【結果発表】描き出すことばの密度と精度を追って #磨け感情解像度
2020年6月の1ヶ月間で、215本もの応募をいただいた、私設賞/note非公式投稿コンテスト『#磨け感情解像度』の入賞作品を発表します。
評価基準
気持ち/人への想い/葛藤/心象を、解像度の高い言葉でうまく表現した作品に賞を贈ります。これは私自身が磨きたい部分なので、皆さんのいろいろな工夫を、作品を通じて教えてください。(告知記事より引用)
これだけを提示した本コンテスト、評価基準は曖昧でした。いろいろな推測があったと思います。実は私自身、参加作品を読みながら「そうか、これが自分の求めているものだったのか」と気づかされることも多くありました。
最終的に、私が入賞作を選ぶ上で基準としたのは、本noteのタイトルにも挙げた通り、シンプルに次の2点です。
【密度 = Density】1つの作品の中に、どれだけの気持ち/人への想い/葛藤/心象を織り込んでいるか(高解像度:一定の「箱」の中で、より多くの情報を描き出す。画素数の多いデジカメ。ハイレゾ音源。)
【精度 = Accuracy】気持ち/人への想い/葛藤/心象を絶妙に表現した「言葉」をどれだけ用いているか(磨かれた言葉:削ぎ落とされたその言葉ひとつに、多くのイメージが凝縮されている)
主にこの2つに着目しつつ、【その人ならではの独自性 / Uniqueness】と【印象の強さ / Impact】などを加味して、一定の定量評価を手元で行いました。
ですが、
各賞は主催者(illy / 入谷 聡)の独断と偏見に基づき決定します。悪しからずご了承ください。m(__)m
ということで最後は完全に主催である私が圧倒的に好きなやつ(文句なしに泣かされたやつ)を選びました。
また、215本もの応募作品を見渡すと、ある程度「作風が似ているグループ」が存在しています。せっかくなので、優秀賞以上の8本は、あまり作風が偏らないようバランスを意識しました。そのため、純粋に密度と精度が高い順に賞を選んでおらず、佳作の中に入賞クラスの作品がごろごろ転がっているのも本賞の面白いところかと思います。
そのあたりもあわせてお楽しみください。
ではまず「優秀賞」7本から紹介します。優秀賞作品には、各3000円のサポートをお贈りします。
優秀賞 7本
①『透明傘。』/ 青樹ひかりさん
透明傘を差してきたことを死ぬほど後悔した。
この書き出し、たった1行を読んだ瞬間に、「後悔」の気持ちがどっとなだれ込んできました。「透明傘」という、ありふれたアイテムからの自然な連想——見たくないものが見えてしまう、隠したいものを隠すことができない、といった事情が読み手にセットされます。まずこの点の凝縮力にやられました。
丁寧に描写される、幸せそうな夫婦。それに対比される自分。
この作品から学んだことは、直接自分を描くだけではなく、自分に対比する人物を「克明に描写する」ことが、間接的に自分を克明に描き出すことになるということです。傘越しなのに、映る男も女も、めちゃくちゃ「寄り」で描いてますよね。このディテールこそが必要なんだと思います。
たどり着く場所などなくても
並んだ背中を許しながら
私は雨の中を行く。
そして前を向く。
信号待ちのたった数分、1000字と少しの短い文章の中に、悲しみとかやっかみとかみじめさとか、それでも生きていく意志とか、ほんとうにたくさんの感情が詰まった作品だと感じました。
ちなみに本コンテストには、今年の春に伊藤緑さんが開催したコンテスト《原稿用紙二枚分の感覚》の上位陣が、多数、きわめて印象的な作品で参加してくれています(青樹さんも『愛。』が特別賞)。伊藤さんのコンテストがなぜ「説明ではなく、描写を」にこだわっていたのか、いま、腹落ちしています。単に一表現技法の追求にすぎないのではなく、「ひと」をことばで描く方法の本質を追った試みであった、ということが、強く心に残りました。
②『漁村の女』/上田聡子(ほしちか)さん
さっき「説明ではなく描写が本質」とか言っておきながらですが、ほしちかさんの『漁村の女』は、説明が長いです。
ですが、
この作品の真価は、「設定」の巧みさが生み出しているとも言えるでしょう。個展会場で「師匠」と邂逅し、最後に母と対話し、その「母を描く」こと。この物語をたった5000字の中で描ききり、それぞれのシーンに説得力を持たせるには、必要最低限の「設定」を徐々にビルドアップしていく構成が必須だと思いました。その点、序盤の走り出しに全く冗長なところはなく、読み手はすいすいと、登場人物たちの姿を描いていけます。ほしちかさん、さすがの技量!
私は心の中でこの人を、師匠として慕おう、それも一生、と決めた。
この作品をtwitterにシェアしたあと、ほしちかさんと「これ絵描きの話ですけど、物書きの話を仮託してるのかなと思いながら読みました」という会話をしました(当たってた)。書くことに臨んでいる多くの人にとって、「私」とさまざまな人物との出会い——奥田先生、夫、師匠・初野さん、そして母——のなかに、似たようなシーンを思い返すことはあるのではないでしょうか。そして、あたたかな気持ち・前を向く気持ちを共有できるのでは。
③『摘花の恋』/ 高嶋イチコさん
風で足元に飛ばされてきた白い花を拾いあげる。その花弁は、「まだ生きていたい」と訴えるかのように瑞々しかった。
大学生ユイの恋心を鮮明に描き出すために、わざわざ「摘花」というシーンを登場させ、これを引き立てる伏線として、わざわざ農学部という設定・「現代農学概論」なんて授業を登場させた。これ、見事な技巧だと思いました。
摘花。生育のよくない花を剪定する。美しい花を残し、余分な実がつくことを防ぐ。
どろどろした男女関係をそのまんま描くだけでは、やっぱり物足りないというか、幅が狭くなってしまう。内面をいくら掘り下げて完全な言語化を図ろうとしても、限界があると思うのです。
そこで、「メタファーとしての外部存在」が力をもつ。
「蛍光色のジャンパーを着たお婆さんが、ちいさな花を首からもぎり取り、地面に落としていく」「色とりどりの死んだ花」「摘み取られた花たちは、ゴミ袋に詰められどこかへ行ってしまった」「花壇では、美しい花が人を誘うように揺れている」「それでも私は、握りしめて粉々に砕けてしまった花弁を、どうしても手放すことができなかった」。
完璧な投影であり、描写であると感じました。
あと、ユイが振られたあとの「思い切り泣いた後のご飯は、いつだって美味しい。」っていうフレーズも、すごく象徴的で印象に残っています。twitterの一部界隈では「結婚するから別れようって言ってくれる佐伯はわりといいやつ(?)」「佐伯さん狡いけど好き」という謎の高評価があったりしたのですが(でもやっぱり姑息。)、ある種さっぱり別れられて、その上で強烈な喪失感を残す、絶妙な設定であり、人物造形だと思いました。
高嶋イチコさんは、本コンテストのきっかけになった2019年12月の岡山noterオフ会のメンバー。しばらくnote外の作品制作で離れていましたが、鮮烈カムバックを果たしてくれて本当に嬉しいです。
さて、ここまで、noteでは読まれにくいとされる「小説」3作品。佳作も含めて、今回、小説作品の存在感はめちゃくちゃでかいです。感情を描くコンテストという性格上、若干の虚構を含む小説という表現形態こそが、ぴったりはまるのかもしれません。
④『呼べないから言うよ』げんちゃん
この作品、読んだ瞬間、絶句しました(他にも悶絶 してる 人いた)。
まず、違う人と結婚しているのに「どうしようもなく大切で愛と呼びたい君」という関係性自体が、濃い。その上で、「君の苦手なもの」として並列される、この1行の圧倒的な濃さに着目です。
トマト、からし、冷たい水、短い靴下、歩道を走る自転車、すぐに髪を乾かす、傘をさす、スマホの充電、録画の予約、どのゴミが何曜日、どこでスリッパを脱いだのか。
読点で区切られた単語ひとつひとつから、ふたりの「生活」が自然と立ち上がってくるようです。「すぐに髪を乾かす」のが苦手な君と僕の間に、どんなやりとりがあったんだろう。その一つ一つは描かれなくても、これらのシーンが積み重ねられた二人の間の「愛」がかけがえのないものであること、確実に伝わります。
これ、例えば『ズッキーニ、甲殻類、歯を磨くこと、平日、』とかだと微妙に違う気がするんですよね(これはうちの9歳娘の嫌いなものです)。ことばの選択の、ごく繊細なバランスの上に、魔法のようなイメージ喚起力が生み出されているようです。
「家族愛」かあ。とても切ないけれど、でも、このつながりを「ラッキーでハッピー」と呼ぶげんちゃんの視点、心から、支持します。
⑤『悔しいって感情は誰だってホンモノだろ』/武田ヒカ(アルマジロ武田)さん
#オシハタ やってた「U25noter」界隈の武田ヒカくん、この文章も、若い!!
そして、若さだけではなく、この作品を優秀賞にまで選んだ理由は、悔しさのエネルギーと身体表現の融合にあります。
「悔しいの種を噛み殺して」
「すり潰していった気持ち」
「折られても燃え上がれる」
「バカみたいに声張り上げて」
歯が砕けるくらい食いしばって涙堪えて「悔しい」って叫んだって良いじゃないか。
「悔しい」が言葉だけではなく、全身全霊のエネルギーとして表現されるとき、人はどうしたって、応援したくなるんじゃないかと思います。
叫べ。燃やせ。
⑥『ほな、帰るわな』/ささいな笹さん
逆立ちしても真似できない、流麗な京都弁の作品です。ささいな笹さんは京都じゃなくて大阪生まれらしいんだけど、ここまで徹底して語り切る再現力。おばあちゃんの話す言葉を、本当に良く聴いておられたのかなと。
口語表現、特に方言が、セリフに込められた感情を自然と増幅することに気づかされます。たとえばコテコテの関西弁が登場する作品といえば、私は黒川博行『果鋭』と和田竜『村上海賊の娘』を思い出しますが、どちらも相当ユニークな風味。京都弁は、また全然違う世界観です。やわらかく、しなやかで、時にぐっと踏み込む。
不幸なことばっかり、ぎょうさんぎょうさん並べてたら、うちはちゃんとみんなみたいに可哀想な人間に見えるやろか。
この1行による、はっとするほどの急転換。「可哀想」というたった3文字に、おばあちゃんの人生がぎゅっと凝縮されて、目の前にどんと突きつけられたような感覚でした。
うち、死んでも生きてるためには、壮絶なことを何遍も言わな、あかん気がしてるねん。
残らへんやろ。うちが生きてたいうこと。
静岡西部生まれの私はだいたいが標準語(と、1歳から京都で育った娘につられて操るエセ京都弁)が主で、実家に帰って祖父と話すときだけ少し遠州弁が出ます。方言を使うことは案外、親しい高齢の家族を描き出すのに自然な方法なのかもしれません。
それにしても度肝を抜かれた一本でした。同時期に猫野サラさんが旗を振った方言noteも、各地域の様子が楽しいです。
⑦『妹』/奥村 まほ(okumaho)さん
実はコンテスト告知に「小説/エッセイ/評論/詩など」と明記した時点でひそかに期待していたのが、短歌連作という作品形態でした。短歌、いざ詠もうとすると難しいよね。でも、三十一文字の強い制約の中でこそ可能となる凝縮された表現に、期待するところは大いにあります。この厳しい字数制限の定型詩を、複数組み合わせて世界を描き出すという手法が、連作です。
この期待に見事に答えてくれたのが、おくまほの3×5=15首。妹との関係を描いた連作です。
この作品で特に印象的なのは、やはり暗喩の鮮やかさ。特に彼女の得意とする「食べ物」の言い切りが、彩り豊かなイメージを描き出します。
「向日葵」の、ぱっと明るい存在感。「大福」の、もちもちしたやわらかさ。いずれも、訴えかけるようなポジティブ感情とともに、イメージが飛来してきます。
あるいは、風景描写としての「囓りかけの食パン 半分残ったプリン」。限られた文字数の中でぽんと出現する名詞の選択に、たくさんの感情が乗っていると感じました。
読み返して、やっぱり強いなと思うのは最後の一首。
短夜にLINE電話で番地訊き 贈る菓子箱 夢で手渡し
この、菓子箱を夢で手渡しする風景に描かれた、愛情たっぷりのやさしさでしょうか。
期待と慈しみの幼少期、衝突と個別化の思春期、そして通じ合う「今」。5首区切りのシーン立ても見事だと思いました。
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ここまで7本の優秀賞を紹介しました。続いては、本コンテストを象徴する一本とも言うべき、最優秀賞を紹介します。
最優秀賞 1本
『3ヶ月ぶりの外食、おめでとう。』 /ぽのこさん
仲良し夫婦が楽しく焼肉を食べる話です。
本コンテストでは、さまざまな種類の感情を扱う中でも、「喪失」をテーマにした作品に、きわめてインパクトの強いものが多数ありました。悲しみ、怒り、後悔、届かない現実、そしてそれに折り合いをつけて前を向く過程。
ですが、最優秀賞にはあえて、「喜び」と「幸せ」を真っ正面から描いた作品を選ぶことにしました。
私たちは、この幸せな共鳴を糧に暮らしている。
「二人ともくちゃくちゃの笑顔で」「ぴょこんと飛び跳ねる」「こりゃ絶品!」……読みながらにこにこしてしまうような、本当に好き合っているふたりの、かわいらしい仕草描写が重なります。
しかし、幸せは「幸せだけ」で存在できない。対比される、平日の仕事の厳しさ、そしてコロナ禍でガラリと変わる日常風景。移住による圧倒的な孤独感。これらのコントラストが、塩タンを焼く数秒の描写に、確かな「喜びの再来」を印象づけます。
「ぎゅぎゅーっと」絞るレモン、「ぺたぺた」とは触らないタン、「ちりちりと」鳴る脂。惚れ直す人。
そして最後の一文——
コッペパンみたいに大きくてがっしりした手を力いっぱい握りしめていたら、夫の姿がぐにゃりとぼやけた。
これ講評のために読み返しながら毎回涙腺をやられるんですけど……
感情を扱う本コンテストにおいて、「涙」の描き方は、各作品かなり工夫をされているように感じます。「簡単には泣かない」。溜めて溜めての大号泣だったり、枯れた涙が最後に戻ってきたり、いろいろな涙がありました。涙が流れるのは感情が「溢れた」時だから、濫用はできない。ここぞという時に使う、諸刃の剣だなと思います。
それを踏まえて、この作品の最後に描かれる、うれしさと、愛情と、それまでに遭遇したたくさんの苦しみを全部綯い交ぜにした、涙。この締めの鮮やかさには、本当に、やられました。
「こうやって泣かせて欲しかった」というのが、最大の授賞理由かもしれません。
最優秀賞には賞金10,000円をサポートからお贈りします!ぽのこさん、そのうち一緒に何かやりましょー!
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続いては、キナリ杯の結果発表を受けて新設された、特別枠「芽生え賞」の紹介です。
芽生え賞 5名
もっと磨き続けてほしい、そしてもっとこの人の作品を読みたいと思わせてくれた書き手に贈ります。noteをはじめて間もない方や、投稿本数がまだ少ない人が対象です。
共同運営メンバー・サトウカエデさんと私の協議で選出した5人。どの方も2020年3月以降にnoteを始められ、フォロワー数が2桁に留まっている、「はやく発見されるべき」書き手たちです。みんなフォローしてね!
それでは、芽生え賞5人のご紹介です。サトウカエデさんの選出コメントとともに。
①左頬にほくろさん
(サトウカエデ評)
8.5畳の小さなお城で育まれ、やがて息絶えていく愛を描いた”流れ”に引き込まれました。予告なしに転換する場面は、知らぬ間に色あせた二人の恋心のそのものです。
「二人でいることがひとりよりも寂しいだなんて、誰も教えてはくれなかった。」
左頬さんが書きだす感情は、空白地帯から拾い上げた光に見えます。なかったはずの光に、名前をつけて輪郭を与える。それは、私たちがかつて通り過ぎた抱擁、別れ、涙。繊細な情景と合わさり、読み手の心をゆらします。
現在公開されている『短編小説 | にじいろ、オルゴール』のさみしさと愛しさ、エッセイ『それは、願いと呪いの言葉』の一人で決められる別れ話の例えも個人的推しです。
コンテスト最序盤の6/3に切れ味の良い作品で参加いただいた左頬さん。『芽生え賞』を発案した6/5当初から、実は彼女の存在が念頭にありました。締切後は、運営陣より先に「全作品を読んだ宣言」をされ、コンテストにどっぷり浸っていただいたのがうれしいです。
②ハルニレさん
(サトウカエデ評)
古風なセピア色の街並み。カラフルな切り花。ハルニレさんの書く情景からは、まぎれもなく知らない異国の香りがします。
「ゆるしてほしい、知らなかったのだ。きみがそんなふうに、優しく、切なく、孤独に歌っていたことは。」
ふるさとを離れ、共に暮らした友人を思い返すこの一文に込められた後悔。誰かとすれ違った経験だけでなく、いつかの自分を包んでいた孤独にも響きました。
機械人形と技師の旅を書いた『真実の値 [SF短編]』は、緻密な世界観にどうかもっと書いてくださいと懇願したい。最初のnoteである『ぼくには文才がないので。』もそっと推します。
私、須賀敦子さんのイタリア随筆を時々開くんですが、異国での暮らしとその目線を、たまに摂取したくなることがありませんか? ハルニレさんの作品を読んだ時、この感覚を思い出しました。日々の風景を描く切り口に、「その目線を信頼する!」と思わせる何かがあります。SFの1本は私も好き。いろんなジャンルの作品を読みたいです。
③山羊課長さん
(サトウカエデ評)
複雑な感情を下支えするのは、積み上げられた丁寧な事実の描写だと思います。息子さんの学校での様子、ご自身の過去の対比は、かつて日本社会に色濃くあった(そして今も残り続けているであろう)暗さを浮き出しつつも、それぞれに違う個性がのびのびと息をする社会の希望を見せてくれます。
「そんな社会に、我々は片足を半歩、突っ込んでいるのだ。」
この言葉を信じさせてくれるのは、山羊課長が持つ、記憶に臨場感を与える筆力だと思いました。
長いタイトルが印象的な『運動で劣等感を散々味わった人が、運動できる人になった時に、僕は「にしのーー!!」と叫んだ』は、スポーツのスピード感と共に、苦手意識からの小さな成功体験を味わわせてくれます。
山羊課長の応募作品は、 公式コンテスト『#ゆたかさって何だろう』でも中間ピックされていて、そっちでの受賞を信じているのですが、そのあと投稿された自身初の掌編小説『雨の夜のキャバクラと焼き鳥と再生と』もめっちゃよいので、こちらもぜひチェックを。締切前後から、いろんな人のnoteに帯を書いて絡んでいるのも、見ていて嬉しいです。
④Kayo Sasakiさん
(サトウカエデ評)
感情を言語化して内省するエッセイです。自分の価値を下げてしまう恋愛にハマる心理を探りながら、胃もたれさせない距離間からの腹落ち感。絡まった感情を分解する思考力、それを小箱に入れて整理して見せる文章力の両方を感じました。
「その代わり、「自分にとっての幸せ」を貪欲に追求していこう。」
結びに前を向く清々しい強さが、とても魅力的です。
読み手の視点を数ミリ動かしてくれる、『「自分の強み」を見つける最もわかりやすい方法』や『年齢に縛られない生き方を考える』も、ジメっとした気分のときに、カラっと肩を押してくれる晴れ間のようなエッセイだと思いました。
LinkedInまでプロフィールを見に行ったんですけど、まーーユニークな経歴の方です。ビジネスライティングの最前線で切った張ったするお仕事でありながら、こうした内面に向き合う系のコンテストに乗ってくれたこと、とても嬉しく思います。ロジカルな文章基盤に「熱」が乗ると、けっこうウケますよ(経験談)。
⑤金魚風船さん
(サトウカエデ評)
タイトルが自由律俳句なんです。で、その俳句が小説になっているのです。読み終えてそれに気づいた瞬間「やられたーー!」と心臓つかまれました。
「母の財布から散らばったカードのほとんどはどこかの病院の診察券であった。」
どこか物悲しい描写。気持ちを外側から眺めるような距離感。書きだされる世界が遠いのに拾われている景色が細かく、さみしさとやるせなさが近くで滲んでくるようです。
同じ形式で書かれた『あの娘の耳に開いた穴を数える』や『四畳半を掃除して母は故郷へ』も短い物語です。その中に、小さな花を胸に挿すような言葉が隠れています。
自由律俳句のタイトルに短い物語というフォーマット、かなりユニークな存在感を示していました。形式の独自性だけではなく、物語の中身もきゅっと一ひねり入っていて、飽きさせない。私はtwitterで『露店で婆さんが謎の肉を焼いている』をシェアしましたが、トリッキーなやつも真摯なやつも、表現の幅が広そうです。いろんな企画で見かけるようになったら楽しいだろうな。
💐
noteでもっと書き続けて欲しい、多くの人に読まれたらとても嬉しい。そんな気持ちを込めて運営から送るエールを、受け取っていただければ幸いです。
以上で、 #磨け感情解像度 「受賞作品」発表を終わります!
次の記事で、本コンテストの「佳作」32本を紹介します。まだまだお楽しみに。
Cover Photo by Carole Smile on Unsplash