愛とかピンクとか苦手でした。自分を甘やかせ

 スピリチュアル系の情報を漁っていると、当然のように「愛」や「許し」というキーワードがポンポコ出てくる。あまり日常では使わない言葉だ。
 私はそういったフワフワキラキラした言葉が苦手だった。ついでに言うと、天然石のローズクォーツも愛だの恋だのというキラキラした言葉がたくさんくっついていたので、あまり手に入れようと思わなかった。ピンクも大体そんな感じ。

 最近、自分のメンテナンスにオーラソーマグッズを使っている。良いエネルギーを簡単に取り入れ、自分に役立てられるところが気に入っている。
 それらを使うこと自体がワークのようなものなのだが、ふと「愛」という言葉が何故よく出てくるのか、という理由のひとつが思い浮かんだ。
 「愛」の対象は自分で、自分を愛し許し受け入れることが、こんなにも何度も出てくるほど重要なのだなあ。

 そんなことは10年以上も前に知っていて、むしろ自分がそれを布教する側ではあったのだが。
 自分に対して全然甘やかし足りない、愛したりない、ということがわかってしまった。オーラソーマすごい。

 人や物事への向き合い方、対応の仕方など、自分を厳しく律することも、もちろん大事だ。だが、それと同じくらい、自分を甘やかし愛し許すことをしないと、足りない量を他人に求めがちになる。
 何か活動をしていたり、誰かのために頑張るのなら、無限に自分を甘やかして全面的に肯定してヨシヨシする。そうしないと、少しずつ削れて立てなくなるのだ。誰かがいてくれないとつらくなるのだ。

 他人が自分を認めてくれない。優しくしてくれない。許してくれない。
 SNSなどで、免罪符を掲げて声高らかにそう叫ぶ人をたまに見るが、それは他人を通して鏡写しで自分を見ているだけなのではないか。
 ずっとそう思ってきたが、自分もまた自分を愛したりないので、他人の行動にイライラしたり文句を言ったりしているのだから世話ないのである。

 そんなことを今になってやっと体感したので、私は今必死で無限に自分のメンタルを甘やかすクセをつけているのである。

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