安楽死についてちょっとだけ

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ALS患者さんの嘱託殺人で逮捕された医師にはビビった。

『あぁ、やっぱり日本でも水面下で違法に安楽死を施す医師がいるんだなぁーー』ビビりながらおもわず一人ごとで呟いてもいた。まえに知り合った医師に、明言はされなかったけど違法に安楽死ができる旨を伝えられたことがある。もしも幡野さんが本当に困ったら…というニュアンスだった。

ぼくはがん患者だ、病気になってすぐに安楽死のことを調べ、スイスで安楽死ができるように手続きも済ませている。スイスの医療者からすればたぶん迷惑な話だ、自国の患者は自国で面倒をみろよって話だ。

安楽死の権利を有することの最大のメリットは、苦しんで死ぬことはないという安心感と、絶望して自殺することを防ぐということに尽きる。つまり冷静になれる。それが余生の生きやすさにつながっている。安楽死の権利を持ってるけど、死にたいわけじゃない。

ぼくに会ったことがある人や知ってる人はぼくが"絶望の淵で死を望む人"とはうつらないとおもう、どちらかといえば"人生が充実をしている人"とうつるんじゃないだろうか。安楽死の権利はジョーカーのカードを持つようなものなで、他のカードがショボくてもジョーカーがあるがゆえに戦える。

安楽死を反対する人の多くが、死の同調圧力を懸念している。それはとてもよくわかる。なんでわかるかといえば、すでに医療現場や社会では生の同調圧力がまかり通っているからだ。

患者は苦しみたくない、家族は悲しみたくない、お互い本音もいわない。

患者の望まない治療が家族の意思のもと決定された場合。医師は家族の意思を優先する。患者は意識もなけりゃ文句もいえない、しかし家族は生きるのだ。家族に不満を抱かせて訴訟になるほうが面倒だ。医師になるのは人生をかけるほど大変だ、この患者が死んでも次の助かるかもしれない患者が待っている。医師にも守るべき家族や人生がある。

このことはTEDに登壇したときに話をした、ヒマな人も忙しい人も見てほしい。

https://www.youtube.com/watch?v=FckPuqb7lFc

安楽死を反対する人がよく引き合いにだすのが、ALSの患者さんの存在だ。いままでいろんな人と議論をしてきたがとにかくALSの当事者でもない健康な人で、ALSの介護や支援をしているわけでもないのにALS患者さんを引き合いにだしてくる。

がん患者の当事者であるぼくと議論するうえで優位にたつと考えてのことなのかもしれない。ぼくはがん患者なのでALSの患者さんの気持ちはわからない。そもそも自分の病気しか体験していないのだから、他のがん患者さんの気持ちもわからない。

『じゃあALSの患者さんは安楽死を禁止にしましょう』と一度だけ反論をしたことがある。
GO TOトラベルキャンペーンで東京を除外した感覚で、ALSの患者さんは安楽死ができなくなる。ALSの患者さんを引き合いにだす反対論者は彼にとって正義のヒーローになるのか、生き地獄の悪魔になるのだろうか。

安易な主張はさらに安易な反論を生んでしまうので、ぼくはあまりいいとはおもわない。ちなみにこのエピソードをALSの患者さん当事者に話したことがある。その人はがん患者ばっかりずるい、といっていたのが印象的だ。

死の同調圧力や生きることを選択しやすい社会を目指すのはとてもいいが、本当に死を望む患者さんにどう対処するのだろうか?死にたくなるほどの耐えがたい苦痛というのは存在する。生死の同調圧力が正解とおもわないし、自殺をすることが正解だともおもえない。選択肢を潰すのではなく、選択肢は広げたほうがいい。

安楽死があると緩和ケアの発展が止まってしまうという主張をする医師もいる。ぼくはそうはおもわない、安楽死を成立させるには緩和ケアの発展が必要不可欠なのだ。そもそも緩和ケアの発展のために病人がいるわけでもない。

がん患者がいちばん絶望の淵に立たされて死にたくなるのは、がんという病気の診断直後、再発の直後の数日だろう。めちゃくちゃに死にたくなるほど落ち込む、まさに絶望だ。人生が終わったとおもうタイミングに、耐えがたい苦痛まであったら人生を終わらせたいとおもう。

診断後のパニック状態ともいえるときに患者が安楽死を求め、治療に前向きでない患者に医師側も前向きになれず、ポンポンポンと安楽死を承認してしまうほうがよっぽど問題だし、医師のモチベーションの低下のほうが心配だ。

安楽死に必要なのは面識のない初対面の医師がサクッと死なせることではなく、患者には早期からの緩和ケア、家族には早期からのグリーフケアを施し、糖尿病の教育入院や栄養指導のように、宝くじの高額当選した人に冊子を配るように、生きることや死ぬことを教えることが大切だ。そして死の同調圧力にさらされていないか判断する必要もある。

つまり用意周到に時間をかける必要がある、時間をかけて患者にも考えさせる。安楽死を保証して考えてもらい、考えが変われば安楽死を保証して生きてもらい、そして本当に辛くなったら苦しまずに死ねる。これだけで患者はどれだけ生きやすくなることか。

これは緩和ケアチームのレベルが低いと成り立たない。早期からの緩和ケアは現在でも推奨されているが、ほとんどできていないんじゃないだろうか。現在の緩和ケアのレベルが高いとはおもえない。

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安楽死について議論をしようとする空気が高まっている。でも、大きな事件や災害、タレントの不倫問題発覚が明日あれば安楽死の議論なんておさまる、そんなものだ。

満員電車の人身事故に遭遇した人はどんな感情を抱くだろうか?心のどこかで人に迷惑をかけずに死んでくれよ、っておもわないだろうか。樹海で自殺する人におもいを寄せることはあるだろうか?

ぼくは安楽死について議論をするのは無駄だとおもっている。反対派は他人の、弱者の命で考えて何がなんでも反対、賛成派は自分の命で考えて何がなんでも賛成だ。双方にとって命を脅かす存在であり価値観が違いすぎ、口を塞ぐことが目的になり感情的になり議論は成り立ちにくい。

せめてこの価値観をルールとして揃えてから議論をしてほしい。すでに安楽死がある社会だと想定をして、安楽死を望む人になにが与えられるのか?それも考えてみてほしい。

友人である緩和ケア医の西先生と議論をするたびに、ぼくはこのことばかり考える。
つい一週間ほど前もアイスのラテを飲みながら西先生と安楽死の話をした。

安楽死のことは本当はここに書く予定はなかったのだけど、事件によって社会的に話題になっているし、たまたま本日、7月26日(日)21時から西先生がSNSやさしい医療オンラインVOL12で死について講演をする。すごいタイミングだ、ビビった。

https://www.youtube.com/watch?v=Vfd0lz0DGf8

西先生は今回の事件について息を止めて深いところまで潜り、思考を巡らせているはずだ。水面まで上がってプハーーーっと息をしたときに、考えたことをしゃべりたくてウズウズしているはずだ。ぼくもそれを聞きたくてウズウズしている。

そしてたぶん、彼もまたぼくがこの一件から感じたことを聞きたいはずだ。彼がどこまで話すかはわからないけど、今度はアイスラテではなくすこし強いお酒を飲みながらまた西先生と話がしたい。

幡野広志

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