鬱と愛着障害な日々。信じるとは何か?
目が覚めた時、何のために今日一日を生きようって思えますか?
何のために、そして何をエネルギーとして布団から出ますか?
それが分からなくなった。だから、布団からなかなか出られなくなった。
だって起きる意味が感じられないから。
布団から出たって、今日もどうせ一日何もないし、面白いこともないし、私は社会の中で必要とされてないし。何をやったらいいか分からない。
最近は全然ダメ。なんのやる気も出ない。
歯磨きもお風呂も着替えるのもめんどう。気付くと一週間くらい同じ靴下を履いている。布団で寝るのが億劫で、床でウトウトして5時間くらい経ってしまう。日課のウォーキングも歩みがいつもより遅くなり、なかなか目的地や家に辿り着けない。仕方なく休むことにした。
なんだかなんにも楽しくない。鬱だからなのか、飲むと感情が平たくなる精神薬のせいなのか。生きてる意味がないし、自分の存在に価値も感じない(どっちも元からそんなもんだった気もするが)
ろくになんにもできなくなったので、読書でもすることにした。
普段は全然読まないけど、エネルギーのない時にできるのって私には本を読むか、YouTubeやアニメを観るか、音楽やASMRを聴くことくらいだから。つまりはただ受け身でいればできることだけ。
自分に関係ある内容の本がいいと思ったので、愛着障害やアダルトチルドレンなどについて書かれている本を読んだ。
耳の痛いことがいろいろ書いてあった。私のような人間は甘えの願望が満たされていないらしい。そしてそれが無意識に外へ漏れ出てしまっているため、人との関わりがうまくいかないと……。
思い当たることはあった。私は人に甘えることや頼ることが昔からとても苦手だけど、その実、母性的な、神様みたいなものに包まれて、愛されて、なんでも許してもらいたいと願っている。
私のみっともなさも、幼稚さも、何かもぶちまけてしまっても、どんなに醜くても全て受け入れてもらえること、をものすごく望んでいる。
でもそんな存在が現実に存在するわけがないから、いつも胸の真ん中に大きな穴が空いている。風が通り抜けている。
そこを乗り越えるための方法は、正直本を読んでもよく分からなかった。何度か読まないと頭に入らないものなのかもしれない。ただでさえ鬱だし。
信頼できる人を見つけること、とどの愛着障害の本にも大体書いてあるけど、正直言って、それができたら苦労しねえわすぎる。
人と関係性を築く方法がさっぱり分からないし、自分から話しかける勇気も出ないし、奇跡的に仲良くなれても、不安定な人間だからうまくほどよい距離を保てず長続きしなかったりする。
それに、信頼できる人が見つかるかどうかというより、人を信頼することのできるメンタリティを自分に身に付けさせることが困難を極めると思う。
そもそも信じるってなんなのだろうか。どういう状態のことを指すんだろうか。ルパンVSキャッツアイのアニメ観ながら考えた。
私って、今まで誰かを信じられたことなんてあったかな。誰かに信じてもらえたことってあったかな。
思い当たらなかった。分からなかった。
信じる、も分からないし、愛も恋も友情もよく分からない。
それっぽいものを自分の中に感じることがあったとしても、なんだかすぐに消えてまうような、砂の城が波にさらわれて壊れてしまうような儚さ、偽物じみているような胡散臭さを感じる。
だからそれらをテーマとした作品もあんまり響かないことがある。それがつまらないし、寂しい気持ちにもなる。
多くの人が当たり前に善きものとして楽しめるものを、私は疑ってしまう。斜に構えて、「くだらない」「みんなしょーもないな」なんて冷たい目を向けながら、内心それをとても求めていたりする。
こんなこじれた気持ちを持ち続けていると、自分だけが異質で、異星人で、誰とも交われないなんて気持ちになってくる。
これも認知の歪みとか、視野狭窄とかいうやつなのかもしれない。だけど、わかっててもどうしたらいいか分からない。
多分今日も目覚めたらまた、なんのために生きてるか分からないとか、どうせ今日もなんも楽しくないから起きる気しないとか思うのかもしれない。
それをなんとかする手段は思い付かないし、普通にしんどいし、無理です。