲順とかそういうのがだいたい決まっていた時にまだ決まってなかった一曲目に入る曲に僕は「なんかとんでもなく大きな絶望みたいなのがほしい」という要望にトラブルシューターのベーシストトミー氏が「それなら1つ歌詞がある」と歌詞だけを持ってきた。
それで、その歌詞からなんとか曲を僕が考えるという感じになった。できた時のことはすごく覚えています。当時、コンビニの夜勤で仕事をしていた僕は夜勤が終わって、その近くにあったコメダ珈琲でモーニングを食べながらタバコを吸って、トミーくんのその歌詞をじっと眺めながら、ブツブツ、ブツブツとメロディを考えていました。そしたら突然、「降りてきた」とでも言うような形で現在のメロディが降りてきて、やばいやばいと思い、コメダで小声で携帯のボイスレコーダーに録音した覚えがあります。

そして、曲を作り、セッション。
セッションをしていくうちに主にキノシタさんからは変拍子的なキメの提案が出たり、トミーさんからは後半の転調をしたりなどの細かいヒネリのようなアイディアがたくさん出て、なかなかに充実した内容になったのですが、ライブ時などは混乱をきたす感じになりましたね…。どうやんだっけ?みたいな。
しかし、このアイディアのおかげでかなり楽曲にブーストのようなものがかかった感じになり、ライブでやるときはなかなかに楽しかった。ただ、今は…すぐにはできないかなぁ…というような気持ち。

そして、今回から新しい要素と言いますか、今回のアルバム「Contemporary」はレコーディング〜ミックスなどに非常にこだわりを持った一面がありまして…。せっかくなので、これを読んでくださっている方(もし、いたら!…いや、いないかなぁ…)だけにでもお伝えできればというような…。
何をお伝えできれば!と言いますと、元・東山公園246のエンジニアT木さんにどれだけ我々がワガママを言ってきたか!という、言うなれば、逆告発のような。「こんなにワガママを言ってしまって申し訳ありません!」という意味と「へへへ〜。こんだけワガママ言ったって大丈夫なんだぜ〜!」と言う1つのメッセージ性も込めながら、そんないろんなワガママに対しても「うん。いいよ〜」と軽い感じに答えてくださったT木さんに最大限の敬意を込めて書かせていただく。いや、頂きたく存じ上げ、献上致します次第でございます。

と、まず、なんだか突飛な図を突然出しましたが、これを当時僕たちは「配置図」と呼んでいました。これはレコーディングした音を左右どのように聴こえさせるようにしたいか?またどの音が大きくて、どの音を中心に添えたいのか?などなど。ミックスにおいての音をどのように配置したいのか?というのを「ふんわり」「なんとなく」「どことなく」お伝えしている図ということになるけど、これって当時、T木さんはなんとか理解してくれたのかなぁ?と…。

ただ、今回の「ディストピアはない」は簡単です。大まかに言うと、まず2枚あるのはつまり、ギターがアルペジオしているときとストロークしている時の位置を変えてほしい。と言う意味になりますね。
またイメージ的にボーカルは少し小さめ、全体の音に囲まれていると言う図になりますかね。
多分、イメージとしては周囲の環境だとか事件、事故、災害などの起こることに対してなんとなく巻き込まれているとか抵抗とかができないと言うようないち個人の図というのを感じたりします。

冒頭にも書いた「絶望」という部分に繋がりますね。絶望って、直接的なものもあれば、間接的なものもありますよね。当事者にはなれない。でも、何かすることもできるわけではない無力さ、これを声を大に叫ぶことはできないし、もやもやと心の中にわだかまっていくような絶望。なんとなくだけど、それも1つの落胆とか落ち込んで、鬱になってしまう。とかと似たような絶望なんですよね。なんかこういうのって立場とかあんまり関係ないし、はっきり言っちゃうと、感じる人もいれば感じない人もいると思う。
だから、あまり悲観しないで!とも最近は思うんですが、多分、この当時は悲観していたんだと思いますね。うん。
大丈夫です!たとえ悲観していようが、人間変わりますよ!年取りゃ、なんかどうでもいいことばかりだな!とか思うよ!きっと!キットカット!

昔、九州弁なまりの女の子が「きっと勝っと!」って言って、キットカットを渡すみたいなダブルミーニングなCMってなかったっけ!?なかったっけ?なかったかな…。なかったよなぁ…。

これくらいどうでも良くなるから!

…いや、これはちょっと違うのかなぁ?

と言うか、ここまでの流れ、真面目やし…。これ、大丈夫かなぁ…。最近、これ書いてて…大丈夫だろうか?これでいいのだろうか?と…。面白く書けているのだろうかと…毎日、胃を痛くしながら、「あぁ、今回は面白くなかったんだ!」とかショックを受けながら、コツコツ、コツコツと…。てゆうか、そもそも、読まれていないだろう。とか…。そういう悲しい気持ちになってしまったりなんだったり…。

ああ、これが絶望か!

ああ、これが悲観と言うものか!!

って、絶望、ちっさ。って思う次第です。
気にせず頑張ろうぜ。
早くお酒が飲みたいです。

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