さっきの雑記 5(オモイツキ備忘録)
【今回のテーマ】
どうせ好きになってもらえない症候群(DSMS)
先に言っておきますが、今回のテーマはつい先ほど思いついた僕の造語なので、心理学的にとか精神医学的な根拠などは一切ありませんのでご了承ください。
さて、どうして僕がこういう造語を作ってまでここに何かを書き残そうと思ったかというと、Twitterでこんなつぶやきを見つけたんですね。
まあこれ、世間一般にはミソジニー(女性嫌悪)が匂う立つツイートなわけですが、それについてツイートしているうちにふと思い浮かんだことがあったのです。
このツイート、よく読んでみるとそれほど「女性が憎い」と言う感じがしない。読めば読むほど、ただ虚勢を張っているようにも思えてくる。
だいたい、こんな付き合い方だと、男性の中にも嫌気がさす人がいるんじゃないのとも思うし。
そう考えているうちに、このツイートをした方の人生の中でも、一緒にラーメンや鳥貴族に行ったり、予約なしで遊びに行ったり、お前と呼んでみたり、そういう「女性」がこれまで全くいなかったというのは想像し難いなと思ったんです。
だとするとたぶん、そういう女性はこのツイートをした人にとって「女性とは認識されていなかったのではないか」と、まず思ったんですね。
つまり、このような接し方を受け入れられる人は、このツイートをした人にとって、性別を問わず「友達」と認識されるのではないか。
その前提に立つと、このようなツイートをすることになる理由も少し見えてくる。それはもしかしたら、この方にとっての「女性」とは、ある種の「恋愛感情」もしくはそれに似た「自分だけの特別な異性」に対する目線なのではないかと思ったわけです。
要するに、こういうことを言う人たちにとって、恋愛したい(もしくは「ヤリたい」など)と思う女性、つまり自分が最終的に「手に入れたい」女性が、自分の属するコミュニティの価値観とは異なる価値観を持つ世界での生活をしていることが多というだけの話なんじゃないか。
自分の目にキラキラして映る、ある意味では「憧れの女性」の属しているコミュニティでは、女性はいつもおしゃれなカフェに行き、予約された店にエスコートされ、歩くスピードを合わせてもらい、レディファーストで上座に座り、○○ちゃんなどと呼ばれ、つまらない話にも笑顔で受け答えしてもらっているのだろう。
それは自分が属するコミュニティの「親密さ」とは、あまりにもかけ離れていて、そういう振る舞いをすることは、むしろどこか「よそよそしい」ようにすら感じられてしまう。
よそよそしさを感じてしまうから、そういうコミュニティにはなかなか馴染めないし、だからそもそも「友達」になることも難しい。そういうことを感じ続けているとそのうち、憧れの女性たちから、自分は「どうせ好きになってもらえない」に違いないと考え出すようになる。
それでも好きになって欲しいから「自分たちの価値観がいかに素晴らしいか」を自慢げにアピールして、それがわからないことを「恥ずかしい」と思わせようとする。
「こちらの価値観を理解さえすれば、いつでも受け入れる用意はあるんだぜ…どうせ受け入れられないだろうけどなw」という、僻み根性丸出しの無意味なマウントを取ろうとする。
はい、こうして見事に「どうせ好きになってもらえない症候群」が誕生するわけですね。
まあだから、ぶっちゃけ一言で表すと「理想が(無駄に)高い」んじゃないかと。
もちろん、理想が高いことそのものは構わないと思うんですよ。けれどあえて(無駄に)と書いたのは、こういうことを言う人たちって、往往にして「自分から価値観を変えようとはしない」ことが多いように感じるからなんですよね。
もしそうだとすれば相手に対して「お前はどうせ変わらないんだろ」ではなくて、自分から「変わってみてもいいかもしれない」と思えればいいんじゃないかなとも思うわけです。
人間なんて、場面場面で様々な価値観を持っていたりするものです。別に自分が大事にしてきたものと違うものを認めたり受け入れたり、それによってたとえ自分が「変わって」しまったとしても、これまでの自分が否定されたりするわけではありません。
もちろん、ここに書いたことは僕の感じたことに過ぎないですから、全く見当違いのことを言っている可能性も大いにありますが、オモイツキ備忘録はその名の通り「思いつき」をだらだらと書き残すためのものなので、まあこれはこれでいいじゃないですか。
ということで、今回のところはこれにてお終い。