自分物語
1974年3月28日。母親の実家がある三笠市立病院で生まれる。その後、当時両親が住んでいた苫小牧市へ。出身どこですか?と訊かれると苫小牧市と答える。どっちを出身地と言うのが正解なのか分からないので、幼い頃育った場所の方を答えるようにしている。けっして三笠市と言いたくないからではない。
どこまで本当か分からないが、父親は色々なスポーツをやっていたらしく、野球、サッカー、ラグビー、アイスホッケー等々。特にサッカーでは全国大会に2度出場しているらしい。何の大会なのかはサッパリ分からないけど、おそらく草サッカー大会みたいなものであろう。どういうわけか、父親の家系にはサッカー選手が多い。そしてどういうわけか母親の家系には野球選手が多い。うちの母親のお兄さんは、都市対抗野球の全国大会に出場していて、後楽園球場で2回も試合したんだぞと自慢気に話していた姿を思い出す。母親方の祖父には会ったことがない。母親が子供の頃に交通事故で亡くなっているので、遺影でしか見たことがない。満州に住んでいた頃、小説家として本を数冊出版しているんだとか。俺が小さい頃から物語を書いたり、字を書くのが好きなのは、祖父の血なんだと思う。そして息子がバンドで歌詞を書くのも、きっと祖父の血なんだと思う。野球が好きで書き物が好き。俺は明らかに父親方より母親方の血を濃く受け継いでいる。
1歳か2歳のころ、苫小牧市から三笠市へと移住する。当時父親は王子製紙で働いていたのだが、道東への転勤を打診され、それが嫌で王子製紙を辞め、三笠市の会社へ転職することになったため移住することになったらしい。妹が生まれたのは俺が2歳3ヶ月の時。つまりあいつは、俺と違って出身地はバリバリの三笠市なのである。