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中山竜監督はリアリティーを勘違いしている?アニメ『チェンソーマン』について

今回はアニメ『チェンソーマン』について語っていきます。
ただアニメについてというよりも、中山竜監督について思った事を私なりに書いていきます。
なので、アニメ本編の各シーンや声優さんの演技を語ったりみたいなレビューではないので悪しからず。

ヘッダーやタイトルでお察しかと思いますが、かなり批判的な内容になります。
お好きな方は読まないか、覚悟して読んでください。

まずは私についてざっと書きます。

・原作はコミックス派で12巻まで読了
・原作は面白いと思ったけど普通に楽しんだ程度
・他の短編も楽しんで読んだが藤本タツキ先生のファンではない
・アニメは好きだけど見たいものを見る感じなのでアニヲタでもない
・むしろ映画やドラマなど実写作品の方がよく見る
・決して中山監督のアンチではありません

大体こんな感じです。

ちなみに、大変申し訳ないのですが、アニメは7話で脱落しました本当にゴメンナサイ。
なので、語るなら最後まで見てからにして!!と思った方もここでお別れです。

さて、それでは改めて語ってまいります。

上の方に書いた通り、私自身は原作チェンソーマンも藤本タツキ先生もすごい好き!というわけではないので、アニメ化もそこまで期待値が高かったわけではありません。
予告や事前情報を見てめちゃめちゃ期待をしてたわけでもなく、平熱程度の熱量で見ました。
ただかなりの予算をつぎ込んでそうな大作になりそうなので、興味本位で見てみよーくらいのノリでした。

なので、すっごく期待して見たのに期待外れだった!とかそういうわけでもなく、本当に、シンプルにつまらなかったです。

1話から肌に合わなかったのですが、どこかで面白くなるはず!と思って頑張って7話まで見たのですが、やっぱりダメでした。
4話のヒルの悪魔の戦闘シーンが多少ワクワクしたかな…という感じでしたが、それでもちょっと物足りなかったです。
魅せ方なのかテンポなのかわかりませんが、勢いや爽快感が足りなく感じました。

とりあえずなにはともあれ作品全体的に全然メリハリがなく単調。
あと各所で言われてますが、監督の演出の元、声優さんの演技の抑揚が抑えられているせいで、セリフが聞き取りづらかったり、単調でつまらないものになってました。
だからギャグシーンは笑えないし、迫力が欲しいシーンでも盛り上がらない。
セリフが見てる方に全然響いてこない。
意味深で静かなシーンが多く、日常シーンなども多めに描写されてる為、テンポも悪い。

などなど、不満を書いたらキリはないのですが…。

今もアニメについては賛否色々言われてますが、否定的な意見の中でもちょくちょく見かけるのが

オリジナル作品なら良かったのでは?

という、チェンソーマンに合わなかっただけで、中山監督の作家性自体は肯定する意見。

正直私は、その意見すらも疑問です。

もはや私は中山監督に別の意味で怒ってると言っていい。

それは単純にアニメがつまらなかったからではない。

まずこのインタビューの内容を見て欲しい

・・・中略
『チェンソーマン』の魅力、原作の空気感を余すところなく伝える、というところにこだわりをもっています。それを表現するための一つとして、写実的なもの、映画的なものをアニメーションに取り入れることを考えました。藤本先生は映画好きで、マンガの中でも多くの映画作品が参照されていることは有名ですが、僕も映画が好きで、原作からも写実的、映画的要素を感じていました。だからアニメ化にあたって、そういう要素を取り入れたら原作の空気感が出て面白くなるだろうなと。

【中山竜(TVアニメ『チェンソーマン」監督)】メジャーにも届き、コアにも刺さる『チェンソーマン』をつくりたい

写実的なもの、映画的なものを取り入れると言っているのですが、実写作品をよく見ている私にとって、この発言をした上で作られたあのアニメが受け入れがたいのです。

何故、実写映画を意識すると、シーンの演出や役者の演技の抑揚がなくなって、静かなだけの間延びした演出になるのでしょうか?

ちなみに、映画的なものというのは洋画よりは邦画を意識したんでしょうか?
もし邦画を意識したのだとしたら、ここ数年の邦画を見ているんでしょうか?
邦画はどんどん進化をしてレベルはどんどん上がって、最近は本当にクオリティの高い作品が多いです。
リアルな日常を描きながらも、メリハリが効いててみやすく、最初から最後まで飽きません。
俳優さん達の演技もボソボソと喋る事もなく、しっかりセリフが聞き取れる演技で感情表現も素晴らしいです。
必要以上に抑揚を抑えた演技は、そういう役柄であったり、何か意図がある演出でスポットとして使うとかでない限り基本ありえないです。

私の大好きな是枝監督の映画は、日常を繊細に描いてるものが多いですが、過剰な演出は控えめで、俳優さんの演技もそこまで大袈裟ではないにも関わらず、最後まで飽きずに見られます。
リアリティーをこれでもかと詰め込んだ『花束みたいな恋をした』も、シリアスで「静」の印象が強めの『ドライブ・マイ・カー』も、大袈裟な演出はなかったものの大変見やすく楽しいです。
他にも素晴らしい邦画はまだまだ沢山ありますが、ひとまずここまで。

中山監督はインタビューで写実的、という言葉を使っていましたし、恐らくリアリティーのある演出をしたかったんだと思います。

しかしながら

そもそもリアリティーってなんなんでしょうか?

リアリティーとは演出や演技の抑揚を抑える事ですか?
アニメではアキのモーニングルーティンが描かれていたり、その他にも日常描写が多めに描かれていましたが、リアルってそういう事ですか?
私は違うと思います。
リアリティーがあるという事は、つまり、説得力がある事だと思うんです。

こういう世界が本当にありそう、デンジならこんな風に喋りそうとか、そういう説得力を持たせ、視聴者に違和感なく作品に没入させる事ではないんでしょうか?

それは何も現実社会の延長のような、全体的に静かだったり、抑揚を控えめに話させたりそういう事ではないと思うんです。

現実で私達が普段している会話が究極のリアルなら、その日常の会話をそのままやればいいんです。
でもそれを映画やアニメでそのままやっても恐らく見てる側にとってはリアルではない。
映画では映画で感じるリアル、アニメではアニメで感じるリアルがあります。

例えば、クセが強くコミカルな演技が魅力の阿部サダヲさん。
(かなり幅がある俳優さんなので作品によりけりではありますが)
彼の割と大袈裟な演技をするタイプなので、正直現実社会ではありえない喋り方でセリフを言っています。
昔流行った『マルモのおきて』や、映画『舞妓Haaaan!!!』の演技なんかはかなりコミカルでしたが、別に違和感を感じません。
それはなぜか?
そこにリアリティーを感じるからです。
説得力があるから、そういう人なんだって信じて見る事ができるんです。

アニメだってそうです。
例えば最近大ヒットした『ぼっち・ざ・ろっく!』。
主人公のぼっちちゃんの演技は、声もとっても可愛いし演技もかなりコミカルです。
演出だってアニメ独特の演出もりもりでした。
現実に照らし合わせたらありえないし、あんな子絶対いないです。
でも、当然違和感なんか感じませんよね。
それは作品の世界観、キャラをしっかり理解し、説得力を持たせているからです。

中山監督はリアリティー=抑揚が抑えられたもの、日常が繊細に描かれたものと勘違いを起こし、抑揚や演出を抑えること自体が目的になってしまったんじゃないでしょうか?
結果、作品やキャラの説得力がおざなりになってしまったのではと考えます。
全てのキャラの演技、このキャラってこんな喋り方するかな?と違和感しかなかった。
例のアキのモーニングルーティンだって、大分しっかり描いてましたが、私は「アキという人物はあんな日常過ごす人なのか?」と違和感しかなく、説得力を全く感じませんでした。

監督の作家性と作品の方向性があってないとか、そういう問題ではないと思います。
監督として、リアリティーという言葉を勘違いした結果、世界観も人物も何も説得力がなく、視聴者にただ違和感を与えただけになってしまったのではないでしょうか。

オリジナル作品なら良かったのでは?という意見に対しても、私個人としては、中山監督がこのままの感覚でいるのなら、それは果たして面白いものになるのかと正直疑問です。

監督がちゃんと世界観やキャラへの説得力を持たせる事ができたなら、別に原作と監督の作家性が多少合わなかったとしても、監督の作家性が全面的に出ていたとしても、きっと良い作品ができたんじゃないかと思います。

というわけで、アニメ『チェンソーマン』は作品とキャラの本当のリアリティーがないがしろにされてしまった、そんな作品だったなと思いました。

2期、もしくは劇場版は一体これからどうなるんでしょうね…。

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