子供のころに聞いた戦中戦後の話 第参話 ~兵隊やくざ~
子供のころに聞いた戦中戦後の話 第参話 昭和55年ごろ祖父に聞いた話
祖父と書くと堅苦しいのでじーちゃんで、じーちゃん割と早くに徴兵されたので戦火が激しくなる前に除隊し、戦中に今の会社を興しました、戦中戦後のどさくさに朝から晩まで働き妾を2人もてるまでになりましたって自慢にならんな。その血は脈々とオレにまで受け継がれ・・・てません。じーちゃん愉快な人だったので逸話はたくさんありますが今回は初めての徴兵での話
戦時下ではありましたが本土はまだまだ実感もなく徴兵の赤紙が来てもめんどくせーなあとしか思わなかったじーちゃんですが周りはこりゃ大変と適当なところから嫁を貰って祝言を挙げ、そく軍隊へ。その短い間にうちのお袋を仕込んだのは正直スゴイと思う(w
家の前で万歳三唱もなく軽い感じで指定された場所に行き汽車に揺られて新兵の訓練所へ、大体似たような地域から20人一組くらいで訓練が始まりましたが訓練担当の上官が大馬鹿で怒鳴って殴るしかできない、教練の指示書も読めないので新兵が代わりに読んだら殴られる読まなくっても殴られる
当時の日本ではというか今でも世界的には職業として軍人を選ぶ人間は学も金もないのでとりあえず食いっぱぐれがない軍隊を選ぶ連中が多いので徴兵された連中のほうが教育を受けていることも多かったそうです、あ、昭和の時代の自衛隊もそんな感じで中卒~自衛隊もけっこうおりました。
さて、じーちゃんたちの話に戻って、そんな自分たちよりバカなやつにどつきまわされる日々に新兵たちのうっ憤はたまり何をやっても殴られるのだからと上官をおもいっきりバカにする態度を取っていたらもっともっとひどくなってじーちゃんの組だけめちゃくちゃ雰囲気が悪く、やくざもんの集まりみたいになっていったそうです、それでも教練が終わる日が近づいたある日このままでは腹の虫が治まらんと新兵たちはある計画を立てました(フルメタルジャケットのあの夜のように)
訓練が終わりひとしきり殴られたあと、人目がなくなった瞬間その上官を猿轡にをかませ毛布で簀巻きにして教練場の泥だまりに捨ててきました。まあ新兵全員とてもはればれした顔をしていたそうです、がやはりそのことがバレて全員それはどえらい目にあわされたと嬉しそうに話すじーちゃんでした
ほかにも配属された基地で物資をくすねて町のおねーちゃんたちに配った話とか、そんな話ばっかりでしたがほかの話もまた機会があれば。
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