たぶん星野源ファン
星野源が好き。彼の音楽の多彩さや、言葉の選び方が好き。
ばらばら、くだらないの中に、フィルム、地獄でなぜ悪い、Hello song、うちで踊ろう、創造、不思議。何回も聴いたしこれからも聴くし、これから出るだろう沢山の新しい曲も全部聴きたい。
彼のことを知ったのはありきたりだけど「逃げ恥」で、その時はドラマ良かったなという感想だけだった。その後たまたまアルバム「YELLOW DANCER」を聴いて、他のアルバムも聴いて、気がついたら好きになっていた。
「ばらばら」の歌詞が好き。僕らはひとつになれない、そのままどこかへ行こう。そうだね、と思った。
「地獄でなぜ悪い」で、そうそう、生きるって楽しい地獄なんだよね、と思った。
逃げ恥主題歌「恋」のポップなイメージしかなかったから意外だった。この人は何を経てこういう曲を書くに至ったんだろう、そう思った時にはもうハマりかけている。
試しにラジオを聴いてみる。下ネタが苦手な私はそこでちょっと、いやかなり引く。ラジオは結局聴かなくなった。
それでもエッセイを読んでみる。文章の感じになんとなく、昔好きだったさくらももこのエッセイを思い出した。面白かったけど、しっくりこないところもあった。
私は普段、あーなんか違うなと思ったドラマは2話以降見ないし、合わないなと思った芸能人はその後もずっとそのままだ。
とりあえず下ネタにはドン引きだったので通常ならそこで離れていてもおかしくなかったけど、そうさせない魅力が星野源にはあった。
ファンクラブには結局入らなかったし、エッセイも全作は読んでない。たぶんライトなファン。でもライブ映像は死ぬほど繰り返し見て、DVD特典が欲しくてサブスク派なのにCD買って、おげんさんは毎回楽しみで、テレビは「星野源」でキーワード自動録画してる。
寂しかったときは「Hello song」で元気を出した。
悲しいことがあったときは「フィルム」をやさしく歌い上げる声をじっと聴いた。
曲に込めたエネルギーは色褪せないし、彼の音楽の、詞に削り出した言葉の明るさ柔らかさしなやかさが私は好き。やけになりそうな時もあるけど楽しく生きていきたい、そう思うとき背中を押してくれる彼の歌が本当に大好き。
あーなんか違うかも、と思う部分があっても圧倒的に損なわれない「好き」があるってすごいことだな、強力だよなと思う。
100%好きかって言われたら確実に違うけど(それもメディアに出てる部分だけの話だけど)、好きか嫌いかって言われたら確実に好き。
コロナ禍で生まれた「うちで踊ろう」から広まる輪が楽しくて、すごいなあ好きだなあという気持ちがまた増えた。
そして、当時安倍総理がそれに乗っかった動画を上げた時は腹わたが煮えくり返った。星野源は1日で消えてしまうインスタストーリーで、一方的なコラボであることだけを述べた。悔しくて悲しかった。
本当ははっきり抗議して欲しかったけど、テレビ上で政治批判がほとんどない状況で1人の芸能人が発言することは今の日本では難しいんだろうなとも思った。
政治に対して声を上げること、選挙の話をすること、それが普通にできる世の中にするにはどうしたらいいのか、どうしてネット以外の表舞台で批判が出ないのか出せないのか、前よりずっと考えるようになった。
なんだかんだで星野源への興味は尽きない。
友達が教えてくれたYouTubeチャンネルでは、よくわからないゲームの話をしていた。正直全然わからなかったが、話してる星野源が楽しそうだったのでよかった。
なんかのバラエティーで「洗濯機が回るのをじっと見てるときがある」とか言ってた星野源が結婚したときは心からおめでとうと思ったし、深夜に2人でお茶飲んで話すのが楽しいみたいな話を聞いて嬉しかった。
最近はNetflixの「LIGHT HOUSE」を見た。その中で星野源が、「ばらばら」はその方向性の中ではもうあれ以上の曲は作れないと思うけど、違った方向性ではもっと色々作れるみたいなことを言っていて、これからも本当に楽しみだなと思った。
「ばらばら」のような曲を作る人だから好きになったけど、星野源がもう「ばらばら」のような曲を作らないのは全然残念じゃない。これからも色々な顔を、進化を見せてほしい。
でも番組自体はしっくりこなかったな。若林の「家事をするもしないも多様性」って話とか。星野源の「鬼嫁という言葉は男性社会の名残」という言葉も、若林の発言を受けてのものだけど「名残」だったこととか。まだ最初の方しか見てないけど、いつもの「あーなんか違うな」も増えていく。ちょっとチクチクする。
星野源も年を追うごとにどんどん変わっていってる気がするし、ある程度の信頼はあるんだけど、まあ40代のおじさんたちのトークショーだからな、期待値上げ過ぎたかなとか思いつつ、星野源の新曲が聴きたくて多分最後のエピソードまで見ると思う。