株式会社Irohakids設立#7〈バンクーバーでの生活③〉日本とバンクーバーの保育の違い
よかったら#1から読んでいただきたい。
予定外だがバンクーバー編で③までいくとは…。でもそれぐらい会社設立に欠かせないトピックということで、最後まで読んで頂けると幸いです。
さてバンクーバーの保育所Daycareの紹介をしてきたところで、私が見たバンクーバーの保育と日本の保育の違いについてまとめていきたいと思う。
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バンクーバーは多人種が入り混じっている。なので肌の色や人種も違って当たり前。なのでバンクーバーでは、そもそも”違う”というところがベースにあり、日本の”同じ”がベースにある教育とは全く違う。特別支援に関しても言えるところで、ベースが”同じ”だと、これが人と違う、みんなと違ってこれができない、これが分からない、などマイナスを拾う評価になりがちである。
しかし、そもそも”違う”というベースから始めると、多様性を認めその子のありのままの姿を受け入れることができる。日本人のように容姿に大きな差がないので未だに”同じ”ベースが根強く残っているが、いずれそもそも”違う”んだというベースで子どもたちを見られるようになっていくと、教育全体が抜本的に変わっていくと思う。
現在の汐見先生をはじめ保育関係の大学の先生方は、自己肯定感や非認知能力、そしてその子のありのままを認めることを盛んに話している姿を見るが、どうしても現場が追い付いていない。
だから私の目に映る子どもたちやご家族、先生方だけでも、そんな視点を持ってもらいたい。それも会社を立ち上げた理由の一つでもある。
多様なことは豊かなことであり、違いは強みである
バンクーバーではこんな壮大なビジョンとこれを日本に持ち帰る使命を受け取った気がする。
そしてバンクーバーでの経験と思い出を胸に帰国、9月からまた日本の幼稚園で働き始め、今までも日本の教育に?があったが、帰ってきたら?が更に倍以上に増えていた。そしてやっぱり、ここ(幼稚園内)でやれることには限界があると気づき始めていた。
そして退職という言葉を考えるようになり、転職先を探す。保育園で短い時間だけ働いてみたりした。でもやっぱり、どこへ行っても頭の中の?は消えなかった。どこにもないなら…作るしかないか。という平凡な発想で、退職することを職場に伝え、保育所を作るための勉強を始めた。
そして退職をする3月、日本にはコロナウィルスが流行りはじめ、退職日も良いのか悪いのか早まった。
教育を変えたい!と立ち上がったがいいが、その時は日本が、世界が、大きく変化をしていく時期だった。
何もかもが手探りの初の起業、しかもコロナで身動きが取れない…。コロナ渦中のクラウドファウンディング。いろんなことが数か月で変わっていく。
自分のできなさに愕然とする、でももう、どうしようもない。そんな葛藤もたくさんあった。
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