「大塚」は、僕の生きる道。起死回生のファイナンス交渉
このまちを訪れたら、心がワクワクして、ぽかぽかと体温が上がる。
そんな大塚にするべく、僕たち山口不動産は、まちを変革するプロジェクト「ironowa ba project(いろのわ・ビーエー・プロジェクト)」を進めています。
前回は、僕が覚醒するきっかけとなった親族内訴訟について書きました。今回は、原告側の妨害行為によって引き起こされた、プロジェクトへの融資を巡るトラブルについてです。
プロジェクト収支はギリギリ。さらにメインバンクから言い渡されたのは…
新築ビル(ba01・ba03)の建設費は、合わせて50億超。当時たった5、6人の中小企業である山口不動産にとっては一大プロジェクトでした。
一方で、ba01へのテナントとして決まっていた星野リゾートなどから得られる賃料は、そのブランド力ゆえ、決して高くはありませんでした。
そのため、プロジェクトの収支はかなりギリギリ。
ですが有難いことに、大塚を変えたいという僕の想いに銀行Aが賛同してくれるとともに、破格の低金利による融資を約束してくれていたため、なんとかいけるだろうという想定でした。
このような状況のなかで突如、親族内訴訟が起こり、原告側から銀行Aへの妨害行為が起きてしまいました(前回)。
僕は、この妨害行為による影響を最小限に抑えるべく、銀行Aと何度も水面下での交渉を行い、決裁の鍵を握る銀行本部にもコンタクトを試みるなど、必死に動き回りました。
そんなある日。打合せのため山口不動産の会議室に姿を見せた銀行Aの支店長は、こう切り出したのです。
「今回は、このプロジェクトから一切の手を引きます」
つまり、融資の完全撤回です。
銀行Aは、誰もが知るメガバンクです。融資をすることで生じるリスク、社内政治…様々な大人の事情が絡んでの判断だったのでしょう。
頼りにしていたパートナーから切り出された撤回宣言に、僕は愕然としました。目の前が真っ暗になりました。
銀行Aから破格の低金利で資金を借りられる前提があっての新築プロジェクトです。しかも、かなり話も進んでいたなかでの撤退です。
竹中工務店や星野リゾートと契約を締結しておきながら、今さらプロジェクトを中止することなど、もはやできるわけがありません。
かといって、他の銀行から通常の金利で借りたら、資金繰りに窮して会社自体が倒産しかねない。
この融資をまとめられなければ、星野リゾート誘致も新築ビル建設も、これまでの努力がすべて水の泡。
ここで白旗を上げるわけにはいきません。
50億円超を融資してくれる他の銀行を探さなければ。それも、銀行Aと同程度の低金利を提示してもらわないと。
他の銀行から融資承認を得られなければ、このプロジェクトは頓挫する
これまで付き合いもほとんど無かった銀行を相手に、これを実現するのがどんなに無謀なことなのかは百も承知でしたが、それ以外に道はありません。
頭がパニックになりながらも、どうすれば融資を引けるかを猛烈に考えました。
幸いにも、銀行Bと銀行Cには、山口不動産内で訴訟が起きている件はまだ伝わっていません。
融資を反故にされたことに怒りをにじませながらも、銀行Aの支店長に、「うちに融資しないことを、ほかの銀行には絶対に言わないでほしい」と男同士の約束をしてもらいました。
その上で、話を持って行ったのは銀行B。
これまでの経緯を一切伏せたまま、融資の打診を試みました。
担当者は、大塚を変えるプロジェクトの話に真剣に耳を傾けてくれました。
話を一通り聞き終えた担当者から発せられた言葉は…
「御社のメインバンクはAさんですよね?なぜ当行にもこのような有難いお話を頂いたのでしょう?」
メインバンクを差し置いて話を持ってきたと捉えている銀行Bからすれば、当然に抱く疑問です。
僕は、役者になりきってこう説明しました。
「僕は徹底した合理主義で、ビジネスライクな人間でもあります。今回のプロジェクトの建築コストは弊社にとってかなり高額です。ですので、可能な限りキャッシュフローを安定させるためにも、一番良い金利条件を出してくれた銀行さんと組みたいのです」
決してうそではありません。その後何度も交渉を重ね、僕の覚悟と熱意が伝わったのか、銀行Bの担当者は、支店長や本部が唸るような素晴らしい稟議書を書いてくれました。
そして、融資回答の日。
銀行Bは、組織判断としても大塚を変えようとする僕の考えに賛同してくれて、なんと銀行Aを下回る低金利での融資をしてくれるとの答え。
大変有難いお話です。ところが、続いて出た言葉は
「私たちが融資するのは、総額の3分の2までとさせて頂きます」
…え?
まさかの銀行Bからの減額回答。そのワケは…
銀行Bは、同業者としてメインバンクである銀行Aの顔を立てたかったようでした。
「私たちがメインバンクの立場なら、こういった未来あるプロジェクトにおいて、ほかの銀行に取って代わられるのは大変な屈辱です。ですので、Aさんの顔を潰さないように、融資はあえて3分の2までとさせて頂きます。残り3分の1は、ぜひAさんから」
なんと大人な対応…。
ただ僕からすると、小さな親切、大きなお世話でしかありません。
とはいえ、そもそも銀行Aが撤退した話を明かすことはできません。これ以上の深追いは禁物と判断しました。
なんとかして残り3分の1の融資をしてくれる銀行を見つけなければ…。
一縷の望みをかけて、話を持ち込んだ先は銀行Cでした。
ここでも僕は、銀行Aが貸してくれなかったという内情は当然伝えられません。しかも、残り3分の1とはいえ、このプロジェクトは、銀行Bと同レベルの低金利条件を引き出さなければ収支は合いません。
またも役者になりきりました。
「驚くかもしれませんが、今回、総額の3分の2はメインバンクのAさんではなく、Bさんからお借りしました。全額お借りすることなく、あえて3分の2までとしたのは、一行取引ではリスクがあるからです。ですので、残り3分の1は、CさんかAさんから借りようと考えています」
余裕たっぷりに話しているように見えて、内心はバレたらどうしよう…と不安で一杯。
心底ハラハラしましたが、最終的には、銀行Cもこのプロジェクトに賛同してくれて、残りの3分の1を、銀行Bと同程度の低金利で貸してくれることになりました。
銀行Aの融資撤回の局面から、望外の結果を得るまでに至りましたが、ここに辿り着くまでは、不安と恐怖で眠れない夜が何度も…本当に生きた心地がしませんでした。
でも、このとき融資してくださった銀行のおかげで、今の大塚、そして今の僕があるのは間違いありません。あらためて、深く感謝しています。
「大塚」は、まだまだこれからだ。
僕は、幸か不幸か、公認会計士時代にうつを患ったことがきっかけで、幼いときの祖母との約束を果たすべく、思春期を過ごした街・大塚の山口不動産に入社することができました。
そして、入社して数年後に、まさかの親族内訴訟や、融資を巡るトラブルに見舞われることになりました。
傍から見れば不運の連続ですが、今となってはむしろこれらの困難に感謝しているくらいです。
なぜなら、こうして次々に襲いかかってくる正解のない問題に必死に向き合い、解決できた経験によって、初めて、自分の道を自分で切り開けているのかもしれない、と自信を持てるようになったからです。
東大に合格しても、公認会計士試験を突破しても、受かるために「正解を求めること」しかしてこなかった僕は、実はそれ以上のものをなにも持ち合わせていない。
だから、本気で学問を修めた人や、一流の仕事をしている人から、うわべだけの自分の薄っぺらさを見透かされないように、”うまくいっているふう”の生き方で誤魔化そうとする。
かつての僕が、「自分がどうしたいか」「自分がどうありたいか」を省みずに「他者と比較して優れていること」を追い求め続けていたのは、きっとそのせいだろうと思います。
図らずも「会社から排除されるかもしれない」、「プロジェクトが頓挫して会社が潰れるかもしれない」という修羅場を乗り越えた経験が、「主体的に生きる」意味を教えてくれ、僕を目覚めさせてくれたと思います。
2007年に発症した「うつ」からもう15年近く、幸いなことに再発していません。
ーーーーーーーーーーーーーーー
大塚という街は、誰もが知る観光地でもなければ、有名人が住む高級住宅地でもない。ナンバーワンと言えるものはなにもないかもしれない。でも、どこかユニークだ。
なんだか、今の僕と似ているかもしれません。
「ironowa ba project」に取り組む過程で、「大塚」と「僕」の人生が、分かちがたく結びついていく喜びを感じています。
今日も、どうすればこのまちを訪れるひと、暮らすひとを喜ばせられるだろう?と妄想しながら、アイデアを具現化するべく試行錯誤している最中です。実現のための過程と思えば、失敗することも怖くなくなりました。
大塚は、まだまだ面白くなる。公園にむかいながら、今日はなにをして遊ぼうか?と考えていた、子供の時のような高揚感があります。
あの頃は当たり前だった、「自分はこうしたい」「自分はこうありたい」という気持ちを大切にすること。大人になるとこんなにも難しい、でもこんなにも楽しいんだ、と気がつきました。
このワクワクを、大塚を愛してくれるひとたちと共有して、このまちをもっとカラフルに、ユニークにしていきたいと思っています。
僕の個人的なエピソードはこれくらいにして、
次回は「まちづくり」や「まちを変える」のに必要なことを考えたいと思います。
大塚のまちをカラフルに、ユニークに
大塚が変わるプロジェクト「ironowa ba project(いろのわ・ビーエー・プロジェクト)とは?(▼)
編集協力/コルクラボギルド(文・平山ゆりの、編集・頼母木俊輔)