ピンクマン
さて、執筆するのだ!と意気込み、
ワイヤレスの持ち歩きのキーボードやスマホスタンドを揃えたら、
違うところで買ったのに、届いてみたら思った以上に、すべてが絶妙に同じトーンのピンク色だった。
いわゆるキラッとパキッとピンクでもなく、機械的なメタリックなピンクでもなく、鮮やかな紫みのピンクでもなく、ほんわりやさしいでしょうというパステルともちょっと違う明るすぎないローズピンクだ。
つまり気に入っている。
そういえば、ランドセルもローズ色だったのを思い出した。
ローズピンクだったか、ワインローズだったか。
ランドセルといえば、赤だけど、ふつうの赤じゃなくてちょっと違う色、青とか黄色にするほどじゃないんだけど、ちょっとなんか目立たないけど、その間くらいのちょっとしたこだわり。
そういうちょっとした、自分にしかわからないくらいのこだわり。そういうのを今も大事にしている。かわらない。
そのおかげもあったのか、6年間使ったランドセルは最後まできれいだった。
いまこうしている間も
着ているパジャマも、ネイルもピンク色。
とくにピンク好きではない。
わたしはあんまり好きな色が決まってない。
色からパワーをもらっていることに
最近あらためて気づき、今のじぶんのセンサーに合った色を選んだ結果、ピンクマンになったのだった。
ちなみに部屋はみどりマン。
ローズピンクをいま選ぶ理由は、
このまえこの世を去ってしまったネコからのメッセージがピンクのオーラソーマボトルにあったから。それについてはまた今度かこう。と思ったけどやっぱり何度だって書いていいんだから、このまま一回かいてみよう。
パジャマは亡くなる前に買ったものだから、それで選んだわけではない。でも、今思いだしたけど、なぴくんのそばにいたさいごの時間は、石の力とかも助けてもらったんだけど、ローズクォーツだったな。いろんな石をおいてみたりもして、さいごはひとつだけにして、それをおいたことすらも忘れていて、毛布片付けたときにころんとローズクォーツが出てきたんだった。
オーラソーマボトルは、たまたま、部屋の中の洗濯物やみんなが着ていたパジャマが、ベージュとピンクで揃った瞬間があって、きれいだねえって言って、ふいにオーラソーマに似てるのあるかなって調べて、部屋の色に似た4本のボトルを選んで、そのうちのわたしが選んだ1本が明らかにわたしに向けたメッセージで、これは買ってもいいかもね!なんて話していて。その次の日の朝、母が少しだけ持っていたオーラソーマボトルの中にそれがあったよ!って見つけて、すでにうちにいたんだねえって話して。なぴくんがいなくなって、そのセレモニーも終わって、具合が悪くなってしまった介護の期間も含めてなんだかあっというまに、すべてが終わったんだと、これですべておわってしまったんだと、からっぽになった。つきっきりでそばにいた時間、しんじゃったらいやなんだけど、少しでも生きてそこにいてほしいんだけど、つらそうな姿を見守っているのもつらかった時間、でもそれを含めてすべてが愛おしかった時間。急にぽっかりとして、ただ泣いた。わんわん泣いて、みんなで泣いた。その次の日の朝に、あのピンクのオーラソーマボトルに、猫の形が浮かび上がっていた。そう見たかったから見た、とは思えないほどはっきりと、かおのかたちと、私が好きだったせぼねと、なにより、なっぴーじまんのみじかいしっぽがあった。
だから、わたしは、ローズピンクのパジャマを着て、ローズピンクのキーボードでこれをかくんだ。