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子育ては自分育てですから!

みなさん、こんにちは!
東京都在住、小学4年生の男子の母をしているYakkoです。
今は、おおむね笑って(時々泣いて)子育てしている私ですが、たった9年7か月の間に本当に紆余曲折がありました。

これからもきっといろいろある!とは思いますが、今の心境に至った経緯について書いてみます。

子育てよりしんどいものはない!

よく子育てはブラック企業に例えられますが、本当に不条理な目に遭います。
私は息子を出産して、まず産後うつに陥りました…が、そのエピソードは長くなるので、また別途書きます。

私は、産前に勤めていた会社は出産で退職し、産後うつが回復した後、就活して再就職しました。

出社1日目……ちゃんと座って、箸を持ってお昼が食べられるだけで、勤めて良かった!と思いました。
同じ部署に既婚者はおらず、残業できないのは私だけ。パワハラにも遭いましたが、それでも身近な相手に日本語が通じる環境をありがたく感じました。

夫はテレビ番組のディレクターで仕事の帰りは遅く、海外ロケとなると1か月以上家を空けることもありました。ワンオペ(片親による育児)は当たり前の毎日。

息子には意識障害を伴う発作を起こす持病があり、それは寝ている最中に起こることが多いため、夜中に救急車を呼んで、そのまま入院になることもしばしばありました。

この育てにくさはどこから来るの?

一番しんどかったのは、息子に特性があったこと。

最初にそれが顕著になったのは年少(3歳)の時。仕事帰りに、保育園に息子を迎えに行くと、先生から、息子が他のお子さんに傷を負わせたので、もしそのお子さんの保護者の方にお会いすることがあれば謝って欲しいと言われました。あまりにもそういうことが頻繁に起こるので、これは私が知らない何かが息子に起こっているのでは?と、産後うつの頃からお世話になっている地域の保健師さんに相談しました。
保健師さんは「お子さん同士のケンカだけじゃなく、他に先生の目から見て気になるところはないか、聞いてみてください」と言うので、担任の先生に聞いてみたら、出るわ、出るわ、気になるところ。集団生活の中で、息子は浮いた存在であることが分かりました。
その後、私は自宅から一番近い自治体の発達相談窓口に相談に行き、息子を療育※に通わせることにしました。

保育園も年長になると、周りのお子さんたちはとてもしっかりしているように見えました。
たまたま保育園のママ友と一緒に入ったファミレスで、そこのお子さんが、終始じっと座っているのを見て、驚愕しました。

当時、私が息子と外出する時は、常にスケッチブックと筆記具を持ち歩き、どこでも絵が描けるようにしていました。
息子は「絵を描きたい」と言い出したら、描かせないと何をするか分からない子どもでした。でも、その反面、絵を描いている時の息子は落ち着いていて、他に関心を向けることはないので、私も一息ついて過ごすことができました。

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保育園最後の運動会では、私が保護者会会長をしていたこともあり、保護者会主催種目の準備のために一般保護者よりも早く会場に行きました。その時も夫は仕事で不在だったので、息子同伴。準備の間、会場の小学校の校庭にピクニックシートを敷いて、そこで絵を描かせていました。そのまま運動会が始まり、息子も自分のクラスのお子さんたちと出番まで待機となりましたが、その場にいられず、「絵が描きたい」と何度も脱走しました。

こんな調子で、小学校は大丈夫なのかな? 私の頭は不安でいっぱいに。入学予定の小学校で行われた就学前健診でも、息子は自分の健診の番以外は、ずっと絵を描いていました。最後の先生方との面接さえ、私の隣で絵を描いていた息子にとって、就学前健診は自分ごとではないようでした。

「小1の壁」は富士山より高かった?

静かに座って、人の話を聞くこと、これは学校生活の基本。
これが我が子にとって、そんなに難しいこととは思いもよりませんでした。
入学式から、じっと座っていられない息子。廊下に出ていくたびに補助の先生が少し相手をしてくれて、席に戻るように促します。それを何度も何度も繰り返し、やっと終わった入学式とオリエンテーション。やれやれと思ったのもつかの間、私が担任の先生と話をしていたら、教室の窓際にある棚の上に上っていました。先生が口頭で注意しても降りないため、抱いて降ろそうとしたら、泣いて抵抗しました。
先生に「こういう場合、ご家庭ではどうやって言うことを聞かせますか?」と尋ねられました。そんなことが分かっているようなら、子育てに苦労しないよ…と心の中でため息をつきました。

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保健室の養護教諭とは、入学前に息子の持病について話しました。発作を起こした時の対処として、とにかく、すぐに発作を抑える座薬を使って欲しいと話すと、いつも息子についている訳ではないし、座薬ってパンツをおろして入れるんですか?(当たり前です)と聞かれました。
「とりあえず発作が起きたら、座薬より先にお母さんに連絡を入れますので、いつでも学校に来れるようにしておいてください」
私の職場は、学校(自宅)から片道1時間ちょっとで、私が駆けつけるまで座薬を使わないなんて、ありえない……。

とりあえず、息子が新しい環境に慣れて、体制がちゃんと機能することを見届けるまで、と考えて、会社をしばらく休職することに。
そして、1学期は、幸いにして学校ではなかったものの、慣れない環境によるストレスからか息子が何度も発作を起こしたため、私も夏休み前に退職することを決意しました。
40代で再就職した職場、おまけに正社員、もったいない…とは思いましたが苦渋の選択でした。

学校ってなんだろう?

いまだかつて、学校がこんなに私の前に立ちはだかったことはあるのか、いや、ない!

私が通った大阪市内の公立小学校は多様性に富み、いろいろな家庭環境の子がいたけど、先生たちは寛容でした。
ろくでもない(!)保護者もいたけど、先生たちは子どもたちとその家庭に寄り添ってくれた。地域では、小学校が最後の砦だったような気がしています。

でも、息子の小学校は、少なくとも私には寄り添ってくれない。
息子と他のお子さんとの違いをあげつらい、それを家庭でなんとかしろと非難してくるところ。
私は次第に、学校のフィルターで息子を見るようになり、なぜ私をこんなに苦しめるのか?とまで思うように。
放課後、担任からかかってくる電話に怯え、仕事は辞めたものの、家にいるのが辛くなってきました。

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第1話はここまで。現在小4の息子が小1の終わり頃までの話。
続きは不定期で書いていく予定です。

これからお付き合いをよろしくお願いします。

※療育(発達支援):障害のある子どもやその可能性のある子どもに対し、個々の発達の状態や障害特性に応じて、今の困りごとの解決と、将来の自立と社会参加を目指し支援をすること。



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