娘と過ごしたすぎてとにかく生き残りたくなった話
あまり長生き願望がなかったので人生60年くらいでいいや。そう思っていたのだが、娘を産んでからはとにかく長く健康に生きていたくなった。
娘が成人する年に、私は60歳である。まだまだ成長を見守りたいし、娘が結婚するなら結婚式に出たいし、可能ならば孫を拝みたい。もしも娘が私と同じ年齢に子を産むなら、私はその頃80歳だ。マジか。わからないが介護が必要なのではないか。とにかく娘の荷物にならぬよう、生きてるギリギリまで元気に、死ぬときには手間をかけさせずにサッパリ死にたい。
生きることや健康についての考え方がガラッと切実に変わったため、今年は健康診断を積極的に受けている。去年は「妊娠中だからナー、病院通ってるしナー」などと考えサボった。レントゲンは軒並み撮れないので仕方ないとしても、その他の健診もサボった。
だが今年は、絶対に死んでなるものかという決意がすごい。市からの封書をキチンとチェックし、カレンダーに健診予定を書き込み、夫に「健康診断に行くから娘を任せるために休みを取ってくれ」と打診する。元々丈夫であったせいか、自分の健康についてこんなにも考えていることは、人生で一度もなかった。なんなら、あと10年早く娘に出会いたかった。娘と過ごす時間が足りない。
娘の成長をゼロ距離で可能な限り見守り続けるためには、健康が必要不可欠なのである。
子どもが人生になる親って嫌だなぁとか、自分の人生を歩めよと、子どもを産む前は思っていた。娘が生まれて、「いやこれは子どもが人生になるわ」と理解できる。なぜかと問われても、そういう生き物になる、としか言えない。
もちろん自分の人生は歩むのであるが、まだ生まれて半年しか経っていない娘の存在は大きい。私の生きる理由に「娘と可能な限り一緒に過ごしたい」というドデカイ目標が発生し、とにかく健康に長生きしたいと強く願うようになったのである。
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