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性産業従事者の社会階層〜映画「Anora(アノーラ)」〜

今年のアカデミー賞授賞式、WOWOWで生中継をしてくれないらしい。中継を断念したのは放映権の高騰が理由だと聞いた。そのため授賞式の映像自体は開催翌日に録画放送をする、とのこと。生中継はNHK BSでやってくれるそうだが。

そんなことも知らずに毎年のルーティンとして何も考えずにWOWOWオンデマンドの視聴契約を申し込んでしまった。ひどい空振りとなったのだが、せっかくなのでコンサートや海外の舞台作品を中心に普段視聴できないものに手を出してみるとする。

ということでアカデミー賞week。日本ではノミネート作品の多くがこの授賞式の開催日前後に公開が開始されるのは毎年のことで、いつも3月前後はスクリーンに足を運んでいる。

そしてつい先ほど、本年度の作品賞の有力候補に目されている「アノーラ」という映画を鑑賞してきた。これがとても良かったので、鑑賞してすぐにPCを開き、このような形で投稿文を打つ羽目になってしまった。授賞式の結果が出る前に自分なりの感想だけでも書き残せれば。


性産業従事者にスポットを当て続ける監督

この「アノーラ」はアメリカ製作の映画で、ショーン・ベイカーという名の監督が指揮をとっている。

このショーン・ベイカー監督だが個人的に存在を知ったのが2017年に公開された「フロリダ プロジェクト」を鑑賞してから。このタイトルの一部となった'プロジェクト'という言葉は、普通なら「ビジネスにおける壮大な計画」をイメージされる人が多いと思うが、ここでの意は'低所得者向けの集合住宅'となっており、フロリダ州のちょうどウォルト・ディズニー・ワールドのすぐ近くのエリアという舞台設定で、小さな女の子が主人公のシングルマザーの母親と一緒に生活する様子が描かれた作品となっている。この作品がすごく良かったので、それ以降このショーン・ベイカー監督の動向を気にかけるようになった。

この「フロリダ プロジェクト」の主人公の母親の職業がセックスワーカーであった。セックスワーカーという言葉は少し言い方に刺激が強すぎるきらいがあるので、ここでは性産業従事者という言い方で統一していくのだが、実はショーン・ベイカー監督、自身の作品のほとんどにこのような性産業で生計を立てている人物を主人公に設定しているのだ。

数年前のインタビューで監督自身が発言していたのは「私は自分の知らない分野について大きな関心・興味がある。だから知りたい分野があったら、それを徹底的に調べて、映画製作に反映させるんだ」、と。

この発言を聞いたら、「どんだけ性産業のことを知りたいんだよ!」と思わざるを得ない。笑
それくらい性産業というフィルターからソフトに社会問題に切り込んでいくスタイルで存在感を発揮している監督なのである。

そして今作の「アノーラ」も主人公は性産業従事者である23歳の女の子だ。

シンデレラになった主人公

ネタバレ上等でキーボードをこのまま叩いていきますよ。

映画はニューヨークにあるストリップクラブで主人公の労働シーンから始まっていく。これがまたものすごく真面目に働いているのである。

見た目はキュートだし、スタイルも良い。それだけでだらしない男を適当に相手していれば仕事自体は成り立つように思えるのだが、目の前のお客を非常に勤勉な態度で接するのである。おそらく、その美貌やボディが実際よりも劣っていたとしても、それなりの数のお客を獲得するのだろうな、というくらいの仕事っぷりなのである。

性産業従事者は間違いなく色眼鏡で見られがちな職業なのだが、主人公の人間性自体は何のケチもつけられない。同僚には気さくで優しい(仲の悪い同僚もいるのだが)、必要以上にお客への不満を態度で見せない、無茶なお願いに対しても多少はゴネる態度を見せつつも最終的にはしっかり対応をする心優しき女性である。

そんな彼女の元に、ロシアの大富豪の御曹司がお客として現れる。ここから彼女の人生はポジティブな形で劇的な変化が起こっていく。呼ばれて向かった先には大豪邸、招待されたパーティーはとても楽しく、思い立ったらすぐにラスベガスへも遊びに行ける。これまで目先の生活のために不自由を強いられてきた彼女にとっては夢の世界の扉がまさに開いた瞬間だった。

不自由を強いられていたのは相手のロシア人の御曹司もだった。モラトリアム的にニューヨークではっちゃけた生活を楽しんでいたが、やがてロシアに戻って父の事業を手伝う堅苦しい未来が待っていた。「アメリカ人と結婚すれば、俺は自由の身になれる」。そして二人の利害は一致する。キラキラに輝くラスベガスで過ごす時間の中で主人公はプロポーズを受ける。その勢いで24時間営業しているドライブスルー型チャペル(現実世界に実在するらしい!)で形式上の結婚式を行なった。

「おい、見てくれよ!たった5分前に俺の妻になったんだぜ!」

繁華街で浮かれまくる二人。自由で楽しい将来が待つ生活に心が踊る。しかしこの後に主人公は現実に直面することになる。

一歩も引かないたくましき主人公

大豪邸でのんびり過ごしている二人の元に大柄な男性たちが訪れる。御曹司の両親が送り込んだ手下だった。御曹司が娼婦と結婚した、というニュースがスキャンダラスな形で両親の耳に届いたのである。ボスの命令を忠実に実行するため、男たちは二人の結婚の無効手続きにやってきた。

結婚の取り消しに対して抵抗を見せる御曹司。いや、それよりも強い態度を見せたのは主人公だった。「よりによって相手が娼婦だなんて」と自分をばバカにするような発言に対しては断固の構えで反論した。私は真っ当にいきている、そんなにバカにされるような女じゃないわよ、と。確かにその通りなのだ。主人公はとても無害な女性なのだから。性産業従事者、という要素が彼女の実体を大きく歪めていた。おそらく、これまでにずっとそんな差別と戦ってきたのだろう。

そしてここからがスゴかった。腰が引けた御曹司は主人公を見捨てて逃走。結婚無効手続きには両者の承認が必要となるので、手下たちはまず主人公の身柄確保を試みる。主人公、激しすぎる抵抗を見せるのだ。肉体的なバトルでは到底に勝ち目がない屈強な男たちに一歩も引かずに対峙する。豪邸内の備品を投げつけ、金的に噛みつき、目の前の相手が怖くないのかと思うほどに怖気付く様子を一切見せないのである。

そしてしたたかさも持ち合わせる。さすがに力勝負では敵わず、手足を縛られてしまうのだが、そういう状況では女性の側面を使う。喉が潰れるほど大きな悲鳴を永遠に響き渡らせる。近隣住民には十分に聞こえるだろうと思えるほどの音量で。「コイツは怪獣だ」。手下の一人が匙を投げるほど、屈強な男たちをきりきり舞いにさせたのだ。

豪邸内でのバトルはいったん落ち着き、お互いに心を正常にした形で交渉の話に移っていく。「まず彼を見つけよう。そして見つけたら、悪いが結婚は無効にしてくれ。お金は払うから」と手下から提案を受ける主人公。ここで彼女はいったん了承のポーズを見せた。

主人公の中でもいったん物事を冷静に考えるタイミングができたのだろう。職場での労働では常にだらしない中年男性ばかりを相手にしていたところに、金持ちなハンサムが自分に好意を寄せてくれている。今までできなかった体験を楽しめた。そして仲の悪い同僚にマウントがとれて溜飲が下がった。好きではない現実から飛び出せる千載一遇のチャンスが今この前にあった。

ただ、その御曹司が本当に好きだったか、というと。。もし彼の財産がゼロになったとしても変わらない気持ちを持ち続けられるかどうかを問われたらポジティブな回答ができなかったのでは。自分に一切構わずにテレビゲームに熱中する御曹司に投げかけた目線の寂しさが蘇る。

後のことはどうでもいい。とりあえず彼にもう一度会って、自分への思いを聞いてみたい。手放すには惜しい、いつまでも一緒にいたい存在だと、彼に思わせたい。私はきっと価値のある女性のはずだ。ここからこの映画は御曹司探しのコミカルなロードムービーへ変貌することとなる。

あからさまな演出

豪邸内での主人公と手下たちとのやりとりの中で、気になる描写が頻繁に挿し込まれたのを小生は見逃さなかった。

手下の一人、スキンヘッドが特徴のイゴールという男がやたら間をもたせるシーンの中でスクリーンに映し出されるのである。セリフは主人公が放っている、でも実際に映っているのはイゴール、というシーンが何度も何度も。

あ、これはラストに向けて主人公とイゴールの間で何かが起こるな。そう思わずにいられないほどやたらそういったシーンが目についた。そこからはもう主人公とイゴールの関係ばかりに目がいくようになってしまった。

車に乗り込んだ時に、力づくで身体を押さえ込んでしまったことを詫びるも主人公に無視される。その後も機を伺いながら話しかけてみるもなかなか振り向いてもらえない。でもイゴール、めげないんだ。御曹司のゆかりのあるお店をいくつも訪れて、その都度空振りに終わるんだけど、一緒に過ごす時間はそれだけ延びていくわけで。そうしたうちに主人公の心情も「ゲロを吐き出すヤツよりはまだマシか」とイゴールからのアクションに反応を見せるようになった。

駐禁でレッカー車に使用車が連行されそうになったり、ハンバーガーショップで手下が地元の若者たちとケンカを始めたり、とコメディ要素が強くなればなるほど、ラストに向かって切ない結末が待ち受けているんだろうな、という覚悟を鑑賞者たちに突きつけてくるような展開の中、御曹司が見つかった。かつて主人公が働いていた職場で。

引き戻される現実

まさか失踪中のフィアンセが、かつて自分が仲違いしていた同僚からサービスを受けていたのは屈辱的だっただろう。不自由な現実から抜け出せるはずじゃなかったの。多くの財産を手にして煌びやかな未来が待っているんじゃなかったの。目を背けたくなるような光景に怯みながらも、泥酔している御曹司に真剣な眼差しで問いかける。これまでの一週間の出来事はフェイクなんかじゃないよね。私はあなたのフィアンセにふさわしい女性だよね。御曹司は何も答えない。残ったのは仲違いしていた同僚の挑発をきっかけに起こった乱闘で負った顔の傷、それだけだった。

御曹司も拘束され、結婚の無効手続きへ。ネバダ州で交わした婚約はニューヨークではタッチできないため、またもラスベガスへ向かうことに。そしてロシアから両親が到着。この両親が御曹司以上のクズっぷりで。一家のメンツを潰した息子に非難の言葉を浴びせ、主人公にはもはや人としての接し方さえしなかった母親もなかなかなものだったが、それよりも父親だ。主人公に罵倒される妻、息子に対して大爆笑。あぁ自分のメンツに直接関わること以外はたとえ家族でさえも下に見ているんだな、と。ラスボス感が満載だった。

この家族との邂逅は社会階層の闇をまざまざと見せつけてきた。貧困ならどんなに真っ当に生きても、クズの金持ちにあっさりと蹂躙されてしまう。こうして人生の大逆転への一縷の希望はむなしくも叶わず、現実へと引き戻されてしまった。

ラストの描写。車で自宅に送ってくれたイゴールとの時間。これまでずっと自分の境遇に対してどんな人間に対してもひるまず弱気のかけらも見せなかった主人公のメンタルが決壊する。イゴールへの感謝を気持ちを性的行為によってでしか表現できない自分への虚しさが車内でなんとも言えない雰囲気を醸成させる。大雪のコニーアイランド。雪が急速に車窓を覆っていく。覆われた雪で生成された白い壁が、もう人生の大逆転への道を閉ざしていくような演出には胸が締めつけられた。

次回作で会いましょう

クラシカルなおとぎ話なんかには決してさせず、「フロリダ プロジェクト」と同様に救いのない結末で解釈を鑑賞者に任せるようなショーン・ベイカーの真骨頂が存分に詰め込まれた傑作だった。そろそろ性産業従事者以外にスポットをあてた作品を観たい気持ちもあるのだが、これくらい良質な作品がまた観れるなら、設定は度外視するよ。

主人公を演じたマイキー・マディソン。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で火炎放射器で火あぶりにされた少女だと聞いて、たしかにこんな女の子がいたな、と不思議な記憶の取り出し方をした。ブラット・ピットに挑戦的な態度をしていた少女がたしかいたはずなので、今度探してみることにする。今作は素晴らしかった。「私はこの出演でチャンスを絶対に活かしてトップ女優の踏み台にしてみせる!」といった覚悟が演技を通してビンビン伝わってきた。出自はユダヤ系らしいが東洋系にも見られるような見た目は今後、アジア市場でも人気を獲得していくことだろう。オスカーの主演女優賞、とれるといいね。

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