Q:1 フェイクドキュメンタリー について
とうとう全12回の放送が終わってしまったが、なおその底知れぬ熱量で我々の心にモヤモヤと恐怖をくすぶらせ続けるYouTubeチャンネル『フェイクドキュメンタリー「Q」』。
初めからフェイクドキュメンタリーを謳う本作の第一話目のタイトルはそのものずばり「フェイクドキュメンタリー」であった。
プレミア公開時に考えをまとめられないまま次話が公開されたこともあってメモ書きのまま放棄していたいたものがあったが、今回おてもとさんがフェイクドキュメンタリー「Q」をテーマとしたスペースを開催されるとのことなので、引っ張り出してきて何とか形にしてみた。
取り上げる視点としては、ディレクター(以下D)とカメラマン(以下C)の死亡報告に加えて最後の余韻に放り込まれる二人のやりとりの音声から、二人が亡くなった原因は果たして「見たら死ぬビデオ」によるものだったのかを考えてみたい。
さて、スタッフの二人が亡くなった原因としては3パターンが考えられる。
1.両者ともビデオが原因ではない
2.両者ともビデオが原因
3.どちらかだけビデオが原因
1については議論の進めようもありませんが、ただただ偶然が重なり、たまたま同時期に亡くなる事は無いとは言い切れない。
呪いが存在すると考えるよりは現実的なほど。
2の考えの方が一番多そうではある。
心霊ドキュメンタリーではよくある封印動画タイプ。
制作陣に不幸があったとて既に映像が完成し放送直前であるなら公開しそうなものだが、お蔵入りになるだけの何かがあった。
3は何とも中途半端な結論に見えるが、実はこれが一番筋が通っている。
根拠としては最後の会話で両者の認識が食い違っているからだ。
つまり二人の間で見えていたものが違い、どちらかだけがVHSから正しく呪いを受けた可能性だ。
それでは前提となる最後の会話を見てみよう。
C「店長は4人て言ってましたたけど3人しか分からなかった」
D「4人?あれ4人じゃないの?」
C「いや、3人ってか3枚?」
D「あーまぁ、ふーん」
取材中に店長は「最初は遺影が一つだった」「四つ、次々と誰かがダビングしたのでは」と言っており、把握している遺影の数に違いがある。
実際に店頭で観た映像で確認できるのは
遺影1.背広を着た男性
遺影2.和装の女性A
遺影3.和装の女性B
再び遺影1
であり、我々からするとCの3人の方が正しく思える。
ややこしい点としては「遺影1」が二度登場するので、初見の場合はそれを同一のものと判断せずカウントを増やすことは考えられる。
とは言え、店長の発言からはこのVHSを度々見ていることが窺えるし、遺影が増える過程も知ってるぐらいなので間違えるとは考えにくい。
ではDと店長の言う4人の方が正しいのか?
しかし、最後に挿入されていた実際のテープにて映る「遺影4.和装の男性」は確かに店頭での再生時には入っていないはずなのだ。
残念ながら二度目の「遺影1」が映って以降にカメラはモニターから外れたために断言はできないが、VHSのBGMは途切れることなく聞こえておりこのシーンが入っていない事は間違いない。
もしここでBGMが途切れノイズが確認できていれば、Cだけが画面を見ていなかったためとカウントが少ない事の説明がつくがそうではない。
ただ、この途中でカメラがモニターを映さないという点で一つの考えが浮かぶ。
寺内康太郎監督が制作した『心霊マスターテープ』というドラマがある。
この心マス2では「見たら死ぬ念寫寫眞」がテーマとなっているが、直接見ることが呪い発動のカギとなりカメラ越しであれば大丈夫という説の元で取材が行われていた。
Cはカメラ越しに見ていたことで呪いを回避した可能性はないだろうか?
つまり視聴者と同じ目線で見ていたCは助かり、店長とDだけが呪いの対象となった。
あの時点で4人見えていた二人だけが。
そこまで書くと「今まで一番このVHSを見たであろう店長はここまで呪いで死んでいないではないか」という疑問が当然出る。
少なくとも店長がその後どうなったのかは分かっていない。
だが、見たら死ぬビデオが本物だったとして、呪いによって死ぬとしてもそれが"いつ"なのかは明確ではない。
皮肉にも映像内で店長が「人間いつかは死ぬ」と言ってるが、実際時間差はあるのかもしれない。
それこそ店長が「呪いによって生かされた」という特異な存在の可能性だってある。
誰がどんな目的で「見たら死ぬビデオ」という存在を作りだしたかは分からないが、必ずレンタル先からは帰って来るし、都市伝説としての話はしっかり広がるなど、ビデオそのものがどこかに消えることなく呪いを振りまき続けようとする意志の様なものが感じられないだろうか。
呪いにそのような傾向があったとして、すぐさま店長を殺すだろうか。
あのままビデオ屋の閉店と共に処分されたりしては困るので、待ち望んだ瞬間までは店長は生かしておく。
次の宿主を探す間その体を利用する寄生体のように。
事実、ビデオの内容をより広く伝播させる存在がそこに現れた。
それをもって呪いの効果が発動するのであれば、今までは呪われながら無事だっただけかもしれない。
さて、話の流れとしては[3.どちらかだけビデオが原因]で死ぬ理由の推察のように見えていたかと思う。
Dと店長が見た4人の方が呪いの形であり、その二人が呪いで死にCは偶然亡くなっただけである、と。
だが、もし店長の呪いが時間差であったという可能性で話をするなら、別の派生が出てくるのだ。
前述した中で[「遺影1」が二度登場するので、初見の場合はそれを同一のものと判断せずカウントを増やすことは考えられる。]というものを挙げた。
これの否定材料は同じ数を証言した店長の正当性にあったため、店長の呪いが真であるとなればこれが崩れる。
Dは流れ上承諾したもののビデオを見る事にそれほど積極的ではなく、初見であった。
しかもビデオ店のモニターは焼き付きも起きるなど再生環境はあまり良くはない。
結果として「遺影は4つあったように見えたし、店長もそう言っていたからそうなのだろう」程度で話を合わせただけなのかもしれない。
つまり、ここに来て「ビデオ屋の時点ではDとCどちらも呪いを受けていない」という説が浮上するのだ。
それでは両者がなくなった原因の結論は[1.両者ともビデオが原因ではない]となるのか?
私の考えでは否である。
長々とこねくり回しておいて結局それかよと思われるかもしれないが回りまわって[2.両者ともビデオが原因]であると言える流れになるのだ。
「人によって見える数が違い、本来と違う数が見えた場合に呪われて死ぬ」というのが何となく皆さんの中でも共有できる仮定だと思われる。
そして「※実際のテープの映像」を見た視聴者のほとんどが4人分の遺影を確認されていると思う。
つまりビデオ屋の映像よりも多い人数が見えてしまっている。
ならば我々全員は呪われて死ぬのであろうか?
もちろんタイムラグ説を唱えた後であるから「まだ死んでないだけ」かもしれないが、この規模の人数でとなればちょっと現実的ではない。
あの「※実際のテープの映像」は4人分映っているのが"普通"というか"正常"であると考えられる。
ビデオ屋から買い上げられ「Q」のスタッフによって表に出るまでのどこかで遺影が一つ足されたのだ。
それはいつか?
公開時、4人目の遺影をDかCであるとする意見がいくつか見られた。
死んだからその遺影がビデオに録りこまれたとする説だ。
だが、それではすでに入っていた3人分も同じように追加されたのかと言えばとてもそうは思えない。
中学生が借りだし話題が広まった中で呪いにより亡くなって遺影となった人たちがあのような高齢者なのか?
さらに言えばQ12公開後の現在では遺影の一つが明らかに他のビデオと関連したものであることが判明しており、あの人がビデオを借りて呪われたとは考えにくい。
なのであれは「人為的に取り込んだ映像」と考えた方が自然ではないだろうか。
では4つ目は誰が追加したのか?となるが、もちろんDかCのどちらかであろう。
あのドキュメンタリー映像はフェイクであると制作会社は断言していた。
例えば、動画内で完成形として話されていたオチではないバージョンをDが作っていたりしたかもしれない。
「取材を続ける中で何と遺影の数が増えたのだ!」なんてエピソードと共に自撮した映像をダビングして「呪いのビデオは存在した」というオチに持っていこうとした名残だとしたらどうだろう。
もしくはCがDに対して軽い気持ちでの悪戯、いやもしかしたら何かしらの恨みを持って脅かしてやろうとしたのかもしれないが「ビデオ見返したら遺影が増えてます!」なんてことをしたかもなんて妄想もできる。
4枚目の遺影だけは他と違い遺影のケースに撮影しているカメラが映りこんでいるのだが、そこにはビデオカメラの録画ランプ、タリーランプのような赤い光が見えるが一般のよりもしっかりしたサイズに見える。
さらに他はVHSに保存され経年した荒い画質だが4枚目は比較的綺麗な映像なこともあり、やはり新しく追加されたもののように思える。
それらも含め、後になって彼らが足したのではと勘ぐれる。
理由はともかくとして「見たら死ぬビデオ」に遺影を追加するという行動。
呪いは常時発動してるわけではなく、その行動後に一時的に活性化する類の物だったとしたら。
ビデオに手を加えた結果[2.両者ともビデオが原因]で死亡した。
そしてその後時間が経過しているため呪いは不活性化しビデオを見ても「Q」スタッフや我々は無事であるのかもしれない。
皆さんはくれぐれもあの映像の後に別の遺影を面白がって追加編集などしたりしないように……
もちろん「映像すべてがフェイクドキュメンタリー」であり、そもそも「見たら死ぬビデオ」自体が作られたものであり、呪いなど存在しないのかもしれませんが。