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ハラスメント

悔しさ、悲しさ、そして怒りを覚える出来事があった。

小学4年生のAちゃんが、クラスで合唱の伴奏を任されたということで楽譜を持ってきた。
こうしたケースはこれまでにも何度もあり、そのたびに「いい経験になるな」と嬉しく思ってきた。
伴奏はピアノの上達だけでなく、自信や責任感、アンサンブルなどを育む絶好の機会だ。

でも、今回ばかりは怒りを覚えた。

楽譜を見た瞬間、愕然とした。
「これは…さすがに無理だ。」

楽曲が難しすぎる。
本番まであと2週間。
どう考えても間に合うレベルではない。

これまでも「ちょっと厳しいかな?」と思うケースはあった。
でも、生徒たちは努力し、間に合わせてきた。
ただ、今回の課題は次元が違う。
必死に頑張ればどうにかなる、というレベルではないのだ。

たしか音楽の先生はピアノ専科ではない。
難易度を理解していない。
その先生自身も今から2週間でこの曲を仕上げられるのか。

僕も、教室で生徒たちに「無茶振り」をすることがある。
なぜなら、挑戦することは素晴らしいし、失敗は挑戦の証だからだ。
失敗から学ぶことは大きいし、そこにこそ成長がある。
だからこそ、あえて「少し難しい課題」を出すことはある。

でも、「少し難しい」と「絶対に無理」は違う。

無理な挑戦をさせて、結果として傷つけてしまったら、それは成長ではなく暴力だ。
今回のケースは、まさにその境界を超えていた。

それでも、Aちゃんは必死に鍵盤に向かい、健気に弾こうとしている。
その姿を見て、涙が出そうになった。
彼女はとても真面目で、優しい。
だからこそ、断るなんて選択肢は思い浮かばなかったのだろう。

少し重たいものを持つことで筋肉がつく。
でも、必要以上に重たいものを持たせたら、怪我をする。
ただ押し付けるのはハラスメントだ。

今回の件は、失敗して、みんなに迷惑がかかって、
きっと心に傷が残る。
自分にもそういう経験がある。

これまでも、うちの教室の生徒たちは短い期間での伴奏に応えてきた。
もしかすると、学校側はそこに甘えているのかもしれない。
「どうせやってくれる」と。
教室への挑戦状か?
あるいは、そもそも深く考えていないのか。

こういうハラスメント的なものは、学校という子供達の社会の中でも、
日々あるんだろうなぁと考えさせられた。

幸い、Aちゃんのご両親は本当に素晴らしい方で、しっかりと連携が取れている。
話し合いの結果、学校の先生と相談することになった。
その先生にも、きっと素晴らしい部分はたくさんあるのだろう。
教師という立場は決して楽ではない。
だからこそ、僕たちができることは、できる形でサポートしていきたいと思う。

6年生のクラスでは、ピアノをやっているとして手を挙げた全員が、うちの教室の生徒だったらしい。
「他に習っている子はいないの?」と聞いたら、
「前まではいたけど、みんな辞めてしまった」とのことだった。

それぞれに事情がある。
でも、音楽の世界を、教育の世界を、もっと明るくしたい。
そう強く思った出来事だった。

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