「バーベンハイマー」の炎上を見て考えたこと
バーベンハイマーの日本での炎上を見て沢山思うことがあったのでメモしておく。
私は映画バービーをとても楽しみにしていた一人なので、今回の件は本当に残念だ。でも単に「腹が立った」だけじゃなく、色々な感情が渦巻いた。
本当にショックだった。きのこ雲がおもちゃにされていた。ピンクにしたり可愛いイラストにしたり、「自由に使える単なる素材」になっていた。やっぱり日本以外ではこの程度の扱いなのかという悲しさや虚しさも大きかった。
#NoBarbenheimer のタグも広まり、バービーのオフィシャルアカウントには無数のリプライがついた。
でも見る限りこのタグで怒っているのは日本人ばかりだった。そのせいか徐々に英語での抗議文も増え、英語ができない人も翻訳アプリ等を使ってどうにか意見を伝えようとしている様子が見てとれた。
どうしたらこの怒りや悲しみを理解してもらえるだろうか、どんな言葉なら相手に響くだろうか。必死さと危機感。
また、外国語を学ぶ意義のひとつは、こういう時のためでもあるなと改めて実感した。
「ジョークだろ」と言える側と、そうでない側との分断は本当に根深いと思う。
アメリカの学校では原爆は早期戦争終結に必要だったと教えられるという話は以前から聞いたことがあるが、実際どれくらいの割合の人がそれを信じているのかは全然知らない。ただ無関心な人が多いのかもしれない。
それでも思ったより「なぜそんなに怒るのかわからない」と無邪気に言える人が多いのだと知った。
また、「日本軍の戦争犯罪についてどう思うか、被害者気取りか」「南京(大虐殺)は?」というコメントも見た。韓国・中国・それ以外の英語圏からも。
原爆は残酷な兵器で、その凄惨さは絶対に伝えていくべきだと私は思っているし、今回のことが日本人の被害妄想だとも思わない。当然の抗議だ。
でも他国からしたら、加害は認めず被害だけを強く訴えている国と映る側面があるのもわかる。
もしも日本が自分たちの原爆被害と同じくらい自分たちの加害の歴史について理解し、認め、怒り、教育に盛り込んできたら、少なくとも同じアジア圏からはこんなふうには言われなかったのではないか。そう思わずにはいられない。
それから「アメリカのポリコレはアジアを含まないのだから偽善だ、ポリコレなんていらない」という日本人のコメントも見た。
本当に腹が立った。こういう人たちの中にリトルマーメイドの実写俳優を「イメージじゃないから嫌い」と言ったり、Black face のニュースに「文化が違うだけだし何が悪いんだ」と言った人はいなかっただろうか。
ポリコレを否定したいだけの人だろうから気にするだけ無駄かもしれないが、ポリコレは「無意識な差別や不平等で人を傷つけるのはやめよう、やさしい世界にしていこう」ってことだ。
そこに原爆のことが入っていなかったなら、悔しいけどみんなにわかってもらって定着させるしかない。同じように私達日本人も、知らずに外国人を傷つけたならそれをやめていかなければならない。
完璧な国なんてないしアジア蔑視もあるのは知っている。単なる無知だけでなく明らかな悪意のあるコメントもあった。
でも少なくともポリコレを掲げる建前すら薄い日本より、不完全でも努力してきた欧米に見習うことも多いはず(多民族国家であることの必然だとしても)。1か0かじゃなくて。
バービーは多くの人をエンパワメントする作品だと聞いていたのでその点でも楽しみにしていた。だからこそ残念だし、間違っていることは一つ一つ声を上げて変えていくしかない、そうやって少しずつ進んで世界は良くなっていくはず。
残念なことに、Barbenheimerへの仕返しとして原爆関連のミームと同じくらい醜悪な9.11を使ったミームを投稿する日本人が出てきて、やるせなくなった。これでは抗議より憎しみしか伝わらない。
戦争がなくならない理由がわかる気がする。怖いのは私も「どう表現すれば伝わるか、引き合いに出すなら9.11だろうか」の延長に、一瞬その絵が浮かんだことだ。もちろんそんなことは絶対にしないけど、そのアイデア自体はたぶん多くの人の頭に容易に浮かぶものだと思う。
悔しいのは痛いほどわかる。わかるけど、あくまで言葉で戦っていくしかない。
そして驚いたのは、英語圏でその9.11ミームに怒っている人が少なかったことだ。「9.11ミームくらいアメリカ人も作る」という反応もあった。相手にされていないのか、そもそも話題になっていないからなのか、文化の違いなのか。
私達は他人の気持ちがわからない。他人の物語や文化や、悲しみや喜びを知らない。
映画はそんな私達をつなぐものでもあるはず。
映画バービーを見に行くかは迷っている。映画自体が素晴らしいものだったとしても、やっぱり悲しい気持ちになってしまった。
今回の件で、日本人の誰もがこんなに懸命に声を上げるほどのことなのだと世界に伝わることを願っている。時間がかかるだろうけど。
そして、他者の声も懸命に聞くことができるようにしていかなればならないと改めて自戒する。
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