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【抄訳】大佐の自伝・メタリカ篇②/速く、うるさく、制御不能

※デイヴ・ムステインの自伝『Mustaine : A Heavy Metal Memoir』第4章より、部分的に要約した内容を掲載。引用部は本文を直接訳したものです。


▼メタリカ篇①はこちら

■最初の衝突

どんな音楽をやるのかと同じくらい、バンドの見た目の問題も重要だ。

ある日ラーズと買い物に出かけ、ハイカットスニーカーを買おうとした際、ラーズに細かいことで半日もクドクドと口を出された。 ラーズとデイヴはことごとく意見が分かれた。

当時のメタリカの写真を見れば、俺が赤い星がサイドに付いた白のコンバース“オールスター”を履いているのがわかる。これは俺が選んで買ったやつだ。ラーズじゃない。

Mustaine : A Heavy Metal Memoir

ラーズの意見では、ロックスターは“チャックテイラー”を履くべきだと言うのだった。

「ふざけるな! アニメのファット・アルバートに出てくるガキじゃあるまいし。こんなダサい靴、履けるか!」

これが最初の衝突だった。
些細なことだったが、

これが初期のメタリカでうまくいかなかった理由だと思う。料理人の多すぎるキッチンのようなものだ。

Mustaine : A Heavy Metal Memoir

デイヴもラーズもリーダータイプで、目的に対する意見の相違や特定の役割分担が受け入れられないなどの問題が起こった。

ある時ラーズがDiamond Head(彼がどハマりしていたバンドで、前年のヨーロッパツアーの追っかけをした)の写真を見せてきた。

「これぞロックスターだろ?」

黒いタイツに白のブーツ、長いドレスシャツのボタンをウエストまで開けて裾を結び、毛だらけのヘソが見えている。

デイヴは言った。
「男がする格好じゃない。まるでヒヨコじゃねーか」

バンドの方向性を決める上でルックスも重要だ。その意味で、Diamond Headはデイヴの好みではなかった。ラーズのやることなすことが間違っているように思えた。
後にメガデスで同じ立場に立ってからは、ようやくラーズのことも理解できるようになったのだが。

次の問題はバンド名だった。
話し合いを重ね、ジェイムズとロンが一時的に在籍していたLeather Charmが候補に上がり、デイヴは猛烈に反対する。

「そんな名前で客がつくかよ!?」

“Metallica”を提案したのはラーズだった。
ロゴはジェイムズが作成。こちらの名前はメンバー全員がクールだと賛成し、胸を躍らせた。

成功する見込みがあるとは当時の俺には思えなかった。
ラーズがドラムを叩くのを初めて見た時、その下手さにショックを受けたものだ。
だが彼の決断には尊敬せざるを得ない。この少年は音楽が大好きでロックスターを夢見ているのだ。
最終的にマキャベリスト的な人物になろうとは、思いもしなかったが。

Mustaine : A Heavy Metal Memoir

まだオリジナルなんてのは無かったから、最初のリハーサルで演奏したのはほとんどがカヴァー曲。もしくは、ジェイムズとヒュー・タナー(前のバンドメイト)で書いたものだった。
メタリカとしての新曲は、ほとんどが俺の手によるものだ。

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■初レコーディング、初ライブ

1982年の冬、メタリカは初めてスタジオに入り、デモ“Hit the Lights”をレコーディング。
デイヴのギターソロの出来は上々で、メンバーは皆興奮した。

その後、Metal Massacreに収録されたヴァージョンでは、ジェイムズとラーズのかつてのバンドメイトであるロイド・グラントの演奏も一部使われた。

デイヴは自分に対する不義理と感じるも、ことさら騒ぎ立てはしなかった。

初ライブは1982年3月14日、加州アナハイムのラジオシティにて。200人ものメタルヘッズの前で演奏。
セットリストの9曲の半分近くがDiamond Headのカヴァーだった。

Hit the Lights も演奏した。
当時のメタリカ唯一のオリジナルはJump In the Fireだった。

俺の書いた曲だ。

Mustaine : A Heavy Metal Memoir

バンドの役割分担は、デイヴがリード・ギタリストで主なソングライターだった。

ジェイムズはフロントマンとシンガー。ギターはこの後も暫くは手に取らなかったが、そちらの方の才能もあった。
ただステージパフォーマンスには難があり、マイクの前で凍りついてデイヴが代わりに喋ることが何度かあった。

出しゃばりと言われれば、その通りだ。
伝統的なロックのギタリストはジャンプしたりシャツを破いたり楽器を燃やしたりすることはあっても、マイクパフォーマンスはしない。
ギタリストは寡黙であれというのが当時の風潮だったが、俺はそんなこと気にしたりはしなかった。
しなければならないことを自然にやったまでだ。

Mustaine : A Heavy Metal Memoir

2週間後、ハリウッドのウィスキーで一晩に2回ショーを行う。
Saxonの前座で、モトリー・クルーとコネのあるロンのお陰だった。

ロンはデモテープを持ってクラブのマネージャーに交渉をしに行き、そこで会ったモトリーのメンバーに口をきいてもらったのだった。

モトリーは既にSaxonの前座にに決まっていたが、バンドはオープニングアクトよりヘッドライナーをやりたがっていた。そこへ実力のある新人バンドがキレッキレのデモを持って現れたということで、タイミングは最高だった。

ショーではモトリーのカヴァーと、“Jump in the Fire”、“Metal Militia”を演奏した。
どちらもデイヴの書いた曲だ。

その日のステージは完璧とは言えず、観客の反応は上々だったものの、主要なロック誌の批評は大したことはなかった。

一紙のみ、デイヴを褒める記事を書いた。

『Saxonにはヴァン・ヘイレンのようなホットな速弾きギタリストはいなかった。
オープニングのMetallicaには一人良いギタリストがいたが、それ以外には見当たらない』

他のバンドと同じように、メタリカも成長の苦痛を味わった。俺たちは過激な音楽をやっていた。
どのバンドよりも速く危険で、ヘヴィメタルの最先端を走っていた。
事実、スラッシュメタルはその様式もアティテュードも初期のメタリカから始まったと言える。

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■ジェイムズがリズムギター担当となったわけ

当時のジェイムズは専らヴォーカル担当であり、まだギターを弾こうなどとは考えていなかった。
そこでブラッド・パーカーという名の男をギタリストとして加入させる。

最初のリハーサルの日、彼はフレンチスリーブの縞々のシャツを着て現れた。
デイヴ曰く、「まるでロシア人水兵みたいな恰好だった」。

ブラッドは、目にはアイラインを施して、白い羽のイヤリングを着けており、デイヴは一目見た瞬間に笑い出した。

「こんな奴、一日でも続いたらショックだな」

実際は一週間くらいだった。一緒にプレイしたのは一晩だけ。

その晩、ステージに上がる直前、ブラッドはデイヴに向かって、

「演奏中は俺のことをダミアンと呼んでくれ」
「何だって?」
「ダミアン。ダミアン・フィリップスさ」
「誰だよ、それは?」
「俺さ。ステージネームをつけたんだ」

その日がブラッド(もしくはダミアン)がメタリカで演奏した最初で最後となった。

彼をクビにしたので、その一ヶ月後のライブではジェイムズが初めてリズムギターとヴォーカルの両方を務めることとなった。

■デイヴの飼い犬が蹴られた話

メタリカ加入する前からデイヴは護身用に二頭の犬を飼っていた。
ピットブルに似た種で、リハーサルやライブの時には家に残しておくのが常だったが、時には同行させることも。

1982年の夏のある日、ロンの家に着くとデイヴの犬は辺りを走り回り、ロンのポアンティックGTOのフロントクォーターパネルに飛び乗った。

次の瞬間ジェイムズに胸の辺りを蹴られ、犬(デイヴ曰く「まだ仔犬だった」)は悲鳴を上げて逃げていった。
デイヴは激怒。

「何しやがる!」
「車に傷をつけやがった」
「F※※k you!」

その場では殴り合いにならなかったが、デイヴとジェイムズは罵り合い、互いに口をきかずにリハーサルの準備をする。
スタジオに入ると、そこでまた爆発して第二ラウンドが始まった。

そこへロンが合流。
彼は常にジェイムズに酷いいじられ方をされていたにも関わらず、こういう時には決まって友だちの肩を持った。

「ジェイムズを殴るなら、俺を殴ってからにしろ」
「黙れ!」
デイヴが怒鳴ると、今度はジェイムズがロンの肩を持つ。
「わかったよ…」

デイヴはにやりとして言い、次の瞬間ジェイムズの右頬にパンチを。
ロンがデイヴに飛びかかり、三人は激しく取っ組み合った。

「デイヴ、おまえはクビだ!」
ジェイムズとロンが大声を上げ、その間ラーズは部屋の隅で髪を指でいじりながら、おろおろと言うのだった。
「やめてくれよ、こんな風に終わりたくない」

メタリカは最初からこんな感じだった。

■ロンのベースにビールをぶっかけた話

この時の「解雇」は24時間続き、翌日デイヴはメンバーに謝罪して元の鞘に収まった。
が、この件以来ロンとデイヴの仲は険悪に。
デイヴはロンを自惚れ屋で大した才能もない奴と思っていたし、ロンはデイヴを予測不能な危険人物とみなしていた。

はっきり言って、奴のその認識は間違ってなかったと思う。

Mustaine : A Heavy Metal Memoir

ある時ロンの家に空き巣が入ったが、犯人はデイヴの知人だった。


知人ってだけで、友達じゃない。俺は奴がそんなことをしたなんて知らなかった。

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だが、ロンはその件でデイヴを責める。

そしてデイヴが取った行動は、ロンのいない隙にリハーサルルームで彼のウォッシュバーン・ベースのピックアップに缶ビールをぶっかけて、高価な機材を破壊することだった。

ロンが激怒するってことはわかっていたが、構いやしなかった。
当時の俺の言い分はこんな感じだった。

お前なんか嫌いだ。
俺を悪者扱いしやがって。
お前はマザコンで、全てに恵まれてる癖に、それを当然だと思っていやがる。
お前は俺の敵だ。

Mustaine : A Heavy Metal Memoir

この頃(1982年秋)までにメタリカは定期的にサンフランシスコで活動するようになっていた。サンフランシスコのメタルシーンはロスに比べて自然体で、ヘアメイクよりも音楽そのものが重要視されていたからだった。

バンドは更に成長を続けており、そんな中、クリフ・バートンと出会うことになる。


続く


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