自分物語 第2章
三笠で最初に住んだ場所は随分と山奥だった。山手町だったかな?残念ながらここに住んでいたことは当時の写真でしか分からず、記憶は一切ない。どんな子供だったのかと言うと、TVから巨人の星の主題歌が流れてくると、どんなに熟睡していても飛び起きて見ていた子供だったらしい。野球好きの原点である。親指をしゃぶる癖があったらしく、うちの母親は俺の親指に梅干しを付け、癖を止めさせたんだとか。実は今も梅干しが食べられない。おそらくこの時のことが影響しているのではないかと思われる。
何歳の時なのかは分からないが、三笠の随分と山奥からちょっと山奥に引っ越しをする。保育所には年少か年中の頃に通い始めたのだが、毎朝の様に行きたくないと泣きながら保育所までを歩いていた。時には行かずに途中で帰ったこともある。それが俺の最も古い記憶。結局母親は保育所へ通わせるのを断念し、途中で退所する。とにかく母親っ子で、母親が俺を実家に預けて歯科医院に行こうとすると、泣きながら走って追いかけバスに轢かれそうになったり、歯科医院まで行こうとして歩いていると、帰りのバスから俺を見つけた母親が停留所でもないところでバスを止めてもらい、タクシーで帰ったり。とにかく母親と離れたくない子供だった。今では考えられないけど。
それも次第に解消され、年長になって再び保育所に通い始める。今度はさすがに何の問題もなく通所。昼ご飯の後にもらえる肝油が毎日の楽しみだった。そういえば、お遊戯会で主役を演じたな。風邪ひいたのかな?体調悪くて2~3日休んだ後に保育所へ行ったら主役に決まってた笑。
父親が初めて倒れたのが、年長の時だった。出張中、トラックの中で吐血しそのまま現地の病院に入院。近くに住んでた親戚の車に乗って、母親と妹と3人で病院へ向かった。病院で父親に会った記憶はないので、おそらく面会は母親だけだったのではないだろうか。母親はそのまま病院に残り、俺と妹は親戚の車に乗って三笠に帰った。帰る途中、栗沢のドライブイン丸豊で夜ご飯を食べた。その後どれくらいの期間だったか憶えてないけど、暫くの間、俺と妹は親戚の家から保育所に通った。
この頃好きだったもの・・・アニメはタイムボカンシリーズを好んで見ていた気がする。あと再放送だと思うけどタイガーマスク。プロレス好きの原点はここ。特撮ものも好きだった。戦隊ものに仮面ライダー、あとキカイダーも好きだったけど、一番好きだったのはウルトラマン。暇さえあれば数冊あったウルトラマンの本を何度も何度も繰り返し読み、ウルトラマン、セブン、帰って来たウルトラマン、エース、タロウ、レオに出てくる怪獣は見ただけで全て名前が分かるレベルにまで達し、いつしか怪獣博士と呼ばれるまでに。怪獣消しゴムみたいなのも沢山持ってた気がするな。いわゆるキン消しのウルトラマンバージョン見たいなやつ。
こうして思い返すと、やっぱり人間て幼少期に形成されるんだな。今でも好きなもの、嫌いなもののほとんどが小学生までに詰め込められてるもんな。