子供のころに聞いた戦中戦後の話 第四話 ~死~
子供のころに聞いた話 第四話 平成3年ごろに聞いた話
死 戦時中の話ですから当然避けられませんが戦中派はあまり語ってくれない事柄でもあるんですよね、そりゃ当然で辛いことばっかりですもん。壱話の捕虜になったおっちゃんも仲間がバタバタ倒れた話はあまりしません、弐話の母もたくさん人死んでてなあそのなか走って逃げたわってことを一度聞いたような気がしますがそれっきりだったかな、さて今回はうちの会社でアルバイトしてたおっちゃんで戦争末期に学徒動員で大阪の桜ノ宮辺りの軍事工場で働いていた時のお話です。
学徒動員、文字通り小学生~中学生を軍事産業で働かせる当然無給で、まあ勉強しなくてすむんで喜んでた生徒の方が多かったらしいですが。ある日のことおっちゃん書類運びの仕事で自転車に乗って大川沿いの土手をのんびりと走っていました、天気のよい日だったそうです。
突然、空襲警報が鳴り響いたかと思ったら反対側から走ってきた兵隊さんが「危ない!グラマンが飛んで来とる、すぐに自転車降りろ!」と叫んだかと思うと米軍の戦闘機(グラマン)が近づいてきました、すごいエンジン音に立ちすくんでいたら兵隊さんに自転車ごと突き飛ばされ土手に落っこちた瞬間、バリバリバリと聞こえ上の方で人が飛んでいるのが見えました。ポーンと人が飛んでいきますそしてヘルメットが反対に飛んでいくのもよく見えたそうです。
グラマンが見えなくなり、助けてくれた兵隊さんを見に行くと死んでました。綺麗に頭だけ吹っ飛んでましたがそのほかはどこにも傷はなかったそうです、ほかの兵隊さんが頭の入ったヘルメットを拾ってきて合わせたあとに「お前、助けてもろたんやからちゃんと拝んどけ」とそくされたので手を合わせて拝み、おっこちた自転車を起こし仕事の続きをしたそうです。
「いさくさん、人はなけっこう簡単に死ぬで」この話のおわりにおっちゃんは淡々とそう言いました、オレもそう思います。だからみんな生きましょう
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