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「本音と建前」のない素直な世界

質問:
他人の言葉の裏に本心が透けて見えることがあり、言っていることと思っていることが違うと感じてモヤモヤすることがあります。


うるかの回答:
本音と建前、というやつでしょうか。よくわかります。
私は子どもの時から「素直じゃない」「ひねくれている」と言われ続け、素直になりたいけど素直になるにはどうすればいいのかを考え続けた10代でした。
マンガ『天使なんかじゃない』の主人公の翠ちゃんは最上級に素直な性格で、ちょっとひねくれ者の秀才美女の親友・マミリンからこんなことを言われます。
「私は、冴島翠みたいになりたい。うれしいときに喜んで、悲しいときに泣く。そんな当たり前のことが、みんな素直に出来ないものなのよ」
(記憶だけで書いてますので、正確ではないかもしれません)
常に斜に構えて批判的な態度だったマミリンですが、翠ちゃんたちと学園生活を送る中で少しずつ、素直で柔らかい物腰の女性に変化します。そしてついには、長年片思いしていたタキガワマンを振り向かせることになります。
『りぼん』での連載をリアルタイムで読んでいた小学校高学年だった私はマミリンと自分を重ね、自分だって素直な性格に変わることができるんじゃないかと夢見たものです。

素直とは、どういう状態なのか。
ひねくれ者にとっては、そこからして疑問なのです。今の自分の例えばどんなところが「ひねくれている」と言われる理由で、それをどう修正すれば素直になれるのか。それがそもそも、わからない。
「もっと素直になりなさい」と言われても、何をどうすればいいのか、皆目見当もつかないのが私の中学高校時代でした。
「お前は本当にひねくれてるなあ」と言われた時、その直前に自分がどんな態度でどんな発言をしたのか思い返し、素直な人ならどういう受け答えをするんだろうと考えたりもしました。が、考えたところで、よくわかりませんでした。
また、同じクラスの翠ちゃん的な存在の女子の言動を観察してみて、その子も翠ちゃんみたいに喜怒哀楽を豊かに表現している、だから素直とは自分の感情の、特に喜と楽を多めに表に出すことなのだろうかと仮説を立て、実践してみたりもしました。

自分のひねくれっぷりを自覚し素直な言動に軌道修正するきっかけとなる事件が、20歳のクリスマスイブに突然、やってきました。
今の夫と恋人関係になってから初めての12月24日、昼、私の一人暮らしのアパートにやってきた夫は「サークルの男連中が遊ぶ企画を立てているから、夜はそっちに行ってもいい?」と言ってきたのです。
いいわけありませんよね、初めてのクリスマスなのです。二人で過ごしたいに決まってます。
というか、そんなのを彼女である私に聞く前に、誘われた時点で断れよ怒、というのが本心です。が、私は
「行ってきたらいいんじゃない」
と涼しい顔で答えていたのです。
いい女ぶりたかったんだと思います。

彼は「あ、ほんと。じゃ行ってくるね」と言って、夕方本当に出掛けてしまいました。
私は「え、ほんとに行っちゃうの」とは思いましたが、とはいえ20時21時くらいにメンズ同士の遊びが一段落したら自分のところにまた来てくれるんじゃないかという期待があったのです。
そんな私の期待むなしく夜はどんどん更け、ついに22時を過ぎたあたりに私は彼に怒りの電話をかけました。「本当に遊びに行ったままこっちに来ないとはどういうことか」と。

この時「この人相手に本音と建前を使い分けてはいけない。言葉として口に出したことをそのまま、本音と疑わない素直な性質の人なのだ」と強烈に悟りました。そういう人、建前という概念を持たない世界に生きる人がこの世にいるものなのだと、衝撃とともに知ったのです。
「夜は男連中と遊んできていいか」と聞かれたとき、私は
「やだ、クリスマスなんだから二人で過ごしたい」
と本音をそのまま彼に言わなければならなかった。
「行ってきたらいいんじゃない」と、本心と真逆のことを言った私が全面的に悪い。この件に関して、私は反省と共に心からそう思いました。

そんな経緯で本音だけを口にするよう心がけるようになったところ、普段自分がいかに、本音を口にしていなかったかに気づきました。
「嬉しそうだね」と言われて「うん、嬉しい」と言えばいいところ、「別に、、、」みたいな反応ばかりしていたのが当時の私でした。
私がひねくれていると言われてきたのはこういうことか!大げさでなく開眼した、と思いました。

こうして自分の言葉から「本音と建前」を排除し、「思っていることを素直に言う。思っていないことは言わない。」を徹底するようになって、言葉と心が一致する心地よさを体感できるようになりました。すると次第に、自分が言葉と心を一致させるだけでなく、他の人の言葉も本心だと信じたいな、と思うようになりました。私自身の世界からは「本音と建前」の概念をなくしたいな、「これは本心なのだろうか」という疑念を持たずに過ごしたいな、と思うようになったのです。

この人はこう言ったけれど、本当は違うことを思っているんじゃないか、と感じることはよくあります。そうした本音の探り合いにパワーを使うのをやめたい、思っていることを全て言わなくてもいいけど、少なくとも言った言葉は本音であってほしい。私がそうしているように。
そう思って、今は、誰かにかけられた言葉は言葉通りに受け取ることにしています。
私が夫と接して衝撃を受けたように、普段本音と建前を使いこなす人であっても「うるかに対しては建前を言ってはダメなんだな」と思って欲しい。私は、裏でどう思っているだろうと推測するとか本心は違うのではないかと疑うとか、複雑なコミュニケーションの世界にいては疲れ果ててしまいます。

私自身と私の周りでは、シンプルに、こう思ったからこう言った、というやりとりをしたいのです。「こう言ったけど、後から考えたら違った」なら、すぐそのように訂正して言ってもらえればいいのです。
言葉に裏を持たせない。自分の言葉にも、他人の言葉にも。そう決めています。

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