迷路

自分の分析をしてみる。ただの殴り書きだし、定期的に溜まった文章力を発散したくなる時がある。こう、ブラックユーモアを交えた文章たちの読みたさたるや。特定の記事やブログに対しては新しいものが上がる度に気分が上がって購読力を掻き立てるものがある。

そもそもの本質に、なぜ文章、ブログ等に特段魅力を感じるのかという話になると、16歳、ジュニア1年目に出会ったO前さんという努力と才能の塊のような人が、自分にとって常に偶像であり、今でもあり続けている。潜在的にあの時の衝動が刻み込まれているのだろう。16歳と未熟だった自分には衝撃という言葉がまさにふさわしい出会いであった。また、ある意味では良くない出会いもあり、故に捻くれた思想や意見が素直で邪念の無い感想の100倍も多く生まれてしまう思考回路になったのかもしれない。ちなみに彼は文章量が素晴らしく、表では普通の好青年であるが、ブログではひたすらブラックジョークを連打しており、それもまた最高にかっこよかった。

家庭環境や外部要因によって性格は形成されるというのが一般論であるが、比較的子供の頃から捻くれた考えを持っていたことが先述した人物に出会った際に思想に大きな影響をもたらすに充分足りる素材であったと。家庭、特に父はユーモアさと寡黙さが一言で形容するに最も適した人物で、かくいう私もその遺伝子を上手く受け継いでいる気がする。
幼い頃はそれが非常に厄介で理解に苦しいと思うことが多々あったが、今はそんな自分を肯定できて、なんなら面白さすら感じる。人生はシンプルに考えることが重要ではあるが、シンプルさを結果として生み出すことに価値があり、その過程でいくら遠回りができるかが人生の豊かさに貢献している気がする。

長くなってしまったがそんな自分の思想に大いなる影響を与えた人物は、全てを見下していた。そしてそれが自分にとってはかっこよくて、特に彼は全てを見下すにあたいする努力と才能があった。尚更かっこいい。
男はかっこいいが一番の原動力であると、これまた突拍子の無い出会い且つつまらないものではあるがバイト先の店長が言っていた。少年永富は大いに同感。原動力の全てはかっこよさである。シンプルで良いが、そのようにして人を蹴落としたい、とか、頂点に立ちたい、などの歪んだ思想がそれこそ16歳頃から形成されていった。

そして競技の世界へどっぷりハマっていく。

正直この考えは一生取り除ける気はしないけれど、徐々に適応範囲を制御できているような気がしてきた。人はこれを成長と呼ぶのだろうか。24歳と決して若くなく、いわゆる本当の意味で大人になっていく年齢で、歳相応の変化を体験出来ているのだろうか。

自分がエネルギーを与えるモノやコトの関わらない以上、自分の思想だったりをあえて関与させることはダサいんだなとわかった。もうひとつの言葉である''ダサい''これは漢たるもの絶対に避けなくてはいけない言葉であり、全漢はこの言葉をいかに人生で排除させる、もしくは回避するかに全力を尽くしていると信じている。

そしてそのダサさこそ、他人を扱う時にも大いに感じる時がある。自分はまだダサい。認めることも大事であると信じている。
幾人か人との付き合いの点で大いに尊敬出来る人達に出会い、それを受け入れ、学んで行っている最中である。これを言葉にするとなんとも抽象的すぎてまだ表せないが、もう少し経てば俯瞰して具体化出来る時が来るのであろう。同時にその時こそ、自分がその能力を獲得した証拠でもある。

ただ殴り書きがしたかっただけの文章。
人として丸みを帯びることはおそらく誰もが歳を重ねていくにつれなるものであるけれど、小さい所に合わせて丸くなるのではなく、尖った点に合わせて️丸を大きくしていきたいな、の所存である。

人生は長い。

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