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🍁文学サークル“お茶代”10月課題🎃妙に心に残る一行

皆さんは本などを読んでいて、妙に心に残る文章に出会ったことはないでしょうか。
今回のお茶代サークルさんのお題にあったのは、〝私の好きな「この」1行〟。
しかし、「一行」というのが中々の曲者。あれ、「行」ってどこまでだっけ? 句読点までだっけ?
普段何気なく使ってるけど、いきなりポンと言われると戸惑ってしまう。
というわけで、改めて「行」と「段落」について調べ直しました。

「行」とは、句点までとは限らず、文書の左端から右端までの横方向の文字列などを表示する場所を指します。
「段落」とは、段落記号(改行マーク)の後ろから、次の段落記号(改行マーク)までのまとまりを指します。

https://www.crie.co.jp/chokotech/detail/65/

あっ、それなら思ったより条件緩いな。
じゃあ10月と言ったらハロウィン、ハロウィンと言ったら……
ティム・バートンだ!
ちょうど最新作『ビートルジュース  ビートルジュース』が公開中だし、時期的にもぴったり。
下記は、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のキャラデザについての発言です。

ジャックを描きながら、両目の代わりに開いている真っ黒な穴にほんとに夢中になっていて、両目がないのに表情豊かだなんて、信じがたいことだって思ってたことを覚えている。
サリーは比較的新しい未知のキャラクターだった。僕はキャットウーマンみたいに縫い目があるところに興味を持った。
継ぎ合わされた心理的総体ってところに興味を覚えたんだ。
やっぱりああいうキャラクターたちは、みんな僕の感じ方のシンボルなんだ。
一つになっていなくて、バラバラにゆるく縫い合わされていて、自分自身を絶えず一つに引き合わせようとする感情は、いわば、僕にとってほんとに深い感情だ。
だからああいった視覚的シンボル群は、『フランケンシュタイン』に基づいているっていうよりは、自分自身を一つに引き合わせようっていう感情と関係しているんだ。

ティム・バートン[映画作家が自身を語る](フィルムアート社) P162-164

読みやすいように改行を入れてますが、彼の作品の登場人物って死者や妖怪が多いのに、感情豊かで本当に生き生きとしている。
ジャック・スケリントンは骸骨なので目玉がないというのに、眼窩の変化であそこまで細かく繊細に感情が表現できたというのは、感嘆に値するレベル。

特にサリーのくだりは圧巻。そうだよね、心なんて一つに表すことなんてできないよ。それは感情や背景など色々な要素が複雑に組み合わさったもので、ちょっとしたことでバラけたりする。
バートン作品にはよくツギハギのキャラクターが登場しますが、心に秘めた闇やいくつもの矛盾を抱えながらもどうにか一つにまとまっている姿と考えれば納得。
この表現から分かる通り、バートンはやはり、言葉よりも視覚で世界を捉えている人なんだなというのが感じられます。

事実、『インナーヴューズ―映画作家は語る』では、「ひとつの文章を言うために4つか5つの文章を話しだし、言葉をみじん切りにする」「彼の言葉はすべて、翻訳の重荷を背負っているのだ」とあり、まったくその印象通りであります。

しかし、矛盾を良しとしない世の中で、それを暴きつつも受け入れる。
人が本来数えきれない矛盾を抱えつつも、内に秘めたままどうにか生きていることを考えると、それを肯定してくれるバートン作品が広く受け入れられているのも分かる気がします。


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