生きなさい、あなただけは。
命あるものの日々を憂いに裏切って
生きる意味を見失なってることに、酔っている。
浅はかな自暴と、「わかってた」とか、嘘ばかり!
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考えてみてください。
とある少年は、生きる意味を見失っていました。
というよりは、生きることへの自信がなかったのですから、当然です。
しかし、ひとつプライドがありました。
生きる意味を見失っていることに「酔っている人」と、「自分」は、徹底的に異なると信じていたのです。
ある意味ニヒリズム的ですが、根幹には信念があるように見えます。
「生きたくない」ことを「死にたい」としか表現できない彼らを、常に軽蔑していた。
まるで死に迎合するかのように、命あるいは生を弄ぶような言動、行動をする人たちを軽蔑していました。
浅はかに見えたのです。低俗に見えたのです。
だって彼らの行動の根底にあるのは、自己愛でしょう?
絶対に、そうはなりたくなかった。
彼らを軽蔑する自分も、本当は、汚い。
しかしこのプライド、この感覚は捨てきれない。
生きる意味はなくても、これが、生きる指針だったのです。
彼らは何もわかってない。わかってない。何も。
でも、彼らが少しだけ羨ましい。そんな気持ちが少しだけ、存在している。
罪深い欲望に支配され、況して愛や恋に一喜一憂している。
まさに、世のもの。世を愛している。
どうして君は、生きているの?
君は、ひとりでは生きていけない。
どうして君は、泣いているの?
孤独な君が生きるわけ、ない。
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さて。
苦しみの上に成り立つ感情はとてもざらついていて、体が固まって動かなくなるような痛みを自分に施してくれます。
しかし、苦しみから逃れる手段は、この世の中にそう多くはありません。
逃げのように見えて、実は逃げることができていないというケースが、あまりにも多いのです。
音楽に逃げることも、精神薬に逃げることも、宗教に逃げることも、あるいは命を断つことも。
実はそれは、あなたが向き合った結果であって、逃げじゃない。
だって、逃げられるなら、とっくに逃げているもんね。
当然、向き合い続ければ何処かで壊れます。
壊れる、というよりは地盤沈下が起こるような。
何も怖く無くなるのです。
前向きに、今なら飛べる、今なら飛べる、そう思い始めるかもしれません。
あるいは、何処かの誰かのように精神薬で多臓器不全に陥って死の淵を彷徨うかもしれません。
今まで「生きたいから生きる」というよりは、「プライドと執着」で生を伸ばしてきた人は、おそらく壊れやすいでしょう。
自分が軽蔑する彼らと同じではいけない。
自分が信じるものが正しいと証言する証人でありたい。
彼らは生きている理由がないと口々に言います。
そうであれば、どうか罪深い彼らの命を先に奪ってください!
彼らは苦しい故に涙を流しています。
孤独ゆえに死を迎え入れる準備ができているようです。
さて、以上を持ってして、どうして彼らが生き延び、私が死ななければならないのですか!
そうやって本当に限界を迎え、あなたがついに命の縁に立って見下ろした時に、あなたの心に吹く風が冷たく苦しいものでありますように。そうすれば、生き延びられるから。
頑張って死に近づいて、本当は分ってない。
読んで欲しい、彼の言葉。
そうだよね、解るよ。だって、私って、「解ってない」。
“生きなさい、あなただけは。”
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死は突然襲ってくる侵入者のようです。
いくら備えていても、突然やってくる。
いくら知ったつもりになっていても、本当に知ることはできない。
予行演習などないのです。
ただ、間近に迫る死を受け止めた人のことは、たまたま見てきていました。
それでも本当は、分かってなかった。何も知らなかった。
全て終わった後、自分宛に残されていた手紙を読んだ。
あなたの持つプライドも、時折自己否定に近いところまで向かってしまう思考も、全てあなたのものです。
きっと美しいでしょう。
どうか、自らを、信じ続けてください。
どうか、自らの信じるものが正しいと証明する証人であり続けてください。
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「ねえ、いつかまた会えるからね」
まやかしを君は信じるの?
私、生きたかったのに、さあ?
これで、終わりだなんて。───