英BBC NEWS「どうしてこれほど多くの日本の子供たちが、学校へ行くことを拒むのか」記事全文訳
Twitterで見かけた不登校に関する「BBC NEWS」の記事を全文訳してみました。
教育関連では先進的なご意見をお持ちの内田良名古屋大学准教授(Twitterアカウント:@RyoUchida_RIRIS)の見解が大きく取り上げられており、このような形で日本の不登校の現状が世界に発信された意義は大きいと思います。
拙い翻訳ではありますが、「karoshi(過労死)」や「hikikomori(引きこもり)」に続き、世界から向けられた日本の「futoko(不登校)」への眼差しが、皆様の一助になれば幸いです。
【原文記事:「Why so many Japanese children refuse to go to school」は以下】
【日本語訳】
「どうしてこれほど多くの子供たちが、学校へ行くことを拒むのか?」
日本では、ますます多くの子供たちが学校へ行くことを拒むようになっている。その現象は「futoko(不登校)」と呼ばれている。
その数が増えるにつれて、それは生徒たち自身の問題であるというよりもむしろ、日本の学校の仕組みを反映しているのではという疑問を人々は持ち始めている。
10歳のイトウユウタくんは、今年のゴールデンウィークを待っていた…それは両親に彼が感じていることを話すため…家族で楽しく過ごすはずの日に、彼はもうこれ以上学校に行きたくないと告白したのだった。
何ヶ月もの間、彼は小学校にとても大きな不満を抱えていて、それはときにはもう行けないと拒むほどであった。彼は学校でいじめられていて、クラスメイトと戦っていたのだ。
それを知ったとき、彼の両親には三つの選択肢があった。
物事が改善するかもしれないという希望を持って、ユウタくんにスクールカウンセリングをつけること、家で勉強させること(ホームスクーリング)、フリースクールに通わせること。
彼らはその中から、最後の選択肢を選んだ。
ユウタくんは今、彼のしたいことをしてスクールでの生活を過ごし、以前よりずっと幸せである。
ユウタくんは、日本の文科省の定義によると「健康状態や経済的な理由以外で30日以上(文科省の定めた)『学校』に行っていない子供」であり、日本に多くいる「不登校」の一人だ。
このような状態はこれまで「欠勤、無断欠席、登校恐怖症、登校拒否」などと(海外では)翻訳されてきた。
「不登校」への態度は、この数十年で変わってきている。1992年までは、登校拒否は精神疾患の一種であるとみなされていた。しかし1997年には、その用語はより中立的な「不登校」へと変化し、「学校にいっていない状態」のような意味になった。
そして今年の10月17日には、小学校と中学校の不登校が過去最高になり、2017年の144,031人から、2018年には164,528人になったと政府が発表した。
一方、不登校数の増加に伴って、日本では1980年頃から「フリースクール」という動きも活発になった。
自由と独立性を主眼として運営されるオルタネイトスクール(代替学校)だ。
フリースクールは、これまでの家庭学習に加えて、義務教育の代わりを引き受けることになったが、子供たちに(義務教育の)卒業資格は認められない。
一般的な学校の代わりに、フリースクールやオルタネイトスクールに通う生徒の数は年々増加し、1992年には7,424人だったが2017年には20,346人になっている。
学校生活から弾き出されることは長期間に渡る影響も懸念され、「hikikomori(ひきこもり)」として知られる、自室にこもり自身を社会から完全に切り離してしまうようなリスクもある。
さらに大きく懸念されるのは、自分自身の生命を投げ出してしまう生徒の数である。学校での自殺者数は、ここ30年で最高になり、332件にのぼる。
2016年には、生徒の自殺の増加を受けて、日本政府は学校に対して自殺防止対策の特別勧告を議決した。
ではなぜそれほどに、日本では多くの子供たちが学校を嫌がるのだろう?
文科省の調査によると、家庭環境や友達関係、そしていじめなどが主な原因とされている。
一般的には、不登校の子供たちは同級生や時には先生ともうまくいかなかったと口にする。
モリハシトモエさんの場合も同様だ。
「たくさんの人といるのが苦手だったんです」と12歳の彼女は言う。「学校生活は苦痛でした」と。
彼女は場面寡黙症に悩まされていて、公の場ではどこにいてもその影響があった。
「家族と離れていたり、家の外では話せなくなるんです」と彼女は話してくれた。
そして彼女はまた、日本の学校に溢れる厳格な校則に従うことが難しいと思うようになった。
「靴下の色は白、髪は染めるな、髪留めのゴムの色まで決まっている…ゴムを手首につけてるだけでダメだった」と彼女は言う。
日本の多くの学校では、その学校の生徒の外見をあらゆる面でコントロールする。地毛が茶色い生徒の髪を黒に染めさせたり、たとえ寒い冬であってもタイツを履いたりコートを着ることさえ生徒に許さないこともある。中には、生徒の下着の色まで決めている。
このような厳格な校則は、校内暴力やいじめ対策として1970〜1980年代に導入された。1990年代には緩和も見られたが、最近ではまた一層厳しくなっている。
このような規則は「ブラック校則」として知られている。自社の社員を不当に扱う企業を指して使われる「ブラック企業」という有名な用語を引用したものだ。
現在トモエさんは、ユウタくんと同様、東京にある「多摩川フリースクール」に通っている。そこでは制服を着る必要もなく、また学校と親そして生徒自身の間で合意して決めた計画に沿って、自分のやることを自由に選ぶことができる。生徒たちは自分自身の技術や興味に沿った行動を促されている。
国語と数学のための部屋にはパソコンがあり、また図書室には本も漫画もある。
その雰囲気はとても和やかで、まるで大きな家族のようだ。生徒たちは共同スペースではお喋りをしたり遊んだりしている。
「この学校の目的は、一人一人のソーシャルスキルを育てることです」と、校長のヨシカワタカシ氏は言う。
運動でもゲームでも勉強でも、大事なことは彼らが集団に入ったときにパニックにならないことを学ぶことです。
現在、学校はより広い場所に引っ越して、10人ほどの子供が通っています。
ヨシカワ氏は2010年、東京郊外の府中にある3階建てのアパートの一室で最初のフリースクールを開きました。
「15歳以上(高校生以上)の生徒を想定していましたが、実際には7〜8歳くらいの子ばかりでした」と話す。「場面寡黙症で大人しい子がほとんどで、学校では彼らは何もできませんでした」。
ヨシカワ氏は、子供たちのコミュニケーションの問題は、彼らが学校に馴染めなかったことに大きな原因があると考えている。
氏が教育に目覚める過程は一風変わっていた。自分が仕事でキャリアを登り詰めていくことに興味がないと分かったとき、彼が40代に差し掛かったところで「サラリーマン」を辞めたのだ。彼の父も医者だったが、氏と同じく地域に貢献したいと考えていたので、父もまたソーシャルワーカーの資格を取り里親になっていた。
こうした経験によって、氏は子供たちが直面する問題に目を向けることとなった。どれくらいの生徒たちが貧困や虐待に苦しんでいるか、そのことが生徒たちの学校での活動にどれほど影響を及ぼしているのかを知ることになった。
生徒たちが直面している困難の一部は、ひとクラスが大きいことであると、名古屋大学教育学部のウチダリョウ教授は言う。
「一年間必ず一緒に過ごさなければいけない40人もの生徒がいる教室では、様々なことが起こり得ます」と氏は話す。
日本で生き抜くには「空気を読む」ことが大事な要素になってくるとウチダ教授は続ける。人口密度が高いので、もし他者との関係が拗れたりうまくいかないと、生き残るのは難しくなる。こういったことは学校だけに限らず、公共交通機関や様々な公共の場でも同じで、あらゆる場所が混み合っているのです。
しかし、多くの生徒たちにとって、こうしたことに従う必要があることは問題です。狭い空間で他の生徒と一緒にあらゆることをやらなければならない、そんなすし詰めの教室では生徒たちは居心地が悪いのです。
「そういった居心地の悪さを感じているのが普通のことになっているのです」と、ウチダ教授は言う。
何より日本では、子供たちは一年間ずっと同じ教室で過ごすので、もし問題が起こってしまうと、学校に行くこと自体がつらくなってしまう可能性があります。
「そういった意味では、例えばフリースクールなどによって提供される支援は、とても意味のあるものです」とウチダ教授は続けます。「フリースクールでは、集団のことばかり考えることは少なくなり、それぞれ一人の学生として考えたり感じたりすることを尊重するようになります」
しかし、フリースクールという代替があったとしても、日本の教育の仕組み自体が持つ問題は課題として残る。ウチダ教授によれば、生徒たちの多様性を育てないことは、彼らの人権侵害であり、その意見に多くの人が同意している。
「ブラック校則」や日本の教育環境への批判は、今や全国的に増えてきている。東京新聞に掲載された最近のコラムでは、それらについて人権侵害であり生徒の多様性を害していると評した。
8月には「ブラック校則をなくそう!プロジェクト」が文部大臣へのオンライン署名を集めたところ、60,000人を超える署名があり、理由の不明瞭な校則の調査をするように求めた。
また大阪府では、府下の全高等学校の校則を再調査するように指導したところ、約40%の学校で変更が行われた。
文科省は現在、不登校は異常ではなく時代の流れだと受け入れることをあきらかにするべきだと、ウチダ教授は話します。教授は、不登校の生徒たちは問題児ではなく、望ましい環境を提供することに失敗した日本の教育の仕組みに対応した暗黙の告白だと見ている。
(了)