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「ミッドサマー」ペレの話。

ネタバレめっちゃします。

ミッドサマーを観た直後の感想は「面白かったけど、面白くなかった」だった。
ホラーは大の苦手、人生初の映画館ホラー鑑賞の感想としてはなんとも不思議な気がする。

グロテスクなシーンは確かにあった。けれどどれも、なんというか、血抜きしたのかねえ?と思わされるような、リアリティもなくタチの悪いジョークグッズを大画面で見せられているような、怖がらせたいのかそうでないのかよくわからないモノだった。

ミッドサマーを観て、わたしの中に強烈に居座るキャラクターがいる。
ハーメルンの笛吹男、ペレ。

ペレの故郷は、カルトでコミューンを形成しているホルガという村。
この村、このコミューンを支配する"教え"は理解し難い。けれどよく作られているなと感心する。  

意図的に近親相姦を犯し、知的障害を持つ者を発生させ、聖典の書き手として崇める。そして聖典の解読と称してホルガの長老幹部が意味のある文字として、規律を記していく。

そしてたぶんきっと、ホルガで育った者だけがスカウトマンとして外に出られるのだろう。子どもの頃によく洗脳し、よく共犯者として育てておけばその罪はどこに行っても漏らされる事はない。後ろめたさと正当化と、保身と安寧と恐怖は、ペレの嗅覚をよく鍛えただろうと思う。

外から入ってきた者は、種か胎か、どちらにせよ生贄になるのではないかと思った。メイクイーンの写真は並んでも、村人の紹介の時に「彼女が去年のメイクイーンだ」などとは一言も言われなかった。不自然なほど、兄弟姉妹ばかりだった。

生まれ変わりと称して、自らの命も他人の命も断つ事を厭わない。種や胎を父母と認識するのではなく、じぶんの命を繋げるための道具だと認識する。ホルガでダニーは村の人から「family」と何度も笑顔を向けられ、コミューンの一部となるよう彼女自身が屠られていく。
familyとは、なんだろう、と頭を抱えたくなる気持ちであの笑顔を見ていた。

わたしがペレを意識するのは、わたしがダニーとよく似ているからだ。
ペレの言葉は、一つも優しく感じなかった。というか、ペレはダニーをぐちゃぐちゃにする為に揺さぶりを掛けている。

傷ついてる者に、傷つく原因をもって、傷を何度も抉る行為は共感でも共振でも優しさでも慈しみでも何でもない。
ダニーはずっと痛みから目を背け、逃げようとしているのにそれをペレは許さない。受け入れさせる方法は取らず、いきなり現実を突きつける。あの優しげな雰囲気で、やっている事は加害に他ならない。

物語中盤から、ペレは笑顔を絶やさない。特にクリスチャンがジュースとミートパイを口にするシーンは如実だ。ほんとうに嬉しそうに、楽しそうに、悪戯が成功したかのように、画面の端っこでペレは穏やかさを装いながら笑っている。

マークが村の神木を汚した時、ペレは激昂するホルガの人からマークをかばった。かばうというと語弊があるかもしれないが、結局ペレがあの場でやったのは通訳に留まる。
彼に信仰心はどれだけあるのだろう?

ホルガのあの"教え"を作った人間の意図は、正直全く想像がつかない。
神になろうとしたのだろうか。小さな世界で手入れをする側になり、そこで閉じてしまえと、作ったのだろうか。そうする事で何を見出し、何を得たというのだろうか。

わたしにはペレが、ホルガを捨て切れないまま罪悪感と恐怖に歪んで、復讐先を探しているように見える。か弱い子羊(ダニー)はさぞかし不快であろう、という風に彼を見た。

彼はスカウトマンとして成功し、贄にもならず、わたしたちには何かわからない碧の冠を戴いて、メイクイーンにキスをする。
メイクイーンが殺される運命と仮定すると、ちょうどダニーの部屋、ベッドの上に飾られた「熊にキスをする王冠を戴いた少女」の絵のように。
わたしにはミッドサマーの祝福は、ペレに贈られたように感じた。

ペレはホルガの神となって、その後どうするのだろう。  

傷を得た者は、傷も年輪となる。
痛みを知る者は、傷つける者にもなる。

ペレは、そんな恐ろしさを、穏やかに見せてくれたキャラクターだとおもった。

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