聞いてもいい愚痴、聞きたくない愚痴

 先日はうお座の満月、そして天赦日。浄化力が強いという話だった。
 やたらに眠かった。浄化というものは全てが心地よいものではなく、毒抜きの際の具合の悪さというか、酒を飲みすぎた日の嘔吐のような大変さもある。好転反応だ。
 その後は大体すっきりできる。

 私は愚痴を聞くのはそんなに嫌ではないつもりだが、最近「アーあなたの愚痴はもう聞きたくない!」ということがあった。
 愚痴を言う人間との関係性もあるのだろうか?とも思ったが、具体的に「聞いてもいい愚痴」と何が違うのかを分析してみた。

・会話の9割が何に対しても愚痴
・私が何をしていても割り込んで話す
・自分は正しいしあなたもそう思うでしょ?という流れ
・精神的な距離を詰めてくる(私は詰めたくない)

 聞きたくない愚痴を言う人は、私の精神的なテリトリーに無遠慮にズカズカと入ってきていたのだった。
 会話の内容よりも、自分の安心安全を脅かしてこられる方が、私にとっては不快だったらしい。
 もちろん、内容によって話にも不快感を感じてはいるのだが。

 そういえばエナジーヴァンパイアという言葉があったな、と今回思っていた。吸い取り方はなるほど、相手のテリトリーに無遠慮に入っていくことなのかもしれない。

 新型コロナの影響で「社会的距離」「ソーシャルディスタンス」という言葉が広く使われるようになった。
 人との関係性も、心地よい距離で持っていきたい。まずは自分から。

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