あの人に嫌われた、と思ったら
質問:自分に好意じゃないものを向けられているような気がした時(あれば)、どのように考えますか?
うるかの回答:
「この人は私のこと、嫌いなんだろうな」と察知することはあります。あからさまに「アンタのこと嫌い」と態度や言葉に出されることは非常に稀ですが、その頻度の少なさゆえに不慣れな分、「この人に嫌われている」と気づいた時のダメージは大きい気がしています。
どんよりとした気分で「何か余計なことを言ってしまったのか」「無自覚に傷つけることをしてしまったのか」と自分の直近の言動を振り返ったり、ため息を吐いたりしながら憂鬱な気分を一通り味わうと、だんだん開き直ってきます。
うん、私のことを嫌いな人がいても、しょうがない。私のことを好きな人も何人もいる。私を好きとも嫌いとも感じないフラットな人もたくさんいる。だから大丈夫。
そう思えれば、あとはその相手に対し、自分からは必要最小限のコミュニケーションだけにして余計なアクションをしないようにします。挨拶だけはマナーとして、他の人と差別せず同じように自分からします。相手が私の挨拶を無視したとしても「こちらが聞き取れないくらい小さな声で挨拶を返してくれたのかも」と思って気にしないようにしています。
あの人は私を嫌いなんだろう、と思った時、「でも私のことを好きな人もいる」と瞬時に何人かの顔を思い浮かべるようになったのは、私が23歳の時の出来事がきっかけでした。
私は大学卒業後、新卒採用で就職することができず、実家で半年ほどフリーターとして過ごしていた時期があります。
新卒採用が決まらなかったのは就職氷河期だったことも一因ではありますが、要するに私自身がやりたいことをわかっておらず、自己理解も浅く、働く意欲も大して持っていなかったからなのだと思います。就職採用面接では型にはまったような志望動機や自分の強みを答えましたが、それが上っ面だけのペラペラしたものだと、面接官たちは見抜いていたのだと思います。
大学卒業後に実家へ戻り、申し訳程度のアルバイトをしつつ就職サイトを覗くような日々がしばらく続きました。
そんなある日、父が「お前、仕事はどうしていくつもりなんだ。探しているのか?大体、何かやりたいことは無いのか」と問うてきたときのことです。
やりたいことが何なのか、自分でよくわかっていない私の要領を得ない答えに父は大層イライラしたのでしょう。
「お前はいつも自分の学歴ばっかり自慢して、そんなんだからダメなんだ」と言ってきたのです。
確かに私は猛勉強の末に世間で「秀才」と言われる大学に入り、卒業しました。しかし、その大学名をエントリーシートに書いていながら数十社から不採用通知を受け取り、学歴ではなく結局その人自身が見られるんだということを身にしみてわかっていたつもりだったのです。
それなのに、父からは「いつも学歴自慢」しているように見えたのか?一体、私の何を見てそう思ったのか?実家に戻って数ヶ月、私が自分の出身校についた話したのは、母校である高校が夏の高校野球地方予選で決勝に進んでるぞと父に言われて「甲子園行ったらいいな」と返事した、そのときくらいしか記憶にありません。
父の説教は続いていましたが、ショックが大きかったせいか動悸息切れが起こり、座っていられない状態になってしまいました。私の様子がおかしいため父も説教を中断せざるを得なくなり、その言い足りなさからなのか「そんなに体が弱いんじゃ、どこも採用なんてしてくれないぞ」という捨て台詞を私に浴びせたのです。
よろめきながらなんとか自室に引き上げると姉が「どうしたの?お父さん、なんて?」と声をかけに来てくれました。事の顛末を、息も切れ切れに話すと姉は
「ええっ?大丈夫?」
と、一番に私の身体を心配してくれたのです。
「ああ、初めて心配してもらえた」と思うと同時に「父は心配してくれなかった」という現実を直視し、姉の前で声を上げて泣き出していました。父にとって私とは何なのか。学歴自慢していると認識して「だからダメなんだ」と私を全否定し、体調が悪くても心配すらしてくれない。
大学生だった妹も帰ってきて姉から経緯を聞き、「何それ、お父さんひどいね」と私の傍らに腰を下ろして背中をさすってくれました。
父から説教されていた居間で、片隅にいて一部始終を見ていた母が、ほどなく様子を見に来ました。姉妹に両脇を挟まれおいおい泣いている私を見て驚いた母は「どうしたの、何でそんなに泣いてるの」と尋ねてきました。
私は涙声で声を絞り出し、
「私、学歴を自慢になんて思ってない」とやっとのことで訴えました。
「うん、わかってるよ。あんたが学歴をなんとも思ってないってわかってるよ。みんな、わかってるよ」
母はまっすぐ私を見て、必死な調子で言ってくれました。姉と妹も、そうだそうだと同調してくれました。
ああ、わかってくれる人がいる。味方がいる。
私の心はバリンと割れて散ったけど、即座にかけらを拾い集めて金継ぎを施すように修復を助けてくれる人がいる。
そのことに救われて、私はしばらく泣き止むことができませんでした。悲しみでなく、うれし涙でした。
あの人が私を嫌いなのだろう、と思うと、世界中から嫌われているような軽い絶望感に襲われます。けれど、すぐ傍らに、すぐ後ろに、自分を認めてくれる人がいるとわかればグンと気持ちが軽くなります。
それに、私だって好きになれない人、いるじゃないか。
そこまで考えが及べば、もう大丈夫。
無理無理、世界中の人、全員から好かれるなんて無理。何人か、私を理解してくれる人がいればそれでいい。
そして何人かの味方の顔を思い浮かべると、私のパワーは急速チャージされるのです。また前を向いて歩いて行こう、と思えるのです。